月曜日、昼1時20分からの回。吉祥寺の駅前の映画館に初めて行きました。1月10日(土)公開から約一ヶ月。そこそこの人気を想定しつつ、『シン・シティ』の1(と言うタイトルではありませんが)を観てからの方が楽しめるだろうと、持っているDVDの山から、『シン・シティ』の1を探して観る作業を億劫に感じているうちに、あっと、言う間に日が過ぎていました。とうとう1を観終わり、「さて、来週でも観に行くか」と思って上映館をチェックしたら、その週末で上映館は半分以下に減っていました。新宿でもピカデリーがまだやっていましたが、3D上映だけだったので、パスすると、23区内で行き易い場所に上映館は存在しませんでした。そこで、都下にまで範囲を広げ調べて、吉祥寺の上映館を見つけました。ここでも一日たった二回の上映で、上映終了はそれほど遠くない未来に見えます。
古いタイプの映画館です。客席は広く、間違いなく三桁の観客が入りますが、今回の観客はたった10人余りで、全員、私を中心値に±10歳以内の男性のような感じでした。正直、あまり、この作品に入れ込んでいるように見える観客はいませんでした。多分、わざわざ前作をDVDで復習してから来ようと思って、新宿界隈での鑑賞タイミングを逃したような客は、私以外にいないのではないかと思いました。
『シン・シティ』(の1)は結構好きな映画です。どこが好きなのか、はっきりと言えないのですが、ぎちぎち過ぎないレベルのハード・ボイルド・テイストと、一部分限定の勧善懲悪劇、そして、独特のタッチの画像など、まあまあ好きと思える部分が重層的に存在することが魅力なのだと思います。それと、女優で言うと、ジェシカ・アルバがまあまあ好きですし、男優でミッキー・ロークも、ブルース・ウィリスも嫌いではありません。
今回の続編は、わざわざ1のストーリーの復習がついていて、その後の話だと言われていますが、よく見ていると(特段回想の場面と言うことでもなかったように思うのですが)、1の前段階の話も混在しているように見える続編でした。考えてみると、『300』とその続編の関係もそのような感じではなかったかと思い出しました。
今回の第二弾は、1の制作から、10年を経た新作です。その間、何もなく出てきた唐突感も勿論否めませんが、それ以上に時間経過から、役者が歳を取ってイメージがかなり変わっていたり、状況が変わって出演しないなどのことがあるのだろうと想像していました。独特のモノクロをベースにした画像タッチのお蔭か、数々の特殊メイクのお蔭か、主役級の、ジェシカ・アルバ、ミッキー・ローク、ブルース・ウィリスに違和感はありませんでしたが、1の方の主役級の男の一人、ドワイトは全く感じの異なる役者に挿げ替えられていました。
それと、特に注目していた訳ではなかったはずなのですが、1に登場した殺人兵器と呼ばれる天性の暗殺者のような若い娘ミホは、1では日系人的なデヴォン青木と言う女優でした。今作では到底日系には見えず、目がかなり吊り上った中国系の(映画サイトでクレジットさえされていない)女優に差し替えられていました。デヴォン青木は、日系で女性でアクションがこなせると言う三つの特性のどれか二つぐらいが合致する役を器用に見つけて、幾つかの比較的知られた程度の作品に出ています。今回、日系の感じバリバリの名前に中国系の女優が当てられているのは、ハリウッド映画のお決まりの文化的好い加減さの発露なのかと思えました。
アメコミの世界観の再現と言う意味では、前作同様の凝り加減が感じられて、好感が非常に持てます。しかし、シン・シティで同時並行で進む幾つかのエピソードのバランスが良かった1に比べると、2は、幾つかの話の中でも、ジェシカ・アルバの復讐劇に多くの時間が割かれていて、バランスが中途半端であるようには感じました。特に1での彼女は愛すべき知恵のまわる可愛らしい少女的な位置づけだったのが、今回は、アル中で、メンヘラ系にさえ見えるようなキャラに変貌してしまっていて、がっかり感があります。
私にとっては、及第点が60点なら、1の方が70点少々越えのまあまあ好きな作品。それの8掛けぐらいの魅力がこの第二作とすると、単純計算で及第点に到達しないことになります。ただ、それは1と比較すると、斬新さがなく、テイストをきちんと守った中で、1に比べて盛り上がりを欠くと言うことです。この作品を単品で見たら、1にほんの少々劣るぐらいの魅力を持っているようにも思えます。まあ、ぎりぎりDVDは買いです。
この作品の原題は『シン・シティ2』ではなく、『SIN CITY: A DAME TO KILL FOR』です。私は一応英検一級を持っていますが、この dame と言う単語を初めて知りました。後で気になって調べてみると、「大きな功績で(大英勲章第1位および第2位などを)受勲した女性に対する尊称」などとのっています。これを平たく「すごい女性」と解釈することと、取り敢えずします。
『A DAME TO KILL』なら「殺さなければならないすごい女」と言う意味になりますが、『A DAME TO KILL FOR』なら「その為に殺人さえする価値があるすごい女」と言う意味だと思います。いずれにせよ、この映画には、それに該当しそうな女性が何人も出てくるので、誰のことなのか、私には判断がつきませんでした。敢えて言うなら、1だって、このサブタイトルが十分あてはまる構造に思えます。