『海月姫』

 封切から約3週間を経た水曜日の晩、新宿ピカデリーに観に行きました。夜7時ちょうどからの回。レディース・デーとか言う、昔のディスコさながらの、何の合理性一つ見つからない性差別全開のサービスの日に偶然行くことになったのですが、滅茶苦茶な混みようでした。今までも、ほぼ満席に近い状況はあったように思いますが、今回のようにチケット販売上は完全な満席と言うのは、初めてではないかと思います。

 幾つかの映画館では、今週で上映終了と言うことになっていて、新宿ピカデリーでも現状一日4回の上映が、土曜日からは一日2回に減ります。そのような趨勢の中で、これだけの観客動員ができると言うのはすごいことだと思います。逆に言えば、プロダクト・ライフ・サイクルのミスジャッジが疑われもします。

 ただ、「チケット完売の満席」とのアナウンスは入りましたが、上映開始直前の時点でシアター内を見まわしてみても、それなりに空き席は残っており、金を払って予約しても、実際には現れない客が相当数存在するのだと悟りました。結果的には概ね8割少々の稼働率ではないかと思いました。(料金は回収しているのでしょうから、稼働率は100%ではあるのですが…)

 いつもの如く最後列に陣取ろうと私がチケットを買った時に、既に最後列に一つしか席は空いていませんでした。座ってみると、右隣が40代のあまり化粧っ気もない感じの女性一人客。左隣は30代前半と思われる、年齢の割に変にきゃぴきゃぴした女性の二人連れでした。

 最後列の右端から二番目の席なので、私の右側の女性は、そのスクリーンを観る視界の端っこに私が入っていて、あまりじろじろ見る訳に行きませんでしたが、上映中に数回チラ見した範囲では、かなり無表情で、何がどう面白いのか推測するのは困難でした。一方、左隣の二人組は、「きゃ」だの「ぷわっ」だの、何か言語化しない発声を何度もしたりしているのを、私の視界の延長線上で、それほどの不自然さなく観察することができました。手で口を覆って笑っているのが映画のどの場所か分かり、グル・インの表情読み取りのような感じになりました。

 私は全く知りませんでしたが、原作もかなりのヒットマンガのようです。そのファンにはまた見どころ笑いどころに違うものがあるのかもしれませんが、少なくとも左隣の二人組の笑いポイントや反応ポイントは私のそれらとかなり食い違っています。パンフレットをみると、原作マンガのキャラのイメージは非常に忠実に再現されているとしか思えません。キャラの一致度合いを何らかの統計的な処理をして無理に出したとしたら、この作品が89%ぐらいで、先般観た『寄生獣』が24%ぐらいに思えます。作り手の熱意が感じられます。

 パンフで原作者は、「「(変なキャラクターが多いので)やっていただくことになった皆さんにただただ申し訳ない!!!」と青ざめるばかりでした」と言っていますが、その変なキャラにこれほどまでに皆が成り切っている実写作品はなかなか見当たるものではありません。「名だたる女優さんが、俳優さんが(中略)現場でお会いさせていただいたら、完全にいつものオーラが消えていて…」と原作者が書くほどに馴染んでしまっていたと言うことのようです。

 主役の能年玲奈を私はよく知りません。彼女を一躍“時の人”に仕立て上げた『あまちゃん』も、番組評や文化評論的な文章を幾つか読んだことがあるだけで、なぜか全然関心が湧かず、全く見たことがありません。彼女の出た映画は、最近で言うと『ホットロード』だと思いますが、観ていません。私が大好きな映画『告白』にも出演していたと言う話ですが、誰の役だったかさえ私は分かりません。観てみて、オタク風体でも自然で、かわいく変身しても、頷ける魅力も分かりましたし、パンフで篠原ともえが、「能年ちゃんは、近くに行くと、音がする。“キラキラ”って」と言っているのも宜なるかなとは思います。しかし、私は特に好きになることもありませんでした。

 私がこの映画を観に行ったほぼ唯一の理由は、アフロ頭の鉄道オタクに成り切った池脇千鶴です。多少はしゃいだ場面やキャラは、幾つかはあったと思いますが、基本的にシリアスなドラマに出演し、そのドラマのテイストを主軸となって支えているような役が多かったように思いますし、また、そのような彼女の演技が冴えていて私は好きです。特につい最近観た『そこのみにて光輝く』は最高です。古くは『大阪物語』、『ジョゼと虎と魚たち』、『ストロベリーショートケイクス』、『はさみ hasami』など、彼女が主役級で出ている、結構好きな映画が挙げられます。準主役級では『凶悪』も印象深い役柄でした。

 その彼女が、「いきなり。ここかよ!」と言うぐらいに、今までの配役のドメインから大きく、よく言えば踏み出した、悪く言えば踏み外した役をやったと言うのをぜひ見ておきたいと思ったのが、最大の鑑賞動機です。良かったです。こんなバカな役が、こんな風に演じられる人だったんだと、新鮮な感動がありました。普段は目が見えない程に被り込んだアフロヘアーで、松坂牛の肉を前にした時だけ、目が光り、肉の銘柄を当てる能力を発揮する…など、到底、『そこのみにて光輝く』で泣き苦しみながら実父の射精を手で促していたシリアスな役どころをやっていたのと同一人物とは思えません。マンガの原作者同様、驚愕させられます。

 池脇千鶴が最大の動機でしたが、他にもちょっと見たかったのは、篠原ともえと太田莉菜の変貌です。前者はあの“シノラー”のイメージしか私は持ち合わせていないところから、いきなり、枯れ専オタクです。いつも地味なカーディガンを着て、常に前かがみで、ぼそぼそ話すおかしなオバハンです。さらに、モデルでもあり、私が『脳男』で、今となって変人奇人専門女優としか思えない二階堂ふみとレズ関係にある連続爆弾魔のおねえちゃんを演じた太田莉菜です。いつも冴えない緑色のジャージを着て、これまた前傾姿勢で、幽霊のような手を前に折り出した姿勢でうろうろ歩き回る、エキセントリックで、出演者の中で最も過剰な反応をする三国志オタクです。話す声色まで、何か尋常ではない作り物状態で、本当に驚かされます。

 非常に残念なのは、能年を取り巻く腐女子の連中四人が、大抵、ほとんど同時にべらべら畳み掛けるように会話をするので、ちょっと注意が散漫になると、誰が何を言っているのか、噛み締めて楽しむことができないことです。この四人には際立った個性があり、劇中でもそれが十分に把握され、彼らが住む天水館(私は「てんすいかん」だと思っていたのですが「あまみずかん」でした)の中のグッズなども、本当に凝りに凝った配置が為されていることも分かります。

 だからこそ、その四人の拘りや性癖がもっと個別に描かれていたら楽しめたのにと思えてなりません。能年ファンでも、モコミチ・ファンでもない、超少数派の意見だとは思いますが、私の狙いはそこだったので、折角の変貌ぶりをもっともっと楽しみたかったと思います。

『プリティ・ウーマン』などから、ありとあらゆる作品が並ぶ、典型的シンデレラ・ストーリーで、その意味では、ストーリー展開には、何も新しいものがありません。地上げ屋に狙われた場所を一発逆転で住民が勝ち残る話も、「立ち退き話」だの「取り壊し話」など、幾らでも思いつきます。あまりにクリシェです。そんな設定なのに、妙に面白いのは、やはり登場人物たちの強力な個性が、きちんと描かれ、それが今の世の中の断片を幾つもリアルに組み合わせた物語の妙になっているからなのだと思います。

『腐女子彼女。』と言う映画が嘗てありましたが、私には何が面白いのか全く分からない映画でした。ストーリー展開その他、全く目新しさも面白さもヒネリも感じませんでしたし、それ以上に、「“腐女子”と取り敢えずタイトルにつけてみたら、マーケティング的に多少有利かも…」ぐらいの配慮の結果のタイトルだろうとしか思えないほどに羊頭狗肉状態でした。それに比べて、この作品は立派に「腐女子彼女たち。」の位置づけに屹立しています。腐女子に特に関心がある訳でもない私ですが、(多分)原作に忠実であろう作品コンセプトを愚直に追求した姿勢には喝采しかありません。

 おかしな池脇千鶴を何度も観るためにも、DVDは買いです。