『ムーン・ウォーカーズ』
勤労感謝の日(三連休の三日目の月曜日)の夜9時15分からの回を、JR新宿駅と背中合わせのビルのミニシアターで観て来ました。過去には満席で入れなかったこともあったこの映画館なので、立地でやはり人はガンガン入るのかなと思っていましたが、封切から一週間余りの段階で、(時間長が一時間半程度なので)ギリギリ終電前の時間の終了なのに、客席には20人に満たない観客しかいませんでした。
霧雨が断続的に降る夜、上映30分前にチケットを買ったら、3番目の購入者でしたが、その後、時間ぎりぎりに続々と観客が入ったようです。この映画館の観客全体の特徴ですが、比較的若い層が多く、少なくともこの映画に関していうと、カップル客が多かったように見えます。
英語では、“Moon Hoax”などと表現するようですが、人類による月面着陸はなかったとする説がかなり広く受け容れられています。私も議論可能なほどの準備もしていませんし、それほどの熱意や関心も湧かないテーマではあるものの、どちらかと言えば「なかった論」を支持します。
どこかの博覧会で若い頃に見た宇宙服がやたらに薄い素材で来ていて、真空と内部の圧力差、月面の極端な低温などの温度差、さらに、ヴァン・アレン帯の通過時の電磁波などから、到底内部の人体を守れそうには思えなかったというのが、最初のきっかけです。さらに、子供心に見たテレビ番組の再現映像などを見ても、どうも安っちい出来の悪い特撮にしか見えないとか、色々疑念を抱く材料が存在しているように思っています。
しかし、最も強い疑念の元は、その後、どの国も月面に人類を送り込んでいない事実です。科学の議論は“再現”が基本だと私は思っています。米国一国が「できた、できた」と騒ぎ、なぜ、それ以外の国は全く成功しないのか。金がやたらにかかる割にやる意義がもう薄いからだと尤もらしい説明がネット上などでもなされています。しかし、月面着陸と言われる事件から、既に数十年とか半世紀に近いぐらいの時間が経過しています。その間に、技術はとんでもなくありとあらゆる分野で進歩しました。新発見も色々あり、いつの間にやら、学校で覚えさせられた太陽系内の惑星から冥王星が消えてなくなったりしています。もし、半世紀前近くに達成されるぐらいの技術レベルのことならば、なぜその後、誰もそれが再現できないのか。その妥当な納得感ある理由がない限り、私は「なかった論」に一定の根拠があると思っています。
まして、過去を振り返ると、ありとあらゆる場面で歴史を捏造し、事実と異なる公式見解を発表し続けてきた米国政府です。「なかった論」の方が私には米国に対する正しい歴史認識の反映に見えます。さらに、スタンリー・キューブリックも参加して映像が捏造されたという説にさえ、一応、根拠らしきものが、映画『ROOM237』で描かれています。本当にそうであったのかは別として、少なくとも彼の仕事に対する姿勢を鑑みる時、全く月面着陸映像に関与していないにもかかわらず、あのような記号をちりばめることはあり得ないように思えます。何らかの関与ぐらいまでは、私はあったとしてよいものと思っています。
そう言った「なかった論」をネタにした映画と言うので、かなり早くからこの映画について関心は持っていました。しかしながら、観に行く数日前に映画評を改めて読んで、この作品がコメディーであると分かりました。『第三の選択』のようなものを期待していたので、少々落胆しましたが、それでもネタ的に見逃す訳には行くまいと思い立ったのが、鑑賞の最大の動機です。
コメディーならコメディーとして、ジャンル的に言うと、『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』ぐらいに、風刺も効いた強烈な笑いを期待していましたが、観てみると、それさえも裏切られて、かなり本来的テーマとずれたところで、内輪ウケ的世界観を展開する、どちらかと言えば、『アイアン・スカイ』的な笑いネタの作品でした。
最大の失望のポイントは、結果的に「なかった論」を否定してしまっていることです。つまり、米軍の、当時のソビエトとの軍拡競争・宇宙開発競争に遅れを取る訳には行かないという立場と、月面着陸は技術的に無理があるという現実。その狭間で、ベトナム帰りの米軍将校が、月面着陸失敗時に備えて、成功裡に終わったように見せかける偽造映像作成の特命を受け、英国にいるとされたスタンリー・キューブリックに接触を試みるという話です。しかし、彼は詐欺にあい、キューブリックには会えず、豪邸に住むヤクでラリった自称芸術家に映像作成を依頼することになります。そして、紆余曲折の末、(当然、予想の範囲ですが)映像作成は大失敗に終わります。
私は、この紆余曲折の末、奇跡的な大逆転的大成功を収め、結果的に歴史に残るあの有名な月面着陸映像になるのかと期待しながら固唾を飲んで観ていましたが、私の期待はあっさり裏切られました。映像作成は失敗に終わり、ベトナム帰りの米軍将校はスペインに潜伏しようと逃げますが、行った先のスペインで、全世界がテレビ画面に釘付け状態の月面着陸映像を目にすることになるのでした。
これによって、この映画は、ただの月面着陸の背後で、詐欺に振り回されてドタバタして何の成果も残さなかった米軍将校の馬鹿話に堕してしまいました。
60年代のサイケなイカれた文化は丁寧に描かれています。おかしな言動をする人間も多数出てきて、『ヘルボーイ』シリーズや『パシフィック・リム』のロン・パールマン演じる類人猿的風貌の米軍将校の暴力的な不器用さが非常に際立っています。さらに、『パルプ・フィクション』か何かを連想させるような暴力シーンは、それなりにあり、ロン・パールマンの問答無用な軍人的行動規範が、薬物でまともな判断も言動もできない多くの登場人物と相容れない様子は、多分、このコメディー最大の売り物なのだと思われます。それなりの人気があったらしいことは、パンフが売り切れていることからも一応推察できそうな気がします。
ただ、如何せん、そのような点で得られる可笑しさよりも、「なかった論」を本質的に無視した展開で発生する落胆の方が、あまりに大きく、相殺さえできていない感じです。『パルプ・フィクション』を意識しつつ、『ROOM237』の知的刺激ある構造を基底にして、『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』ぐらいの文化的風刺を配した作品であったなら、私の洋画ランキングでトップ20ぐらいに入っていたかもしれません。しかし、現実には、これら三作品の1%の魅力も持たない作品でした。DVDは全く必要ありません。
追記:
ロン・パールマンをウィキで観てみたら、私が比較的好きな『エイリアン4』や『薔薇の名前』などにも出演していました。あの風貌でこの程度の存在感と言う役者であることが分かります。その人物が(売り切れでその場におかれたサンプルでしか見ることのできないパンフでは)一押しの大俳優として位置づけられている点で、他に大きな魅力がなくては成立し得ない作品であることが痛感されるのです。