『ピクセル』

 封切から二週間弱。「シルバー・ウィーク」と呼ばれる連休の最終日の深夜12時過ぎの回をバルト9で観ることにしました。

 9月の前半は観たい映画が『ナイトクローラー』しかなく、今月中は大丈夫そうなので、後半に封切になる『進撃の巨人』の続編と前後してみればよいかなぐらいに考えていて、ふと上映作品を映画サイトでぱらぱらと見ていたら、この映画を再発見しました。

 この映画の存在に初めて気づいたのはかなり前だったように感じます。チラシを多分新宿のピカデリーで手にして、同時にトレーラーも観ました。アクション映画と呼ぶにはコメディ色が強すぎるものの、単なるSFコメディのドタバタに収まらず、レトロな面白さをうまいこと取り込んだ作品に見えました。3、4か月前のことではなかったかと思います。それ以降、大作のように、何度もトレーラーで観ることはなくなり、その存在をすっかり忘れていたのですが、まさにふと映画サイトを見てみたら、「ん。あれ、これ、今やっている映画だったのか!」と気づかされた感じです。

 バルト9では、2Dが一日に5回、3Dが1回上映されているというそこそこの人気ぶりです。(もちろん、現在バルト9で上映がはじまっている『進撃の巨人』続編や『心が叫びたがってるんだ。』や『アントマン』などに比べると、物の数に入らない程度の上映回数であることは否めません。)しかし、さすがに翌日が連休明け初日の終電過ぎの上映では苦戦は免れなかったようで、バルト9のロビー自体が既に、あまり見ない閑散とした感じで、上映開始、45分前にチケットを買った際に座席表を見たら、小さなシアターで私は10人目のチケット購入者でした。

 主役とプロデューサーを務めるアダム・サンドラーは、全く関心を持てないコメディアンです。初期の彼の作品を数本見たような記憶がありますが、どれも面白いと感じることなく、ピーター・セラーズや、ウッディ・アレン、ロビン・ウィリアムス、トム・ハンクスなどの他のコメディもこなせる俳優の作品に傾倒していました。

 70年代後半から80年代に大流行したアーケード・ゲームの時代はまさにリアルタイムで経験していますが、地方の小さな都市で育ち、少なくとも高校に関しては、学費も自分で捻出していた私は、全くゲーセンのゲームにはまることがありませんでした。ですので、映画に登場するパックマンやセンチピードなどもなんとなく見覚えがある程度の親近感でしかありません。

 と言うことで、単純に前述のような、ニューヨークの街で暴れまわる巨大パックマンの目に焼き付く可笑しさ以外に、全く観に行く動機が見当たらない作品でしたが、結果的にとても楽しめました。

 ゲーム中に不正を行なって、結果的に、地球全体の危機を招いてしまっているキャラのストーリー展開上の“待遇”が過剰に甘すぎたり、底抜けな危機意識の欠落から巨大パックマンに左腕を奪われるパックマンの開発者の日本人学者も、あっさり敵の敗北とともに腕を回復するなど、ハッピー・エンド過ぎるストーリーは、少々鼻につきます。しかし、アダム・サンドラーの演じる元ゲーム・オタク少年のなれの果ては、やたらにユニークで自然です。

 面白さの原因を端的にまとめると、多分、オタク的世界観のコメディへの昇華だと思います。私達の知る任天堂はニンテンドーとなって、米国を席巻したと何かで聞いたことぐらいはありましたが、パックマンがここまで受け容れられていたことは勿論、「ドンキー・コング」や「センチピード」、「ギャラガ」など、そのまま英単語となって劇中の役者が普通に話すのを聞いているだけで楽しめます。

 80年代のアーケード・ゲーム全米大会の映像が、なぜか人間の文化の一端を紹介するものとして、宇宙の探査衛星に載せられていたのですが、それを受け取った異星人が、地球人に武力で挑戦されていると勘違いして、各種のそこで紹介されているゲームで、負ければ征服すると地球に挑んで来る話です。その衛星には当時のアメリカンポップの文化も紹介されていたのかどうかよく分かりませんが、宇宙人の宣戦布告のメッセージはすべて当時のMTVなどの番組を(映像だけはそのままに)吹き替えたものです。

 つまり、突如、地球上のテレビ番組が電波ジャックされては、マドンナやホール&オーツが登場しては、宣戦布告をする場面が流れます。これに対して地球側は、まさに映像で送られた大会で上位入賞を果たしたものの、中年を過ぎて何等の華々しい人生に至ることがないままに生きてきたゲームオタク達を招集し、異星人の挑戦に応じていくという筋書きです。

 非常に緻密にゲームの世界観を調べ上げていなくては不可能であるような、ゲームの設定やキャラに関するセリフや戦術がバンバン当たり前のように登場します。前述のように私はそのゲーム自体をきちんと知ってはいませんが、そのような知識不足の人間にも、「なるほど」と頷けるような最低限の説明は含まれている親切設計です。

 この他にも、この映画が楽しめるポイントは幾つも存在します。最も目立つのは、基本はマッチョ文化の米国で虐げられ傾向にあるオタク目線で観た、“恵まれている者”や“権威性の高い者”に対する批評・批判の姿勢でしょう。それが最大に活かされているのは、ゴリゴリの米軍の精鋭部隊の面々にゲームの勝ち方を元ゲームオタク達が教える場面で、最初は精鋭部隊を前にオタオタしていたデブのオタクが、突如ブチ切れて各々に罵倒の言葉を述べて回るシーンでしょう。

 また、最初に米軍のグアム基地がギャラガによって壊滅させられ、開かれたホワイトハウスの緊急会議の席で、誰によるものかは分からないまでも、「敵はギャラガである」と断定できたのは、元ゲームオタクの大統領だけでした。その席で、背広組は「これは現状把握されているどの国のどの武器でもない」と断言しているのに、軍服組は「これはイランだ。イランを吹っ飛ばしてやりましょう」と言い、大統領が「イランは忘れろ」と言うと、「なら、ISのやつらか。吹っ飛ばしてやりましょう」と言いだしています。さらに、大統領が「敵はギャラガだ」と言うと、「なるほど、じゃあ、そのギャラガを吹っ飛ばしてやりましょう」と、超絶な単細胞ぶりを発揮してくれます。当然ですが、この御前会議ごと、大統領の元ゲームオタク仲間で、召集された元ゲームオタクの電気(製品)工事屋のオタクおっさんに完全に見下されるのです。

 それ以外にも、職業格差や同じ英語圏でも高尚な英語を(一見)話しているように見える英国首脳を、これまた元オタクの米国大統領が、おちょくるシーンなどにも、同様の構図が観られます。そして、このアーケードゲームの形をした星間侵略戦争の構図を逸早く喝破し、地球を未曽有の危機から救った偉大な元ゲームオタク大統領でさえ、謁見した軍の一兵士から、「大統領としてオバマの次にあなたを尊敬しています」などと言われています。本当に笑わせてくれます。

 先述のパックマンの開発者の日本人科学者は、悪役になっているパックマンを諌めようと、静止している巨大パックマンに近づきつつ優しく話しかけて行きます。この時点で死亡フラッグがかなり明快なのですが、実際には左腕先をパックマンに食いつかれピクセル化されてしまいます。このシーンも善意の科学者の死亡フラッグネタとして、定番だと思えます。私が連想したのはB級モンスター映画『モンスター・イン・ザ・クローゼット』でした。

 また、戦力を補強するために、今は詐欺罪で服役中の(後にいかさまをやっていたことがばれますが)元ゲーム大会チャンピオンの男まで召集されることになります。この男が恩赦などと共に取引条件として要求したのが、有名テニス選手のセリーナ・ウィリアムズと、往年のカリスマ主婦マーサ・スチュワートの二人との“熱い夜”でした。“熱い夜”は本編中では実現の場面がないのですが、驚かされるのは、このような設定で、両女性共に本人が本人役で登場することです。『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』の主人公の独裁者や中国人富豪の夜伽役として、ハリウッド俳優のミーガン・フォックスやエドワード・ノートンが本人役で登場するのと同じぐらいの、よく言えば“野心的”悪く言えば“気違いじみた”配役で、これを実現する映画製作の感覚には衝撃を受けます。

 主役陣の紅一点のミシェル・モナハンは、なんとなく見たことがあるような内容な程度の記憶をパンフで確認してみると、遥か昔2008年に見た『イーグル・アイ』の右往左往するシングル・マザーでした。今回はアダム・サンドラーにタイを張るなかなかのコメディエンヌぶりで、存在感があります。

 面白い映画です。先述の通り、少々甘ったるい部分もありますが、楽しめるところが満載です。DVDは勿論買いです。