『女が眠る時』

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 やたらに冷え込んだ3月中旬の雨がちの金曜日の夕方。午後5時35分のバルト9の上映を観てきました。封切からまる二週間。一日3回の上映がされていて、プロモーションがあまりなされていないにも関わらず、それなりのヒット感があります。シアターに入ってみると、ざっと数えて40人程度の観客がいました。男女半々か僅かに男性が多いぐらいのバランスに見えましたが、年齢が高めで、平均値は私より高いように見えました。また、単独客が多いのも、客層の際立った特徴のように感じます。

 映画サイトMovie Walkerの紹介欄には
「バカンスでリゾートホテルを訪れた作家が、初老の男と若い女という不釣り合いなカップルと出会い、彼らに過剰な興味を抱いていく姿を描く」とあり…、

 ストーリー欄の文章は
「その頃、佐原の美樹に対する執着は、健二の想像を遥かに越える狂気へと向かっていた……」とあって、自ずと「狂気の恋愛のストーリーか。その狂気の主を北野武が演じるなら、凄いかもな」と思ったのが、観に行った最大の理由です。

 たいした見てもいないはずのテレビなのに、CMでやたらに目にした記憶がある忽那汐里も、iPODにも気に入って入れているオレンジレンジの『おしゃれ番長』のPVの子と先日DVDで見た『オー!ファーザー』の脇役の子が、漸く合致し、ついでに名字の読み方も覚えたぐらいの感じの認識度合いです。そんな忽那汐里が先日、愛用のスレイプニルのポータル画面のキーワード欄に出ていたので、ちょっとクリックしたら…

「忽那汐里に出産&隠し子が判明?彼氏と結婚せず?中退後の空白とは? 」
「忽那汐里に絶えない黒い疑惑、ネットで整形や年齢詐称を疑われる … 」
 などのなかなかやり手な感じのネタが並んでいました。現状、所属プロダクションなどからは無視されたままの噂ながら、どうも何も騒がれなくなったこと自体が、真実であったように、陰謀説はまあまあ好きな私には思えます。

 知り合いの薬剤師の務めていた産婦人科には、現在も若々しい姿で活動を続ける某元アイドルが、芸能人婚をして教育ママとしても有名になる遥か以前のアイドル全盛期に掻爬手術に来ていたけど、全然表沙汰になることはなかったと、リアルに聞かされたこともあれば、だいぶ以前ですが、知り合いの男性が川崎のソープランドで往年のアイドルのサービスを受けたとか聞かされたこともあります。アイドルだの芸能人だの世界は、そのようなものとは思っていますが、今回の忽那汐里のネタは、本当であれば、人気のまあまあ絶頂の中での話ですので、ここ数年来存在しなかったぐらいのインパクトがあるように思われます。

 ネット上に噂が広まったのは、この作品の公開二ヶ月ぐらい前のことですので、制作関係者は『クローズド・ノート』の沢尻エリカの記者会見のように、映画本来の魅力とは別に注目が集まるかと、もしかして期待したのではないかと、つい思えてしまいます。

 観てみると、少なくとも「佐原(北野武)の美樹(忽那汐里)に対する執着は、健二の想像を遥かに越える狂気へと向かっていた……」と言うような明確な表現はありませんでした。(勿論、10年近くに渡って同じ少女の寝顔を撮影し続けるのは十分狂気臭いですが、それは、10年近く前からのことであって、ここに至って改めて「狂気に向かっていた」訳ではありません。)

 それどころか、この映画は端的に言うなら何一つ明確なことがありません。リゾートホテルでの数日間、妻と泊まっていた主人公の小説家が、北野武と忽那汐里のカップルに惹きこまれつつ、自分の妻との夫婦関係にも一波乱ある…と言った流れの中で、何も明確に提示しないのです。

 それは、観客にとって明確ではないだけではなく、登場人物らにとっても(観客ほどに分からないことが多くないにせよ)かなり「どうもそうらしい」とか「そうなんではないのか」と言った想像や疑念、さらに言うなら、パンフレットの中に散々使われている言葉「妄想」に捕らわれるだけで終わっているように描かれています。

 面白い展開です。断片的に裏に隠れた情事や妄執的な行為を示唆するような場面や情報が提示されます。しかし、決定的な場面は一つも出てきません。観客はただ「きっとこうなるんだな」と繰り返し想像させられ、「と言うことはああだったのか」「いや、それだとつじつまが合わないな」などと映画のスクリーンよりもっと手前の位置のどこかで、考え込まざる得なくなってきます。

 考えてみると、都会の日常生活から離れて、田舎町の外れにあるリゾートホテルで経験する非日常など、基本的にこの作品のように認識され、記憶されるものなのかもしれません。老人と20代の娘のカップルはただの援交だけであるでしょうし、有能な編集者で男性作家の面倒を見る妻も、不倫ぐらいは普通にしている可能性大です。それが、主人公のスランプ作家の夫からすると、断片的情報を自分で勝手に補って解釈していくうちに、今までに経験したことのない裏側の世界にどんどん気づかされていくように見える。いわゆる大人バージョンの『スタンドバイミー』的な、一夏の冒険劇兼喪失劇と言う感じに見えなくもありません。大人バージョンでは、男が独占欲や愛憎に振り回される分、『スタンドバイミー』における“死体発見”には至らなかったというだけのことなのでしょう。

 映画のラスト5分は、突如、リゾートホテルの数日から、ドーンと時間が飛んだ場面に移動します。そこまでの話で何となく理解できるのは、どうも老人に騙されて囲われていた若い子は、とうとう逃げたのか、それとも老人に殺されたのか、いずれにせよ、いなくなってしまい、老人は一人になったこと。そして、(多分結婚から10年経っていない)30代半ばに至って、恋愛感情は倦怠に変わって久しい状態だった、敏腕編集者とスランプ小説家の夫婦の、妻は妊娠し、夫は新作の出版に至っている。恋人関係から夫婦関係に落ち着いたことも、あきらかです。

(敢えて付け加えると、妊娠に至ったのは、リゾートホテルで嫉妬に狂った夫が妻に挑み、村西とおるばりの駅弁体位で攻めまくった結果であるのも、ほぼ明確です。結構唐突感のある激しいセックス描写です。恋人関係の“最後の輝き”なのでしょう。)

 中国系の監督は、このはっきり分かることのないストーリーを「ふたつの愛の喪失についての物語」とパンフで呼んでいます。確かに、一応まあまあ分かり、それ以外は、まるで、20年後に思い出したかのように、ぎりぎり骨格を残しただけの記憶を描いたかのような、独特の映像情報の積み重ねがあって、この映画が成立しています。

 興味深い表現の映画です。観る価値は間違いなくありました。しかし、映画がスクリーンそのものではなく、観る者の頭に投影される仕組みは、どうも、普通の映画鑑賞と同種の愉しみを見出すことができないままに終わったので、DVDは入手する必要がないものと思います。