『鉄砲玉の美学』

 無料鑑賞券を友人から貰ったので、土曜日の午後3時少々前の回を観に行きました。池袋東口から北側に少々の場所にある所謂名画座系の映画館です。二本を交互に上映する昔ながらの二本立てのスタイル。ただ、『祝 80歳&監督生活50周年 遊撃の美学 映画監督 中島貞夫映画祭』と言う企画の中の一日だけの上映なので、日替わりで上映作品は二本ずつ変わっていきます。その日の二本のうち、この映画はこの日に三回上映されています。

 13日間に渡り、この監督の映画を合計26本上映するものです。11月9日から始まる企画全体のほぼ真ん中の日。土日のせいなのか、いつもそうなのか、やたら映画館は混んでいました。8割以上は客席が埋まっているほどの混雑状況の中、観客のほとんどは男性で、一カ所しかない狭いトイレは、一般的な混雑の仕方と全く逆で、休憩ごとに男性の方で長い行列ができていました。

 ロビーでは、映画関係の書籍を多数並べて販売するコーナーがあったり、“新文芸坐友の会”の案内があったり、人々の娯楽の殿堂であった雰囲気を残しつつ、それなりにきちんとリニューアルされていることが分かります。マルハンが同じビルに入っています。池袋の時代の移り変わりに詳しい人物からは、ホモセクシャルの人々のたまり場の以前のイメージが強い場末感などを排しつつ、昔ながらのオペレーションのありかたなど、そのスタイルを残すことに対して、マルハンが援助を行った結果と言う風に聴きました。確かに同様のスタイルを残しつつ、比較的近年閉館した三軒茶屋の映画館などの館内状況と比べると、かなり垢抜けています。

 渡瀬恒彦主演の1973年のヤクザ映画です。しかし、ヤクザ映画と括るのはシンプル過ぎるのかもしれません。この監督によって、従来のヤクザ映画と全く異なるジャンルと看做すべき映画スタイルが確立されたなどと映画評にも書かれています。さらに、チラシによれば、当時としては初の試みである、ロックの曲の挿入があり、電脳警察と言うバンドの曲が最初と最後で鳴り響きます。

 以前読んだ『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』の中には、日本映画の観客動員数が延びた背景に、テレビ番組の映画化があると説明されています。それは単純にテレビ番組の映画化と言うことではなく、テレビ番組制作をしている人々がその発想で映画を作ったと言うことです。その結果、気軽に見られる娯楽作品は多数創出されることになりましたが、それは最早映画ではないと言う意見も数々紹介されている面白い構成でした。テレビ化の結果、できた映画には、人間の醜さや欲深さが裏打ちする“日常”が失われたと語っている監督の意見も載っていました。そこで紹介されている例が、薬師丸ひろ子主演の『セーラー服と機関銃』でさえセックス・シーンが日常の延長線上に配置されていることでした。確かにその前後の『戦国自衛隊』などの当時の家族向け娯楽大作のような作品でも、乱交シーンがあります。『セーラー服と機関銃』のセックス・シーンを演じているのが、まさに本作でも主演の渡瀬恒彦であることに驚かされます。

 確かに、チラシには「エロチシズム・バイオレンス・アナーキズム 混沌の中にすべては存在する!」と言うキャッチ・コピーがでかでかと書かれています。他の作品もタイトルからして、『セックスドキュメント 性倒錯の世界』や『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』など、今なら普通に映画館の看板に書くことさえ、かなり憚る感じがします。確かに本作もそういう映画です。

 ただ、タイトルが言うような「美学」はあまり見つからないように思います。チンピラがヤクザの組の一員と持ち上げられて、変に小物ぶりをあちこちに露呈させながら、敵地で過ごし、最終的には組同士の“手打ち”によって行き場を失い、破滅するストーリーです。太く短く生きることに憧れていながら、いざそれが手に入ると、それを自分のものとして暴れまわることもできない中途半端さが、生々しい描写で続きます。

 主人公の役名は小池ですが、今は亡き、刑事コロンボの声優として私も慣れ親しんだ小池朝雄が渋い敵側幹部を演じていて、主人公に向かって何度も「小池さん!」と呼ぶのが、何かやたらに異様でした。

 東西冷戦が激化し、核戦争が起きれば本当に世界が破滅すると言う危機感や厭世観が世の中を覆っていた頃、国内でも数々の社会を揺るがす事件が起こり不安が蔓延していた中の、人々の価値観や世界観がとてもよく分ります。主人公がヒモとして身を寄せていたソープ嬢が、多分世界でたった一人、彼を救う手を差し伸べますが、彼はそれを撥ね退けます。彼が商品として置いて行ったアンゴラウサギたちは、彼女が用意した餌をただ黙々と食べ続けます。彼女とウサギたちの様子を主人公の破滅する人生に対照させる手法はとても印象的です。

 面白い映画です。ただ、『女地獄 森は濡れた』など、私が好きな当時のこの手の映画の幾つかに比べて、娯楽を狙っているせいか、何か物足りないのです。この内容で「美学」と謳うタイトルのミスマッチ感も私にはあまり評価できませんでした。DVDは要りません。