『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』

 所謂お盆休みの一週間、東京の人や車が少なくなった暑い一週間の真っ只中の水曜日の夜の回をバルト9で観てきました。スタートは夜9時50分。二作完結のようで、今回は第一作ですが、長さはたった98分しかありません。一作にまとめるには長過ぎ、二作ではこのような短さになってしまうということなのかもしれません。

 遅いスタートでも、終電には間違いなく間に合う終了時間で、バルト9では小さいシアターでしたが、40人以上は観客がいたと思います。封切から一週間少々。バルト9でも一日10回近く上映されていて、他の映画館でも多数上映されています。おまけに、アニメ版の映画も前後したタイミングで封切されているようで、この原作の人気が窺い知れます。ただ、人気はやはり若い層に偏っているようで、今回の私が観た回でも、私ぐらいの年齢の観客はあまり見当たりませんでした。男女まあまあ同数ぐらいの感じで、性別の組み合わせにかかわらず二人連れが多かったように思います。

 私はこの作品の大人気原作を全く知りません。(イラストで観たことがあった主人公たちの腰に装着された装置も、何らかのジェット噴射的な装置なのかと思っていましたが、ワイヤーを高速で射出する装置だと初めて知りました。)取り敢えず、書店に並ぶコミックの帯を見る限り、コミックが17巻も出ている現在、「●●家のドウチャラコウチャラ…」などと、映画では到底登場しそうにない貴族か何かのいる社会構成まで登場しているようで、世界観がかなり広がってしまっている様子です。

『週刊少年ジャンプ』はまあまあ読んでいて、その作品の中で気に入ったものは、『ワールドトリガー』などコミックを買い集めるようになっています。非『週刊少年ジャンプ』作品でも『亜人』など幾つかのコミックを色々と評価を聞いて集めるようになりました。そんな中で、これだけの人気でもこの原作に手が伸びなかった最大の理由は、絵のタッチが最大の理由です。色々とネットでも当初取り沙汰されていましたが、どうも好きになれない粗さなのです。

 また、タイトルも、巨人側が進撃してくるということなのか、反撃する人間側が進撃したということなのか、よく分からんと言うのも、何となく躊躇の要因になっています。少なくとも、今回の映画で見るような世界観なら、巨人は進撃してくる感じでは全くありません。まるで、気体が膨張しつつ圧力を上げ、隔壁を破ってしまったような感じで、人間社会に巨人が混じりこんでくる感じです。対する人間は、食われてばかりでは話にならないので、システマティックにと言うか、戦略的に巨人に反撃を試みているので、こちらは、その攻撃が奏功しているなら、「進撃」と言う感じがします。しかし、それでは「進撃する人間」であって、「進撃の巨人」ではありません。映画を観ても、その意味がよく分かりません。

 実写版の映画タイトルには、「ATTACK ON TITAN」と言うサブタイトルがついています。これは直訳したら「巨人への攻撃」と言う意味でしょうから、人間サイドの観点です。それが、「進撃の巨人」部分とマッチしていないのがよく分からないままなのです。

 それでも、“ド迫力”と謳われている実写版の映画なら、そう言う細かなことが気にならないで済むかと、世の中の話題のものをちょっとだけ学習してみようと思い立ったのが、この映画を観ることにした最大の動機です。観てみて、かなり楽しめました。原作から設定やら登場人物の性格やらがかなり変更されていて、パンフレットを読むと、それが映画製作者側からの要請ではなく、原作者からの要望であったと言う珍しいケースだと書かれています。

 現実に、以前、私が『寄生獣』の映画版を観に行くか否かでかなり逡巡したように、この作品を観に行くか否かについて揺れている人々を周囲に見出すのはとても容易です。私の感想では、多分、私にとっての『ガッチャマン』など、原作に相応の思い入れがある人間が観るなら、原作とは全く別のものだという思い込みの上に、楽しめる作品と言うことだと思います。

 私が感じた作品全体の面白さは、やはり、巨人の視点が見事に描かれていることだと思います。巨人目線で見ると、人間はワラワラ動き回る食料でしかないですし、少なくとも映画開始の段階までは、その食料が反撃してくるなどと言う想定は無い訳ですから、(その後も巨人たちが、何か戦略的な判断をしたとは到底思えませんが…)何か意志を持った戦闘と言う感じにはならないはずです。

 似たような構図は、『GANTZ』の原作にも巨人で人類を捕食する異星人が出てきて、人類を蹂躙する場面があり、酷似している描写が続きます。この作品の巨人たちは『GANTZ』のそれに比べ、知性がある訳でもないので、単純に動きの鈍い動物の捕食活動のようなのっぺりとした人間捕食の場面が続きます。

 同様の無機質さで私を初めて慄然とさせたのは、子供の頃に観て、その恐怖が他のスプラッタ系(当時はそういうジャンル名さえありませんでしたが…)の映画とは異質だったのが、『悪魔のいけにえ』です。この作品に登場するテキサスの一家は食人を常としていて、捕えた人間の扱いがまるで食材の扱いそのものであったことが、当時の私に強烈な違和感を湧かせる作品でした。

 それが何らかの恨みや嫌悪や憎悪であっても、多くの作品に描かれる殺戮には目的や意図が明確にあります。それが前提として観客に対しては描かれていて、(場合によっては、観客のみならず、襲われる劇中の人物たちにも何かのコミュニケーションなどの手段で明白になった上で、)迫ってくる危機の意外さや激しさがウリのスプラッタ映画などは多々あります。しかし、『悪魔のいけにえ』の理不尽さは、非常に異質で強烈に記憶に残るものでした。それは、あのロジャー・イーバートさえが、映画評の対象にこの作品を取り上げて、言及していることからも分かります。

『進撃の巨人』の違和感ある恐怖も、『悪魔のいけにえ』と同種です。その恐怖感をCGでは描ききれないと巨人のうつろな視線の再現にこだわったなど、パンフを見ると、その恐怖感の演出を追及しつつ、この作品が制作されているようです。その点が、陳腐な怪獣映画やスプラッタ系ホラー作品などと、この作品が一線を画すことに成功したポイントだと思います。

 細かく見ると、ちょっと変なことにも気づきます。たとえば、壁を破ることに成功した超大型巨人は、徐々に壁の上に顔を出しますが、それが壁を登ってきているということではないようですから、もともと壁の向こう側から覗ける立ち位置にいることになります。それなのに、徐々に顔が出てくるというのであれば、遠くから壁際に来て一旦しゃがみこんでいて、それからぬっと顔を出したことになるのではないかと思われます。なぜ、あの超大型巨人はそんなことをしなくてはならないのか分かりかねます。

 さらに、この映画にはやたらに脇役級の俳優が多く、各々のキャラが明確に立たないうちに、バタバタと死んでいきます。90分少々の映画ですので、あれよあれよと言ううちに死んでいきます。元々あまり知らない若手俳優が多いので、全く印象に残りません。多少なりとも以前観た作品できちんと印象が残っている役者の場合は、そちらの印象が拭い切れない程度の印象しか残せないような“濃度”の登場であるのが、逆に困ります。

 たとえば、ほとんどアクションの見せ場がなく、恋人に縋り付いてばかりの女の武田梨奈は、私にとっては『リュウグウノツカイ』か『ヌイグルマーZ』のままでした。ピエール瀧は、『凶悪』で範田紗々を犯し殺した男か、『寄生獣』で全く似合わない三木にしか見えません。

 エレンと言う女性みたいな名前の主人公の男は、『東京公園』で姉の小西真奈美と美しいキスシーンを演じた男のままでしたし、アルミンとかいう金属的な名前のキャラの男は、『GANTZ』シリーズのひねくれ男の印象のままです。さらに、軍艦を連想するミカサは『プラチナデータ』のイカれた女、ついメガネの博士を連想してしまう名前のシキシマは『地獄でなぜ悪い』のトチ狂った映画監督にしか観えないままに、映画のエンディングに到達してしまうのです。それぐらい、巨人が主役の映画と解釈もできますし、その点は十分に楽しめますが、逆に人間の方が、作品中に居場所を見いだせないままに終わっているようにさえ思えるのです。

 そんな中で、唯一、まるでその世界観の中に浸り切ったような孤高の存在が、ハンジと言う女性科学者です。少々マッド・サイエンティストのノリが世界観にもフィットしている感じがします。このハンジを演じるのは石原さとみです。最近の作品で言うと、DVDで観た『MONSTERZ モンスターズ』ですが、全く同一人物には思えません。ゴーグルをした外観のせいもあると思いますが、完全に役になり切っているという感じで、他の作品の石原さとみと共通点が見いだせないのです。パンフでは原作やアニメを徹底的に研究して役作りに臨んだと書かれていますので、多分、原作ファンでも、この生ハンジには満足できるのであろうと思います。

 巨人を描くと共に、青春群像を描くということにも監督は意識したようなことがパンフに書かれています。確かに、劇中でピエール瀧に言わせている“青春像”にあるように、多くの男性キャラは(シキシマと偉ぶった隊長を除いて)妙に幼稚で、私は好きになれませんでした。自分が粋がっていた頃に惚れて、巨人を前に為す術もなく見殺しにした女が眼前に強い戦士として、そしてさらに強い男のものとなって現れて、叫びまわるエレンに対して、子持ち女が「意外に子供だったんだ…」としれっと言うシーンは、私には結構喝采モノでした。

 女性陣も変に際立ったキャラが多く、巨人の侵攻によって圧迫された人間社会の中の否応ない“女性の社会進出”が求められている劇中の世界でも、女性のキャリア形成は酷く多様で、幼い男達に比べて、キャラ設定にバリエーションがあるものと理解しました。

 いずれにせよ、土葬習慣がほぼなくなって久しい日本で、最近ムキになって作られているかのように量産されるゾンビものや、ただ血糊を濫用するだけで見せ場を作るスプラッタ系のホラーなどにくらべれば、十分好感が持てる作品ではあります。DVDは買いです。