『ザ・トゥルー・コスト ファストファッション 真の代償』

 封切から約一ヶ月経った水曜日の夜の回を、渋谷エリアとは言え、渋谷駅から北西にかなり歩くミニシアターで観て来ました。夜7時過ぎからの回に6時過ぎに行った時点で、整理券は既に16番目で、建物の入口にも人がごった返していました。他の上映でも大盛況だったようですが、こちらの上映もネットでの先行申込みも多く、満席となっていて、私の後10人持たずにチケット販売は停止していたように見えます。一日に4回ほどの上映が今なお続いていて、それでも満席と言う事態は予想外でした。

 この映画の存在を知ったのは、どこか別の映画館に行った際に貰った特殊な割引券によってです。その割引券には、「ファストファッション業界にお勤めの方は、料金半額」と謳ってありました。「なんじゃ、こりゃ」と映画紹介サイトを調べてみて、この映画の存在を認識しました。

 私は愛知県の靴店を運営する会社の役員を拝命しているので、「ファッション業界にお勤めの人」なら一応該当するものと思いますが、「ファストファッション業界」に限定されると、ムリであるように感じて、特段チケット購入の段階で交渉もしませんでした。

「ファストファッション」と言う言葉の存在自体が私には耳慣れないもので、それが他のファッション業界とはどのように異なり、この映画の主張である世界規模の“悪影響”とは何であるのかに、まあまあ関心が湧いたので観に行ってみることにしました。

 映画はその冒頭でダッカの縫製工場の崩落事故を描写します。縫製工場の壁や柱に亀裂が入っていて危険であることを、従業員が経営者に何度も指摘していたのに、経営者はそれを放置し、剰え崩れかけたのを見て避難しようとした従業員を職場に戻したとされています。結果的に(パンフレットが販売されていない映画なので正確に記憶していませんが)1000人近い労働者が生き埋めになって命を落としたようです。

 映画の主張は、このような悲惨な事故を起こしてまで、ファストファッション業界は利益を貪っているということのようです。現地の工場経営者(崩落時の会社の経営者かどうかはよく分かりませんでした)は、「ファストファッション業界の元請から、常に単価引き下げを要求されていて、従業員は賃上げを要求してくるので、利益などでない。これでは会社が成り立たない」などと言っています。

 この映画で主に名指しされているファストファッション業界の会社は、H&M、ZARA、FOREVER 21ぐらいです。ユニクロも1、2度言及されていますが、この映画で描かれる最大の消費国米国での知名度の関係か、あまり糾弾される立場ではありません。H&M、ZARAは、ウィキによると、ファストファッション業界の世界売上で第二位と第一位と書かれています。第三位のGAPがあまり言及されず、それ以下のFOREVER 21がより頻繁に言及されている理由を私は知りません。

 映画によれば、ダッカの縫製工場以外にも、ファストファッション業界の犠牲者は全世界に存在します。まず、ファストファッション業界に供給する原料を生産しているテキサスの綿花栽培農家が登場します。大量に作るために、農薬を撒きまくる結果、土壌汚染は進み、綿花も農業従事者も汚染され、地域に作られた癌センターは大繁盛であると述べられます。

 発展途上国側の綿花生産地域ではモンサントの虫がつかない酵素を発生する綿花の種が独占的に高価で販売されるようになったのに、実際には米国の虫は除けても、現地の虫は除けることができず、追加で殺虫剤を撒くことになったと言っています。経済的に逼迫し、どんどん土壌や水を通して我が身も汚染されて各種の病気を発症し、万単位の農業従事者が自殺していると識者が説明します。自殺する際にもモンサントの殺虫剤を飲むというオチがついています。

 縫製工場での悲惨な労働者の生活も描かれます。カンボジアの縫製工場労働者の組合がブノンペン市内で、月収160ドル(米ドルのようです)を求めて大規模なデモを起こした際には、警察のみならず軍の落下傘部隊まで動員して政府が鎮圧を行ないました。死者も多数出る惨劇になったとされています。ただ、カンボジアの場合、組合があるだけまだマシで、バングラデシュの縫製工場では事実上組合がなく、あっても、その要求をした組合幹部が会議室に軟禁されて徹底的に暴力で報復されると言った状況とのことでした。

 さらに、生産された安価なTシャツを米国の消費者は、週に一枚、週に二枚と、出かける機会があるごとに新たに買うようになるとされています。わざわざ経済評論家や学者も大量にコメント要因として動員され、「一般世帯では、教育や健康など、大金を投資するものは獲得することが無理だとされる中で、実は、日々の少額の消費を積み重ねて結果的に大金を無意味に費やすように仕向けられている」などと分析されています。つまり、消費者も洗脳の結果、大量消費をするように無理強いされているという主張です。現実に、業界のテレビ広告などの映像も執拗に見せつけます。

 そして、大量に生産され大量に消費された衣類は、余るので簡単に廃棄されますが、ただ裁断して土に埋めるだけでは、なかなか分解されず数百年はそこに留まると言われています。おまけに、あまりに衣類は余っているが故に、リサイクルショップでも引き取らず、仕方なく一部を発展途上国に寄付するということになるのですが、発展途上国の爆発的な人口でさえ、着尽くすことができない量の衣類が港に陸揚げされていて、それを住民がただ持ち去っていきます。その結果、地域の縫製産業は壊滅してしまいました。ただの服が山ほど港に積まれているため、服を買う者がいなくなってしまったからです。

 ファストファッションと呼べるのかどうかわかりませんが、靴の低廉なコストでの量産も、皮革加工のプロセスで有毒な廃液をどんどん飲料水・生活用水と共通の水源に垂れ流した結果、明らかな公害病が発生している様子が描かれます。専門的な知識も何もありませんが、私には、現地の子供たちの症状が、以前に見た、枯葉剤汚染が進んだベトナムの子供たちの写真のそれに酷似しているように見えました。この皮革加工の現場の様子は、全く持って5S的な配慮がなされていません。5S的配慮が為されても、河川の汚染は止まらないと思いますが、少なくとも在庫管理や生産管理がまともに為されている職場には見えません。中小企業診断士の登録研修で観た、「これからの日本の中小企業診断士の“効率経営の指導サービス”の需要は海外生産現場にある」と言うテーマの動画にあった、全くの非効率的な金属加工工場と、作っているものも生産プロセスも全く違うのに、目を細めてみるとボケて見える画像が非常に似ています。報酬がきちんと払われるなら、こう言った生産現場の指導に、職にあぶれている中小企業診断士がワンサカ出奔すれば良いものと思います。

 映画は、このような現状を描きつつ、原因をファストファッション業界の悪魔的仕業としてみたり、「いやいや、ファストファッション業界も資本主義の原理に従って利益追求をしているだけなので責められない。資本主義であっても、オープンに批判し合える慣習が欠けているのが問題なのだ…」などと、議論を進めていきます。そこには、劇中の経済学者が言う「システム」の問題があり、安価な服を買い求め続ける消費者だけではなく、ファストファッション業界の企業群でさえ、“被害者”として列記していくような、馬鹿げた俯瞰が存在します。

 馬鹿げています。登場する人々が皆、非常に獣じみていて呆れてしまいます。識者でさえ、傍観者的で且つ近視眼的に見えます。唯一テキサスの綿花業者のデブのおばさんだけが、脳腫瘍ができた夫が50歳で大盛況の癌センターで亡くなってから、敢えて有機コットンの栽培に全面的に切り替えるという、常識的な行動をとっています。それ以外は、すべて人間を人間足らしめる一つの大きな要素を欠いた人物ばかりが出てきます。その欠落要素は長期的包括的社会的メリットの確保です。

 よく「ガバナンス」などと呼ばれるテーマで、企業は誰のものかが議論されます。理屈上株主のものですが、一般に外部の株主の利益を優先すると、企業経営は短期利益を優先するようになってどんどん歪んでいきます。その歪みが日本企業でも最近見られるようになったと言われますが、私から見ると、欧米、とりわけ米国企業の短期的利益優先姿勢に、日本企業は全く至っていない状態です。増田悦佐の各種の議論を待つまでもなく、人間が社会を長くまともに営んで行く上で、日本企業の経営姿勢と(一応)される長期利益の優先が、圧倒的な優位性を持っていると思います。

 汚染された土壌では、作物がどうのこうの以前に、人間がおかしくなります。そういう状況になりたくて仕方ない特別な理由があるのなら、話は別ですが、おかしくなることが分かっても、尚それを続ける理由が私には分かりません。仮にとんでもなく貧乏になろうと、別の作物栽培に打って出るとか、いっそ他の仕事をするとかすればよいだけのことです。

 縫製工場の労働者も、組合さえ機能せず、政府さえ弾圧してくるということになっています。それならば、皆でその仕事を辞めればよいでしょう。他に仕事自体がないという見方もあるでしょうが、縫製工場で働く労働者のほとんどが若い女性です。どんな設備もどんな投資もなくても、歴史上最初の女性の仕事である売春のオプションは残っています。性産業なら亀裂の入った工場に押しつぶされて命を落とす危険はありません。『女子大生風俗嬢』と言う最近の本によれば、日本にさえ、大学に通う学資を稼ぐために女子大生のみならず男子学生でさえも、風俗業でカラダを売っているケースが多々見つかると述べられています。

 あまりに極端な比較ですし、性産業が薦められるべきオプションだと言っているのではありません。しかし、死ぬ危険もあって、改善の余地もなく、おまけに親族に預けてしまっている子供にも会えないと、嘆きながら工場に通うなら、他の職業のオプションをただきちんと考えて選べばよいことだと思うのです。嘆くぐらいなら自分が優先したい価値に応じた選択肢を追求すればよいはずです。

 縫製工場経営者も、劣悪な環境では、生産が早晩維持できなくなることが当然分かるはずです。まして、トヨタ並みの全社的工程改善の取り組みなしに、際限ない単価引き下げ要求に対応できる訳がありません。安値の案件は断ってでも成り立つ経営体制を模索するのが、日本なら、地方の零細企業の経営者でも思いつく常識です。

 消費者も騙されているなどと被害者に祭り上げられて、甘やかされていますが、結果的に目先の欲望を徹底的に満たすことを自分で選択しています。米国で異常なまでの肥満がなぜ多いのかと言えば、ファストフードを食べ続け、最低限必要な運動さえもしないような生活を選ぶ人間が多いからです。それは騙されているのではありません。自分で選択しているのです。

 こうして観ると、世界は楽な選択肢を考えなしに選ぶ人であふれていることになります。増田悦佐が、「日本は、頭の良い非エリートが大量に存在する世界でも非常に稀有な国」と繰り返し述べる理由が本当によく分かります。劇中には、米国のみならず、発展途上国にさえ、流暢な英語で、深い洞察を語ってくれる識者が多数登場します。しかし、それらの人々は増田悦佐が言うところの「海外型の知的選民」の人々です。米国にも発展途上国にも、それらの人々の知識や見識・知見を理解し、自らの行動に反映させるだけの教育が受けられている国民がほとんど存在しないということなのだと思います。日本人の目からこの映画を観ると、原因ははっきりしています。人間社会を長期的に存続させるべき当たり前の知恵を欠いている人が圧倒的に多数であることが原因としか見えません。

 世界の各所で、愚劣な行動をとる人が多く、それが組み合わさると、ファストファッション業界ができたということを、回り道しながら描写する本作よりも、たった一つの湖岸の村が世界経済の(必ずしも短期的利益を追い求めた結果ではなく)構造的な犠牲となって、逃げ場なくどんどん追い詰められていく様を描いた『ダーウィンの悪夢』の方が、数段優れたドキュメンタリーです。その中の、「欲しいものは何か」と尋ねられた売春婦の口から「教育」と言う言葉を吐かせる見事さは、本作にはほぼ見られません。

 何度見ても逃げ場のない悲惨さに衝撃を受ける『ダーウィンの悪夢』に比べると、この映画は、如何にも表層的で、如何にも単純馬鹿発想の勧善懲悪的で、ウエハースの食感のように浅薄です。それでも、街を歩けば看板が普通に目に入るファストファッション業界の裏の、グローバルに広がる無知の構造を描き出しているところに価値があると思うので、DVDは買いだと思っています。