『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』番外編@小樽

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 封切から丸一週間経った土曜日の午後3時半過ぎ。小樽築港駅直結の映画館に娘と二人で観に行ってきました。娘によると、直近一週間だったかの日本全国だったかの興行収入だったかのランキングで一位の作品なのだそうです。1日に4、5回の上映だったと思います。シアターに入ると、観客は50人ぐらいで、52の私が上限に近い比較的中年層が多かったように思います。単独客はほとんど見つからず、二人連れが多数派で、男女比もほぼ半々と言った感じでした。クドカン作品の定番のファン層と言うのは多分こんな感じなのだろうと思えます。

 多くの人がこの映画を観に行く最大の動機は、前述の通り、クドカン作品の楽しさなのだと思います。娘も『舞妓Haaaan!!!』などのコメディ作品群への評価が高く、間違いなくそのジャンルの動機だと思われます。私は、テレビの『あまちゃん』のストーリーや面白さを当時の文化評論などで、否応なく目にし、噂を聞かされ、クライアント先の勉強会で、課題を出すと参加の社員が「じぇじぇじぇじぇ!」などと言いだしたりしましたが、全然興味をそそられませんでした。

 映画館で観た『謝罪の王様』は、『ユメ十夜』の第六夜の出演のみで一気に注目した阿部サダヲの配役と、ファンである井上真央の珍しいレオタード姿は楽しめましたが、それだけしか魅力を感じず、結末に至る過程でダメ押しされる「ほら、このギャグ、面白いだろ」的な演出がギンギンに醸し出される展開にはむしろ嫌悪感さえ湧きました。『舞妓Haaaan!!!』もトレーラーで観て、その強みは理解できるものの、まあ、観なくて良いかなと言う判断に至りました。『木更津キャッツアイ』のファンは私の周囲に数人いて、話は時々聞かされますが、これも全く関心が湧きません。『ゼブラーマン』も、観てみて、どうもノリが好きになれませんでした。こうして、私はどちらかと言うと、ややアンチ・クドカンの人間になりました。『カムイ外伝』は楽しめたりしていることから、アンチ・クドカン・コメディーの人間と言った方がよいかもしれません。

 ほぼ主演の長瀬ナンチャラも、私にとっては、私が好きな中島みゆきの楽曲『宙船』を流行らせた人と言うことと、ハマアユの元カレとかいうぐらいの認識しかありません。テレビもここ数年、週に30分も観ないので、ジャニーズだろうと何だろうと、全然関心が湧きません。

 まして、主演の神木ナンチャラは、『SPEC…』シリーズや『桐島、部活やめるってよ』、さらに『るろうに剣心』辺りの役は、非常に優れているものと思っていますが、特に観たいと言う動機につながるほどではありません。

 私がこの映画を観に行きたいと思った最大の動機は、「地獄×ロック」の掛け算のコンセプトです。私は基本的にメタル系の音楽のファンです。ロックが好きになったきっかけは、ランナウェイズとスージー・クワトロで、その後に、今も実家の過疎の市の市役所に務める当時の高校の同級生から、ホワイトスネイクの『レディ・アンド・ウィリング』のLPを貸してもらい、一気に、そちら側にのめり込みました。

 しかし、その頃、同級生のロック好きが狂っていたキッスは仮面をとっくの昔に脱ぎ、レッド・ツェペリンもディープ・パープルも存在せず、レインボウさえ絶頂期を過ぎ、ブラック・サバスはロニー・ジェイムズ・ディオをヴォーカルに擁して迷走していました。かといって、ボン・ジョビはまだデビューするかしないかでしたし、ラットだのポイズンだのトゥイスティド・シスターズだのは軽すぎました。おまけに、歌詞が聞き取れないようなデス・メタル系・スラッシュ・メタル系は大嫌いでしたので、初期のメタリカやスレイヤー、メガデス、アンスラックスなども全く関心が持てません。

 結局、私は、ホワイトスネイクを完全にモノにした後、デヴィッド・カヴァーデールの出元であるディープ・パープルの第二期以降を聞くようになり、そこから、ヴォーカリストつながりで、高音のシャウトができなくなったらただのおっさんになったイアン・ギランを、そして、リッチー・ブラックモア経由でレインボウを聞くようになり、メタル界の北島三郎ロニー・ジェイムズ・ディオ、原爆をTNT爆弾とド勘違いしているお気楽メガネおっさんのグラハム・ボネットなどが在籍したバンドをどんどん追っかけて行くようになります。

 それでもまだ飽き足らず、何かないかと探しては、ぽつんぽつんと飛び火するように、出演アーティストが勘違いして「コニチワ、トーキョー」と叫んでいた埼玉のスーパーロック84で観た、アンヴィルとスコーピオンズにドハマりになり、スーパーロック85で観たアクセプトにハマり、ソビエト旅行で知り合った女子高生から聞かされて、VOWWOW(のみで、BOWWOWではありません)にハマり、黎明期のPVでちらりと観たヘッドピンズのたった三枚しか出ていないアルバムを頭から最後まで覚え、高校時代の部活の後輩から教えられたクイーンも『ホット・スペース』まで、ボーナスをはたいて、LPを一気買いし聞きまくり、ジャーマン・メタルは良さ気だと聞き、ワーロックを聴き、ドロを聴き、柔らかくだらしなくなっていい感じに変わってきたメタリカを聞くようになりました。そして、仮面を脱いでから良いよと聞かされたキッスも改めて聞き始めましたし、当時、電検三種の勉強をちょっと始めた際に、ちょっと関心が湧いたけれども勉強の参考には全くならなかったAC/DCも数アルバム買い込みました。

 さらにスーパーロック84で日の丸に「ボソジョビ」と書いて振り回していたボンジョビもちょっと聞き、かれらがプロデュースしたとかしないとかいう話があったスキッド・ロウもちょっと気に入り、PVで観て、かなり出遅れた感がありますが、武道館コンサートを観たジューダス・プリーストも、映画『摩天楼はバラ色に』のサントラに入っていたナイトレンジャーも、留学先で猫も杓子も聞いていたデフレパードも、聞きかじる感じでLPやらCDを買いました。

 演奏のできない私は、基本的にどの曲も歌詞を覚えることでモノにした感を得ます。伝説のギタリストと言う人々の名前を、私もそれなりにたくさん知っていますが、誰がどんな感じの癖があるのかは、音を聴けばまあまあわかりますが、それが何奏法であるかも分かりませんし、どういう難しさがあるのかもさっぱり分かりません。そういう観点から見ると、私のロック系の音楽好きは、その楽しみ方も対象のバンドも、一般的なロックファンのそれから大きくずれています。

 ヴォーカリストとメロディ・ラインから入る私から見て、日本のメタル系の人々のロック観について当時からどうしても分からない(し、分からない故に当然共感できない)ことがありました。それはロックに「地獄」のイメージを結びつけることです。「メタル」も、「金属を削るような音のイメージからきている」とモーターヘッドのメンバーか誰だかだったか、ブラック・サバスのトニー・アイオミだったかが言っていたのが始まりとされているらしいですが、「メタル」と言う言葉にこのジャンルの音楽を結びつけるのもよく分かりません。しかし、「地獄」のイメージはそれ以上に結び付けに無理があるように私には当時から思えていました。

 スコーピオンズのアルバムやキッスのアルバム邦題、スージー・クワトロの幾つかの曲の邦題を見て、「なんでこれが地獄なんだよ」と、タイトルそのものに対する違和感と、ロックやメタルを見れば何でも「地獄」に結びつける知能指数が疑われるような貧困なイメージへの侮蔑感は、今でもあまり薄れません。おまけに、私が聞くと、B’z以上にパクリが多く、B’zより遥かにスタイリッシュではないアイアン・メイデンのジャケット・デザインなどは、自ら地獄イメージを結びつけていますし、北欧のバンドなどにも悪魔崇拝と完全にメタルが融合しているケースは多く観られます。反体制思想の象徴的な音楽と言うのは、映画『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』や続編の『グローバル・メタル』でも何度も語られていて、認知はするものの、一つの音楽ジャンルにここまで馬鹿げて偏狭な記号的意味をつけることに私は意味を見出していません。

 そんな私から見ると、ムリのある関係の「ロック×地獄」を主題に据えた映画が日本発でできるのなら、観ずには居られません。また、演奏しないことや、好きな曲調に偏りがあることなどから、一般的なロックファンの楽しみ方とは違っている自分に自覚的なので、典型的・限定的なロックの楽しみ方ではなく、広くロックを採り入れた、ないしは、包含した映画作品は観てみたいといつも思っていたのも付け足すべき理由かと思います。

 映画を観てみると、「ロック×地獄」のうちの「地獄」に関しては、かなり作りこまれていました。『鬼灯の冷徹』ほどではありませんが、死後の世界観がそれなりに確立しています。全くイミフですが、神木ナンチャラが演じる主人公の高校生が修学旅行で乗っているバスの中で、地獄の刑罰について読み上げている男子高校生数人のグループがいて、映画の展開に対する脚注係を務めてくれていたりまでします。

 ただ六道を何度も行き来する場面が登場する割には、出てくるのは「畜生道」と「人間道」しかなく、劇中で登場する選択肢は畜生になって現世に戻るか人間になって現世に戻るかと言う選択肢だけです。餓鬼道に落ちるとどのようになってどこに行くのかなどに関しては予算の関係か、すっぱりカットされています。

「ロック×地獄」の謎解きは結局どこにも出てきません。死んで地獄に落ちた人々のうち、享年18歳以下だと、なぜか地獄にある高校に通わされ、そこで組んだバンドで、「ジゴロック」と言う閻魔大王が開くロック・フェスティバル(ロック・バトル)に出場でき、それで勝ち抜くと、別世界の天国に行ける(天道)と言う設定があります。

 なぜ18歳以下しかロック・バトルに出ることができないのか、そして、なぜ天道はロックによってのみしか開かれないのか、などの数々の疑問が増えて、「ロック×地獄」の結びつきの謎どころではなくなります。たとえば、ピクシブにイラストをアップすることに血道をあげてきた引きこもり高校中退者は、地獄に落ちたら、ロックを1からマスターせざるを得ず、ロックバンドを組んでいた者は、かなりアドバンテージがあるスタートを切ることになるのは、非常に不公平感があります。

 と言うことで、世界観として見た目はかなりの完成度なのですが、設定自体にも納得感がありませんし、まして期待していた「ロック×地獄」の結び付け習慣の謎解きは全く実現しませんでした。ただ、その辺はイミフのまま不快感が残りますが、名ギタリストの名前があちこちに登場するセリフ回しやトリビア的設定と、登場する俳優陣のロック入れ込み度合いはハンパではありません。豪華キャストです。

 ほぼ主役と言っていい赤鬼キラーKは先述の長瀬ナンチャラですし、DJもやれば、学生時代にロックバンドを組んでいたとかいう話を何かの番組で聞いたことのある古田新太が閻魔大王ですし、ロック・バトルの相手や参加者や獄卒などには、シシド・カフカ、清、Char、野村義男などが嬉々として配置されています。さらに逃げ惑う亡者の中にはみうらじゅんもいます。極めつけは、神木ナンチャラの同級生で唯一バス事故の死で地獄に落ちたデブで不細工な女子高生じゅんこの分身と言う分かりにくい設定の女子高生ギタリスト亡者の二人(じゅんこAとじゅんこBと言う役名です)をなんと女装したマーティ・フリードマンとROLLYがこれまた楽しげに演じています。よくもこんなふざけた外観でふざけた設定でふざけたことしかしないような役を、この二人が引き受けて出ているもんだと、感嘆させられます。

 ロック系のみならず、この映画のオドロキ・キャスティングは他にもたくさんあります。ずいぶんと所帯じみた感じのおかしなおばさんの神木ナンチャラの母役には坂井真紀が配されていますが、『その夜の侍』で想われ続ける亡妻が強烈過ぎて、ギリギリそれ以外に思い出せるのは『ノン子36歳(家事手伝い)』ぐらいなので、この役はそれなりに意外性があります。しかし、この映画の強烈なキャスティングは、他にもまだまだあります。

 パンフの出演者の顔写真が並んだページを見ると唖然とさせられます。被り物で全く分かりませんでしたが、牛頭と馬頭をなんと烏丸せつこと田口トモロヲが演じています。田口トモロヲは、鉄人間やら仮面ライダーの怪人やら、ありとあらゆる変な役が思い出せますが、ここまで本人が認識できない役柄は珍しいと思います。烏丸せつこに至っては、私にとっては、不倫劇やら自己破産やら色々流転した人生送った元クラリオンガールで、夏の浜辺のグラビアがばっちり印象に残る人でしかありませんでした。「それが被り物のこの役かい!」と言う衝撃はパンフを見るたびに蘇ります。

 さらに、中村獅童がネットの情報では出演者になっていて、全く思い出せないと思ってパンフをめくったら、なんと、神木ナンチャラが人間道に戻り、精子から人生をやり直そうとした際に、それを押しのける「がまん汁」でした。出演数秒だと思います。パンフの役名もそのまま「がまん汁」です。中村獅童の演じた役の中でも、多分、今後も極めつけに役作りが困難な役柄として残るものでしょう。

 そして、尾野真千子です。脇役の中では、多分最重要キャラです。私は全く認識できませんでした。長瀬ナンチャラが現世で売れないミュージシャンをしている時に、彼に惚れ結婚し子供まで設ける、この映画の重要な二人のマドンナ役の一人です。マドンナと言えば、聞こえは良いですが、常に髪がザンバラで、表情は暗く、粉を吹いたような肌の顔をして、猫背の俯き加減にぼそぼそしゃべる女性で、劇中「死神」とあだ名されています。もうひと押し、ふた押し、ゲージを端っこに押しやったら、貞子に近づくぐらいのイメージです。これが『神様はバリにいる』で、滝壺に飛び込まされ、神様をエコバッグに入れて持ち歩く、罰当りヘタレ事業家女と同一人物とは全く思えません。『進撃の巨人』の石原さとみのハンジや、『ゲゲゲの鬼太郎…』のほしのあきのタヌキ女を越えて、『海月姫』のコテコテの鉄ちゃんを演じた池脇千鶴並みの超ド級のイメチェンです。『きみはいい子』の子育て主婦のフツーらしさの片鱗もありません。

 パンフ内で、本人のコメントの中に「また新しい自分を知れてよかったです」とリップサービス的な一言を残していますが、その下にはクドカンのコメントで「結局、(以前のクドカン作品出演時同様に)この現場でもほとんど喋っていないですけど(笑)」と言っていますので、彼女の黒歴史になるのかもしれません。私はこれらの滅茶苦茶な配役が、やたらに楽しめました。私にとってのこの映画の最大の魅力です。

 この映画には、実はあまり映画評で語られていない(私にとっての)魅力が見つかりました。それは派手でスチャラカな見た目の下にある本筋の恋愛物語です。厳密にはあまり「成就した」と言うレベルに終わっていませんので、悲恋物語と言うべきかもしれません。それも二つ並行して進む贅沢なつくりです。

 特に神木ナンチャラの主人公が「まだキスもしていないのに…」とこだわりを持ち続けるひろ美のバス事故から生還した後が徐々に判明し、彼女の一生を“支配”する恋愛観が描かれていく後半のプロセスは秀逸です。

 女子高生の方のひろ美を演じるのは、何かパッとしない若い女優で、どこかで観たことがあるような記憶が微かに…と思ってパンフを見たら、私がガッカリ来た『おんなのこきらい』の主人公キリコでした。はっきり言って華がありません。ぶりっ子をしているつもりでも、全然そうなっていなかった自意識過剰のイタイ女であったキリコに比べれば、クドカンもパンフで「男子高校生の理想の女の子になった」と評するように、かなり好感が持てるキャラにはなりましたが、特段なんだと言うレベルではありません。

 目を見張るひろ美は、大人になって結婚した後のひろ美の方です。『サンタフェ』のふっくら感がガッツリなくなってしまっている宮沢りえが演じていますが、ハマっているのです。神木ナンチャラが自分を好きでいることに気付き、自分も彼のことが好きと分かり、修学旅行の時間が流れるうちに、バス事故で彼を失った。だから、「自分を好きになってくれる“隣にいる大切な人”を大切にしたい」と言う恋愛観は、今どきの婚活の「青い鳥理想像追いかけゲーム」的発想からすると、かなり無理筋に見えるものと思います。

 けれども、この身も蓋もないような気持ちが恋愛・愛情の両者に通底する真理なのだろうと、私は思っています。女子高生らしき娘から、「なぜお父さんと結婚したの?」と尋ねられて、自分の恋愛観とそれを作るきっかけになった神木ナンチャラへの成就しなかった恋愛を語る宮沢りえには、後光が差して見えます。『紙の月』にも共通する、人間の生き方の本質的な選択肢を見せる宮沢りえの好演だと思います。さすが、若くして有名相撲力士と恋愛劇と破綻劇で、全国規模の話題になった人間の経験値は違います。ただいるだけでにじみ出るものがあるように思えるのです。

 もう一方の恋愛劇もマドンナ役の好演に支えられています。先述の尾野真千子の「死神」です。天国と地獄を跨ぐ二人の気持ちがつながる場面は、この映画の中の地味ながら大きな見せ場の一つだと私は思っています。

 天国と地獄、そして、輪廻の在り様については、色々なものを想起させる映画です。中島みゆきの『1/2』の歌詞世界などは、神木ナンチャラの恋愛観そのもののように感じられますし、天国が実は地獄よりも退屈で人間にとって魅力的ではない場所と言うのも、イアン・ギランの『No Laughing in Heaven』を彷彿とさせます。この世界観の中では、人間だけが前世を忘れて生きていて、獣達は基本的にインコもザリガニも犬もアシカも、前世の記憶と業に衝き動かされて生きていることになり、色々と考えさせられます。

 ロック系の魅力は出演者たちがメロイックサインを何かにつけても見せ続けてさえ、『デトロイト・メタル・シティ』の『SATSUGAIせよ』の方が、なんとなくこの映画のイメージにピッタリな気がします。映画そのものも、「ロック×地獄」的な切り口でみるなら『デトロイト・メタル・シティ』の方が好感が持てます。おまけに、タイトルは私が好きなバンドの一つアルカトラズの散々聞きまくって無意識の奥底にまで刻まれている名曲『Too Young To Die, Too Drunk To Live』と被りまくりで、こちらがどうしても頭に浮かびます。

 しかし、ハチャメチャな配役、突き付ける本質的な恋愛心理構造。一般的な楽しみ方とはだいぶ違うのかもしれませんが、とても楽しめました。DVDは買いだなと思いながら劇場を出て、家についても、頭の中には、『SATSUGAIせよ』と『Too Young To Die, Too Drunk To Live』の両方が交互に流れて止まりませんでした。

追記:
 娘がやたらに気に入ったようなので、パンフを買おうと思ってカウンターで尋ねると、売り切れとのことでした。上映開始からそれほど日も経っていないのに、尋常なことではありません。その後、新宿ピカデリーで買い求めました。