『月光』

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 6月中盤を過ぎた土曜日。封切から2週間弱。新宿駅東南口に近いミニシアターの夜6時45分の回を観て来ました。1日に4回上映です。知名度は極端に低いはずですが、上映開始時で20人ぐらいは観客がいました。客層は、若い客が見当たらず、中年以上の男女共に、単独客が多かったように見えます。

 性的暴力被害にあった女性を描く物語としか知らない状況で、私がこの映画に関心を持ったのは、映画本来のコンセプトやその他の要素とは無関係に、タイトルへの親近感が最大の理由です。私が独立後比較的早い段階で社外役員を拝命した、当時設立したばかりの企業の名前が「ムーンライト」で、会話やメールの中では「月光」と呼んでいます。普段、「月光」、「月光」とあちこちで言っているが故に、月光と言うタイトルを見ると、つい着目してしまいます。

 何かでこの映画が話題になった時に、仕事の「月光」には全く関係なくても、「あ、それ観た、観た」と月光役員として言えるようにしたいと言う、或る種の使命感も否めません。以前、映画『コヨーテ・アグリー』を観た際に、劇中でも用いられるテーマ曲が、『Can’t Fight the Moonlight』と言うヒット曲でした。直訳すると「月光には勝てないぞ」と言うことで、「肉食女性が目当ての男性に月の明るい夜に迫っていくと、月光の力によって、誘惑に逆らうことはできない」と言う主旨の歌詞です。「月光の誘惑には勝てない」と言うフレーズは、会社「月光」にもそうあって欲しい想いもあって、私自身がかなり好きになりました。今でも、7000曲入ったiPODクラシックの中で、ベスト20の中にこの曲は位置し続けています。(以前、会社「月光」がラジオ番組を制作して放送した際に、テーマ曲この曲を使ったこともあります。)

「月光の誘惑に勝てない」のは、文化・人種などに拠らないらしく、月の満ち欠けの状況によって、衝動的に起きる犯罪の発生率が変わるというデータもあると聞いたことがあります。また、英語で、lunar は「月の」と言う意味の形容詞ですが、lunatic は「狂気の」と言う意味の形容詞です。

 元々夜間は人間の無意識の支配力が高まる時間帯で、その脳の状態での自由な発想に基づく科学的発見などのことを、ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士は「ナイト・サイエンス」と呼んでいます。無意識の支配力が高まれば、欲望の影響力も上がります。暗闇で他のものが見えにくい中で、中天の月を見つめるシチュエーションは起きやすく、見つめること自体がトランス状態への入口なので、余計に無意識の支配力は強まるはずです。「月光の誘惑に勝てない」のは、一応、科学的根拠があることだと私は思っています。

 そんな月光をタイトルに関した映画を観てみたいと思いました。ネットで情報をさらっと見てみると、黒沢あすかが、主役ではないものの出演していることが分かって、さらに鑑賞の動機が強まりました。黒沢あすかは、「行くところまで行っちゃった40ぐらいのふてぶてしいオンナ」を演じると最強です。『六月の蛇』は彼女の出世作ですが、私にとっては、『ヒミズ』では、娘である「茶沢さん」の絞首台を自宅の中に手製で作ろうとしているいかれた母であり、『渇き。』で役所広司に暴力的に犯されてもふてぶてしいままの元妻であり、『冷たい熱帯魚』の死体処理も厭わず、夫のノリ的な指示で、他の男といきなり夫の眼前で平然とセックスを始める殺人鬼の妻であり、『闇金ウシジマくん』の大島優子演じる娘にも売春を要求するパチンコ狂いの中年売春婦です。

 勇んで観に行ってみて、まず驚かされたのが、この映画のタッチです。ジャンルやカテゴリーと言うべきかもしれません。フィクションの物語ではあるのですが、妙にドキュメンタリーのようで、きれいに整理整頓された画像も少なく、登場人物たちを傍観しているような気分になります。若いピアノ教師とその教え子の少女が性的暴力被害に遭う主人公です。その主人公たちに対する暴力シーンも、かなり控えめで、押さえつけるシーンや転がり逃げる彼女らに圧し掛かるシーンなどもあれば、暴力的な衝動に身が任されていることを表現するためか、妙に速くて振幅の大きい挿入後のピストン運動の場面もありますが、それらを見せ場にするサディスティックな描写でも、それらを見せ場にするエロティックな描写にも見えません。

 最近、米国では、大ヒットだったと知り、シリーズものをDVDで見てみた『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』は、集団の男性から性的暴力を受けて瀕死になった女性が回復後、加害者の男性たちを一人ひとり拷問したり惨殺したりして復讐するパターンの物語です。ストーリー・ラインは完全に見えていますので、エロあり、バイオレンスあり、スプラッタありの掛け算がこのシリーズの魅力であるのは間違いありません。元々のオリジナルが昔制作された際には、一応参考とされる実際の事件があったらしいこのシリーズですが、フィクション性の高い見せ場を盛り上げる描写が徹頭徹尾つぎ込まれています。

 それに対して、本作は(比較すること自体に大きな違和感が湧くほどに)全くアプローチが違います。映画の後に、本作の監督と本作を制作するきっかけとヒントをくれた、性暴力被害者のカウンセリングをやっているという人物との短いトークショーが開かれていて、その中で、和光の大学の学生のグループをカウンセラーの紹介で劇場に連れてきて、この映画を見せた話が紹介されていました。特に女子学生を中心に、「吐き気がする」「押しつぶされるような重い気持ちになった」などリアルな嫌悪感に基づく感想が続出したと言います。それが、この映画のドキュメンタリー感によるものであることは間違いないでしょう。

 ただ、ドキュメンタリー・タッチではあるものの、論点は整理されていますし、シーンにも無駄なものがなく、フラッシュ・バックや回想のシーンが混じっていても、時系列で何がどんな風になったかがきっちりと物語として構成されています。

 日本の多くの性的暴力被害者の女性がそうであるように、基本的に主人公の女性は二人とも、加害者を追及するということを一切しません。ネット上の映画評では「…」とあって、二人で結託をして共通の加害者に復讐的な何かの行動に打って出るような気配がありますが、そのようなことはなく、おまけに心的外傷を明らかな形で乗り越える訳でもなく、色々な被害が多くなっただけの状況で物語はぶつりと切れたように終わります。

 加害者はピアノ教室に通う少女の父親で、娘にはプロレスごっこと称して激しいセックスまでしていますし、「送りますよ」と発表会の帰りにピアノ教師を車に乗せ、暴行に及び、後部座席にいた娘にその姿を動画で撮らせるということをします。少女の方は、まるでレフリーか何かのように、ことが終わるまでを動画に収めて「お父さんの勝ち〜」などと無表情につぶやいています。

 この映画の良い所は、変な解説めいたセリフがなくても、登場人物たちの過去の因縁や経緯が構造として分かるようになっていること、そして、性的暴行そのものと共に、その結果起きる「二次被害」にも着目していることです。ピアノ教師の方は、車中で犯された結果、道路脇を歩いていて車の通り過ぎるエンジン音が聞こえるだけでも、タクシーだろうと親の車だろうと乗ってシートベルトに手をかけるだけでも、パニックになるようになってしまっていました。さらに、犯されている際のフラッシュ・バックが色々な場面で起きるようになり、仕事もままならない状態になっていきます。ピアノ奏者のオーディションでもパニック症状が出て明確に示されませんが、落選したようですし、パニックで振り払った手がメトロノームに当たり、勢い余って飛んで行ったメトロノームが教室に来ていた少年の頭部に当たり、親からのクレームで数少ない生徒を失います。

 少女の方は、逃げてピアノ教師に拾われ、ピアノ教師の事件前後で別居状態になっていた、少女の母の住まいを二人で訪ねていくことになりますが、結果的に、そこでも受け容れられず、実母からも虐待の対象になるので、父の所に戻ります。それは再び実の父とのセックスを繰り返し、普段もトイレに行くことさえ許可を取ることが当たり前の、被支配の生活に戻ることです。

 ピアノ教師は、幼少期、母の実家に預けられていたようで、そこに居た母の実弟(叔父)から裸にされて弄られるなどの性的行為を強要されています。大学時代のピアノの教授と不倫関係になり、相応の騒ぎになる問題が起き、一旦別れたにも拘らず、教授の妻が「見せしめ」として、一人息子のピアノ教授を依頼して来ます。この一人息子が後に頭を負傷する子供です。

 痴漢被害などもそうですが、それは被害者の責任と認識すべきではないものの、被害者に共通の言動や服装などの特徴があり、それが犯罪動機のある者を引き寄せる部分は否定できないものと思います。虐待は世代を超えて連鎖しやすいというのも、多くの本で記述されています。一人の加害者によって発生している二件の現在進行形の性的暴行被害をクリッピングすることから、その二件の過去をも明かし将来をも暗示する深みのある映画と見ることができます。

 実弟が一人娘に性的な悪戯をしているのに、子供を預けて働かなくてはいけない弱みから、見て見ぬふりをしていたと思われる、事なかれで支配的な、ピアノ教師の母をたっぷんたっぷんの体型になった美保純が好演しています。そして、ピアノ教師の不倫相手のプライドが高い妻を、はまり役と言ってもいい黒沢あすかが快演しています。

 ドキュメンタリー・タッチ故か、流し撮りのような場面は多く、少々間延びした場面も多いように私は感じていて、もう少々フィクション側に寄ってくれたら、引き締まった構成になって好ましいように感じはしましたが、体感として生理的嫌悪感を呼ぶ性的暴行の実態を映画の形にまとめた秀作に思えました。ほぼ似ている点を似ている描写で狙ったと考えられる『子宮に沈める』などのドキュメンタリー・ベースのフィクション作は幾つか観たことがありますが、完成度はこの作品がダントツと思えます。DVDは買いだと思います。

追記:
 映画終了後に監督と先述のカウンセラーのトークショーがありましたが、監督の言葉で聞けたコンセプトが、一応収穫ではあったので、終了後ロビーにいた監督にパンフにサインをしてもらいました。『DUBHOUSE:物質試行52』の際と同じ映画館での同じシチュエーションです。