渋谷の北のはずれの映画館。再び行ったのは火曜日の午前中、9時40分からの回です。封切から三週目。シッチェス映画祭とか言うイベントの一環の上映の模様です。そのような作品だからなのでしょうが、この作品の知名度は低く、館内にパンフレットもない状態です。大体にして、ストーリーも、事前に映画紹介サイトのあらすじを読んでもよく分らない作品です。
製作もオランダ・ベルギー・デンマークとなっていて、少なくとも私には判別のつかない文字がたくさん書かれていました。観客は私以上の年齢のような男ばかり4人。(映画が終わった12時少々前の時点でこの映画館のロビーにいたのも、数はたくさん増えているものの、私より年齢が上そうな男性ばかり。変わった客層です。)
一般の人々の家庭に、一人の“異物”のような人間が居場所を作り、その後、どんどん仲間を引きこんで、家庭を乗っ取っていく物語…と映画紹介には書かれています。映画紹介のサムネイル画像には、ベッドで半裸か全裸で横たわる男女とその間に独りしゃがみこんだ状態らしき、全裸の男が映っています。色々な可能性の展開を想像させます。
『闇金ウシジマくん』のネタにもなっている北九州監禁殺人事件の話のようなものかとも想像できますし、SFネタで比較的地味目な異星人の話でもあり得そうです。ホラーものやカルト宗教ものも想定できます。そして裸のサムネイルから連想させるエロチック・サスペンス系なども濃厚です。そんな想像で観に行ってみることにしましたが、そのどれにもぴたっとはまらない展開でした。どれにもはまらないから斬新とも言えますが、どれにもはまらないから、理解がなかなかできないとも言えます。
最大の謎は二つで、彼らは誰なのかということと彼らの目的は何なのかということです。異物の人々は、何かの目立った超能力を出す訳でもなく、外見的にも人間そのままなので、仮に異星人だったとしても、ほぼ能力的に人間と同じだと推察されます。そして、人間だとしても、どのような経緯で発生した集団であるかなども、一切説明なしです。ヒントになるのは、映画の冒頭に村人三人が雑木林のような所に集まり、ある場所に当たりを付けて、地面を刺したりするエピソードです。下には空洞があって、そこに人が住んでいることが分かります。別の出口から抜け出た髭面の人物は、同じ林の中に同様に棲んでいる二人の男を地面をノックして回って訪ね、すぐ逃げるよう警告して話が始まるのです。
ちなみに土に埋まって暮らしていても、一応それなりのジャケットにズボンと言う姿ですし、小さなボストンバッグに全財産を入れているようで、すぐに一応普通の路地を歩いているような人間として、移動に入ることができています。合計三人の男は地中からこのように出て来ますが、後に登場する女性二人は、路上を歩いて旅しているような状態から、いきなり、ストーリーに踊り込んできます。人間と言えば人間としても十分理解できる範疇の“異常さ”です。
さらに、彼らの目的はもっとはっきりしません。狙いをつけた家庭の庭師やホーム・ドクターなど、周辺の人々は容赦なく殺害します。それほどの手間をかけて手に入れた従属的・隷属的な人間たちも最終的には多くを殺してしまいます。乗っ取った家にも長居はしません。乗っ取った家庭から若い人間だけは従属的に“加工”して、仲間に取り入れる様子からすると、一応、自分達の集団を大きくすることが目的であると推量されます。しかし、これとて、それが目的なら、カルト教団などの手法を見る限り、もっと手っ取り早い方法があるように思われてなりません。
サムネイル写真にあったベッドのシーンでは、主人公で集団のリーダー格の男が、どうも個人的特殊能力らしき、夢を操る能力を発揮しているだけでした。狙った家庭の妻に悪夢を見せて、夫婦を不和に陥らせる細工でした。その他にも催眠的なことをしている様子が幾つか見られますが、特段、具体的な手法は公開されていません。あとは、普通のメスなどの外科手術道具を使って、体の中に何かの薬物を直接埋め込んで、対象者の主体性を削ぎ落しているような感じがありますが、これについても全く説明がありません。殺害の際には毒物を飲ませることが比較的多いのですが、その毒物についても、全く説明がありません。
面白いのは、洗脳対象の女性がどんどんセックスを求めてくるようになっても、集団の男性メンバーは一様にそれを拒むことです。最初は所謂“焦らし”的な放置プレーなのかと思っていましたが、どうもそうではなく、本当に彼らの行動プログラムにそれが組み込まれていない感じです。余計のこと、何が彼らの目的なのか手掛かりがなくなってしまいます。確かにこういう集団が跋扈するようになったら、多分社会問題化するよなとは思いますし、村単位でも、冒頭のシーンのような直接的な排斥行動が起きて不思議ないと思います。むしろ、村のようなサイズのコミュニティの方がそのような結果に至りやすいようには思います。しかしながら、説明的な要素がほぼ全くないので、あまりに手掛かりがなく、こちらも放置プレーされたような気もしないではありません。
抽象画のような構成から何かを読み取れと言うのであれば、日本以上の格差社会において、富める側に利するようにできている社会のルールを部分的に無視することで、社会から一見排斥されている者たちが、簡単に実効支配に打って出られるとか、そう言った構造の象徴として解釈できなくもありません。
映画評には「究極の悪を描いた」とか「奇想天外な物語」などの表現が為されています。しかし、「究極の悪」に関しては、一応殺人数もそれなりにはありますし、動機不明の理不尽さや不条理さは確かにありますが、定義の仕方によって、「究極の悪」はもっと多種多様に無数の作品に描かれているように思えます。また、「奇想天外な物語」は語らないことによってできると言うことなのかもしれませんが、それであれば、『アンダルシアの犬』などの方が余程奇想天外です。流石に、『アンダルシアの犬』は物語と言えないということであれば、それなりに物語風になっているのに、迷宮に落ち込むような作品群も、私の大好きな『ジェイコブズ・ラダー』など多数あります。
どうも、観るべきポイントさえも全く分からないので、DVDは不要です。
追記:
当たり前ですが、日本の名作アニメの『超音戦士 ボーグマン』とは一切関係ない物語です。