『マップ・トゥ・ザ・スターズ』

 月曜日の夕方、18時15分の回です。新宿武蔵野館でも徐々に上映回数が減り、最終週の今週は一日一回の上映になっていました。しかし、人気のほどはなかなかで、どうみても40人以上は観客がいました。封切から約一カ月を経た状態にしては、好況だと思います。老若男女偏在ない構成の客層でした。

 観に行った理由は、監督のクローネンバーグです。最近作では、映画館で見逃してしまった『コズモポリス』や、これも映画館で見るタイミングを逃しDVDで観た『危険なメソッド』など、「ああ、なるほど。クローネンバーグのテイストだよね、一応」と思える、私にとっての佳作もあります。しかし、私にとってのクローネンバーグは、多分全洋画で一番人気ぐらいの『デッド・ゾーン』です。他にも『ヴィデオドローム』、『ザ・フライ』、『クラッシュ(1996)』などの強烈な印象を残す映画もあります。さらに、海外の女優で私の一番人気のジェニファー・ジェイソン・リーを配した『イグジステンズ』なども忘れ難い作品です。

 私が仮に好きな洋画ランキングを200位ぐらいまで作ったとしたら、その中の比較的高位に多数の作品が集中している監督なので、比較的新しい映画も観ておかなくては、と言う感覚です。それは、まるで、以前ものすごく好きだったバンドの新譜は今それほど盛り上がってなくても、惰性もあれば、以前の熱狂を与えてくれたことに対する恩返しも込めて、買って行かなくてはと思ってしまうことに似ています。

 パンフレットを読んでも、そのような切り口でのコメントがないので、私の作品理解度に少々自信が失せているのですが、この作品は、ハリウッドの二つの家庭が、一つの映画の呪縛から逃れられなくなって破滅していく物語です。二つの家庭と言っても、一つは、ジュリアン・ムーア演じる売れなくなって焦燥を募らせるベテラン女優の一人暮らしですので、基本的に一つの家庭と個人一人と言った方が、正確かもしれません。

 作品中に何度も登場するモノクロ時代の名作映画があり、それはジュリアン・ムーアの母親の有名スターが演じたものです。そのリメイクが作られることになり、自分がキャスティングされないことに対して、どんどん醜い自分の心証を劣化させていくジュリアン・ムーアの姿が描かれていきます。

 一方で、もう一つの家族は、夫妻と一姫二太郎の子供がいます。子供二人は過去に留守番で家において行かれている最中に仲よく遊んでいるうちに、何かのきっかけで火災を起こしてしまいます。息子の方は、まあまあ無事で済んだようですが、姉の方は全身に火傷を負い、放火を起こすような精神構造と言うことで、裁判所から治療と更生に専念するように言われ、家族と引き離されます。残った家族三人にとって、この姉の存在はタブーとなります。

 ジョン・キューザック演じる父は、セレブ御用達のヒーラーで、リラクゼーションと変なスピ系の何かが組み合わさったような施術をする商売で、書籍も出版する予定があり、テレビなどにも出演する有名人です。息子の方は、売出し中の子役から若者役者に変貌しつつある感じの立ち位置です。いきがって、どんどん横暴になり、典型的な鼻につく芸能人よろしく、付き人に暴言を吐いたり、共演者である子役を自分より目立っているからはずせとマネージャーに命じたりします。おまけに、ヤク中で、リハビリでもう立ち直ったといちいち証明しなくてはオーディションさえ受けられないような状態です。

 ジュリアン・ムーア演じる女優は、ジョン・キューザックのヒーラーの得意客ですし、ジュリアン・ムーアが(本人が演じる)キャリー・フィッシャーから紹介されて小間使いとして雇ったのが、フロリダの施設から抜け出してきた例の放火犯の姉です。ここで、二つの登場ユニット(一家族と一個人)はクロスして、物語が進んで行きます。

 ハリウッドに戻ってきた姉が主人公でストーリーは進みますが、この姉が子供の頃から観ていて影響受けている映画が、例のモノクロ名画です。イマイチ私の理解が怪しいですが、どうも本来あってはいけない関係の思春期の男女が恋愛に陥る話で、二人が見つめ合い、寝転がっている場面で、延々と読む詩があります。

 古い価値観からの脱却を謳う詩で、それが、この劇中劇の二人の関係を肯定するものとして登場しているようです。これを例の姉が子供の頃から好きな理由は、この姉が実の弟を愛してしまい、幼さ故にセックスなどはしていないものの、結婚式のまねごとをやっていたりするほどでしたので、その映画や詩の中身が自分に投影されたと言うことのようです。ところが、中盤で明らかになっていきますが、姉がそのような心情を持ち合わせるようになったのは幼少期に、自分の両親が実は、“実の兄弟”だと言うことに気づいてしまったからという話になっていきます。

 つまり、姉の過去の事実や存在そのものがタブー化されたのは、単に、自分の子供が自分の家に放火したと言う事実のゴシップ性ではなく、さらにその先の、自分達の近親婚や近親相姦をひた隠しにするためだったのです。姉の数年ぶりの登場により、あちこちに潜在してきた歪みが顕在化し、家族は破綻していきます。特に、ヤク中の人々の幻想や幻影に振り回されるシーンは、クローネンバーグのお家芸で、とても自然で美しく、椰子の木が並ぶハリウッドが舞台なのに、何かゴシック調の様式美を感じずにはいられません。

 国内では、オタクの定番シチュエーションとして「うちの妹が…」的な話は有り触れていて、兄妹・姉弟の近親相姦劇は、少なくとも海外程には嫌悪感や背徳感がないように思います。セレブだからゴシップネタとして大騒ぎすると言うことは一応分かりますが、後述するような悲劇的結末に至るほどのことなのかと、日本人感覚としては思わざるを得ません。キリスト教世界の人々や狭量な戒律を押し付けてくる(一神教の)神を崇める人たちは、色々と自責の種が多くて大変だなと思います。

 物語は展開して、ジュリアン・ムーアは数々の暴言や傲慢を曝したのち、自分の魅力を誰かに承認してほしくて我慢できなくなり、例の姉のボーイフレンドを誘惑してセックスします。さらに、姉の失態を責めて罵りが講じたところで、姉に撲殺されるのでした。ヒーラー一家の方も、まずは息子が、ヤク中で幻影に取りつかれるようになって、腹立たしく思っていた共演の子役を扼殺してしまいます。それで芸能人としてのキャリアを失って、家族からの期待もすべて失います。それを悲観してステージママの母は(既に姉の登場で、近親相姦の事実が暴露されることに怯えていたので)思いつめて、焼身自殺を遂げます。暴力シーンもクローネンバーグにはスタイルがあり、撲殺や扼殺、焼身自殺など、或る種の乾いた美しさがあります。

 総じてみると、クローネンバーグなのですが、やはり、以前のスリラーやサスペンスドラマのテイストを知ってしまっていると、どうも、この類の映画でのクローネンバーグの魅力が削がれてしまいます。良い映画です。クローネンバーグの作品らしい作品でDVDは入手の価値があります。しかし、ハリウッド・セレブのセックスやヤクにまみれた傲慢が、みるみる凋落していく物語は、クローネンバーグ・スタイルでわざわざ見なくても、最近であれば、『インフォーマーズ セックスと偽りの日々』や、古典的名作で見ると(若者劇としてのテイストが強いですが)『レス・ザン・ゼロ』などで、やりつくされている感じがします。単なるシニカルなハリウッド・セレブ劇で見ても、ロバート・アルトマンの幾つかの作品を超えるモノにはなっていないように思います。

 悪い作品ではないのですが、なぜクローネンバーグがこの作品を手掛けたくなったのか、その結果を本人はどのように考え評価しているのかが、今一つストンと落ちないのです。