『シン・ゴジラ』

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 公開から二週間余りの台風が東京を直撃する火曜日の夜に観に行ってきました。この映画の上映館は多く、新宿でも3館で各々1日10回以上の上映回数です。私が行ったバルト9でも2Dだけでも1日10回以上の上映となっていて、その中の午後9時15分スタートの回を観てきました。台風が夜半に直撃すると言われ、おまけに終了は11時半過ぎなので、少々遠距離であれば終電にかかっている時間枠ですが、シアター内はやたらに混んでいました。

 ざっと見で、100人は観客がいたように思います。ここ一年ぐらいに観た映画の中で最大の入りのような気がします。若い客層が多く、異性・同性、組み合わせに拠らず二人連れが多かったように思えます。私のような年齢層もそれなりに存在しましたが、高齢層はどちらかと言えば男性比率が高まっています。

 あと一作で完結すると言われている『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』のシリーズの一応のファンだと自分のことを思っています。第1作と第2作の間にはほぼ2年が空いており、第2作と第3作の間は3年が空いていて、それから既に4年が経過して、完結編が出る見通しさえ発表されていません。こちらの方の進捗も放りだして、庵野秀明は一体何をやっているのか。この作品の話を耳にした際に最初に思いついたことも、そして今尚、この作品について、何かを語れと言われても、この苛立たしさです。「やることやれよ、バカ野郎」と言う気持ちを押しのけるほどの何かは観た後になっても得られませんでした。

 パンフレットを読むと、この点に関する弁明が挨拶の中にあり、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で鬱になったことなども合わせて書かれていました。それを読んだ所で、「鬱になったらエヴァは作れなくなっても、ゴジラは作れるのかよ。随分都合のいい鬱だな」と突っ込みたくなるぐらいに思えます。(日本の実践催眠術の第一人者の吉田かずお氏によれば、鬱は催眠で簡単に治るとの話もあります。)

 まして、観る前の段階で、この作品の興行収入が(何かの)記録破りであるなどと聞いたり、「凄く面白い!」などと聞けば聞くほど、苛立ちが募りました。ただ、「これぞ、日本映画の面白さ」などと聞けば、ただ苛立っているばかりではなく、中身を観てその上で批判できるようになるべきかと思い、仕方なく観に行くこととしてみました。

 もう一つの重い腰を上げることになった要因は石原さとみの準主役級の配役です。『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』2作のハンジ役で驚愕させられるまでは、私にとって、石原さとみは『MONSTERZ モンスターズ』の田口トモロヲの娘でしかなく、それ以外にスクリーン上で見た記憶はありませんでした。あとは、なぜか一時期空港に行くと空港のプラズマテレビで集中的に観ることが多かったアフリカのドキュメンタリー番組の中で、体当たりで行く先々の人々の取材に当たる彼女であったり、東京の各地にポスターの貼られた東京メトロの駅付近散策の彼女であったりするだけでした。

 基本的に私の好きな横長丸顔の垂れ目で、タヌキ顔の十分条件を満たしていて、行く先々の何かで見かけるごとに「ああ、また居た」と認識はしていましたが、『MONSTERZ モンスターズ』で観ても、「ああ、まあ、こういうかんじなんだな」と言う漠然とした印象しか残りませんでした。

 ところが、ハンジです。それまでに私の見たことのある石原さとみのイメージが全く覆るとんでもない役どころで、パンフによるとかなり役作りに苦労を重ねたとありますが、(原作を知らない私には、思い入れと言う「色眼鏡」がなかったので)劇中で間違いなく最も印象に残るキャラであったと思います。

 ゴーグルを常時かけているキャラで、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の第1作を観終わるまで、これが石原さとみとは気づかなく、パンフを読んでも、(画像記憶ができない私なので、余計その必要があるのですが)ネットの画像検索で石原さとみの写真とパンフ上のハンジの写真を見比べなくては同一人物とは思えないほどでした。それが今度は米国人、それも、未来の大統領と期待される駿英の役となれば観ない訳には行きません。

 作品を観てみても、観る以前から思っていた庵野秀明への「やるべきことをきちんと片づけろよ」の気持ちがぬぐわれるような何かを感じることがなかったのは先述の通りです。特撮の怪獣映画として観た時、異色の作品であることには間違いなく同意しますが、ただ、それだけなのです。なぜただそれだけに感じられるかと言えば、それなりに「エヴァ」ファンであることによると思います。

 観る場面、観る場面、何かエヴァのどこかで見たことがあるように感じられるのです。特に、戦う側の日常の人間関係をベースとしながら、組織政治の世界を描く手法などはそのまんまですし、蒲田付近に上陸したゴジラの幼体の釣り船や自動車を押しのけながらもたもたと進んで来る様子などの、日常の風景の中に押し入って来る巨大異生物の姿はエヴァの使徒そのものです。

 さらに、エヴァの使途を描く際の極端に近距離の抉るようなカメラワークなども、そのまま実写に移植されています。特定の作戦毎に関係者のホウレンソウがかぶりまくる演出どころか、その際のBGMまでエヴァと同じなのです。

 ここまでエヴァと印象がダブると、(と言っても、BGMに関しては、全くそのままですが)いつかエヴァの実写版を作るために動画を撮り置きしているのではないかと疑いたくなるほどです。幼体ゴジラのクリクリオメメは使徒シャムシエルの目(らしきもの)のように見えます。最終形態のゴジラの攻撃方法は、火焔状の放射能を口から吐くのがほんの瞬間的で、それ以外は、その放射線が細く収斂したビームを口から一本以外に背中からも何本も同時に放射して行きます。そして、近づくものをすべて破壊し尽くすだけではなく、周囲の大手町界隈のビル群を、ニクロム熱線で発泡スチロールを切るように、ばらばらに切り崩していくのです。

 近づくものを片っ端から破壊する構図がそっくりな使徒がいます。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』で、その映像美が際立つ使途ラミエルです。後の本命の攻撃をカモフラージュするために、迎撃されること必須の無駄打ち猛攻撃をガンガンにかけてから、本作戦を実行するオチも、使徒ラミエルと全く同じ構造です。いちいち分かりやすい作戦名を映画作品中でさえ命名して臨むのも、対ラミエル戦のヤシマ作戦を彷彿とさせます。

 私はゴジラ映画のファンでもあります。オリジナル第1作のゴジラと、(第1作の段階ではまだ平成ではありませんでしたが)平成ゴジラシリーズと括られるゴジラシリーズは、何度見ても飽きが来ません。さらにその後のミレニアム・ゴジラシリーズと言われる作品群も、ジャニタレが騒ぎまくる一部の作品以外は、私はとても好きです。そして、その制作時点各々の特撮技術が使い尽くされ、きちんとしたストーリー構成で、ゴジラが変に人類に慣れ合うこともなく、人類も自衛隊を始め死力を尽くしてゴジラに対峙する構図ができているものと感じています。つまり、従来のゴジラシリーズも、それなりに多くの作品が、怪獣映画として以上に、人間社会・人間組織の物語として十分耐えうるものになっていると思っています。

 本作のゴジラも、つい最近『ふきげんな過去』で見たばかりの北品川から品川のビル群、そして、湘南新宿ラインで新宿から横浜に向かう時に目にする武蔵小杉のビル群を色々破壊してくれたりしますが、これも、「ゴジラに破壊されると名所になる」との観光効果から、歴代のゴジラシリーズ制作時には、破壊希望の街からリクエストが殺到するぐらいですから、今のゴジラに始まった話では全くありません。

 そのように考えると、今回のゴジラには、やはり、私には作られる価値が見いだせないのです。実写版のエヴァをゴジラをモチーフに作ってみたと言う、変な折衷案の作品にしか見えないのです。もちろん、そのようなバイアスなしに見たら、評価できる怪獣映画にはなっているものと思いますが、やはりエヴァを観たいと思っている人間からすると、単なる寄り道のムダ足作品でしかありません。

 ただ、ハンジ並みに大活躍の石原さとみは間違いなく見る価値がありました。この作品の主人公は『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』のシキシマで、それ以外にも多数のカブっている役者が配されています。さすが監督が共通であるだけあります。目立つ所では、國村隼やピエール瀧、三浦貴大がいます。さらにスタッフに共通点があるらしく、『寄生獣』の配役もポツポツ見つかります。余貴美子はこちらでも化粧が強烈に濃くて、まるで寄生生物となってシンイチと戦っている時のような顔の肌荒れ感です。そう言えば、ピエール瀧はこちらにもそれなりに目立つ役で登場していました。本作の異常に多い俳優陣の過半数が、この二作とかぶっているのではないかとさえ思えます。

 そんな中で、石原さとみは、中途半端な英語が「ルー大柴のようだ」などと映画評に書かれていたりしますが、全くそんなことはありません。日本語の文中に入れられた英単語でさえ、(ルー大柴と異なり)相応の発音になっています。おまけに日本語の文中に残された英単語は、相応に日本語に変換するのに脳内エネルギーを要する単語のように感じられました。つまり、或る程度、訳から漏れてしまっても仕方ない単語群であるように思えるのです。もちろん、フルセンテンスの英語の台詞もたくさんこなしています。

 キャラの性格も異なりますが、組織の中に馴染んでいないデキる女の役としてみると、それなりにハンジと共通点がある役で、それがゴーグルもなくそのまんまの石原さとみで堪能できる点はとても楽しめました。できれば、ギャグとしてでもオマージュとしてでも、「こんなの、初めてぇ〜!」と有名なハンジの台詞を英語で言うなどぐらいして貰ったら良かったことでしょう。幾つか聞き取れていない石原さとみの英語台詞があったので、もう一度ちゃんと聞いてみたいとは思えます。(ゴジラは生物として、「初めてのこと」が多い設定なので、それらしき台詞を言っている可能性はあります。)

 それが唯一の動機となって、DVDは一応買いです。