『記憶探偵と鍵のかかった少女』

 三連休の二日目の日曜日。夜10時少し前の回をピカデリーで観てきました。封切から約2週間。明らかに終電に引っかかる時間枠でも、主に若いカップルを中心に30人以上、観客がいたように思います。

 この映画を観に行くことにした理由は、やはり、最近“趣味と実益”を兼ねて実際にできるようになってきた催眠技術の中で、最も深い段階に至るとできる記憶支配にかなり構図が似ているので、何かの参考になるかと考えたことです。端的に言うと記憶は捏造できると言う論点が、具体的にはこのようになるのかと言うことで、色々考えさせられる所はありました。

 自分が、つまり自分の“意識”が、覚えていないとしている事柄でも、実際には“無意識”が五感に捉えられたもの、若しくはそれ以上の何かを、きっちり記憶に留めています。ちゃんとした技術を持つ催眠者が行なえば、退行催眠で、自分の小学校時代の隣の席の子供の名前を思い出すことも可能です。その名前を催眠状態で書かせると、小学校時代の筆跡に戻っています。これはヤラセでも何でもなく(できる技術を持つ催眠者には)できることなので、今、意識的に思いだせないことでも、記憶から引き出すことは可能だと私は思っています。

 ただ、問題なのは、その記憶が現実ときちんと符合しているものとは限らないと言うことです。耳目が情報を認識しているのではなく、“無意識”が外からの情報を認識して、それらを記憶に保存して行きますが、そのプロセスで、自分の思い込みや価値観、その他によって、記憶は歪められていることは当たり前に起こります。ですから、覚えていないことでも、記憶から引き出せますが、それが客観的事実と異なることはままあることになります。

 もし、その客観的事実と異なる記憶を引き出した時に、それはどのように判定することができるのか。その問題が劇中で起きた時、主人公の記憶探偵は、自分がその場に入り込んで目撃している記憶の場面について「捏造した記憶は、時間経過などの細部で辻褄が合わなくなっているので、時計が止まっていたりする。細部がきちんと再現できていないこともよくある」などと言っています。なるほど、と膝を叩く感じでした。

 しかしながら、記憶について“捏造”されたものがあると言うことは、そうでなければ、“真正”の記憶が存在すると言う前提であることになります。またぞろ、西欧人の思い込み的二元論かよとがっかりします。多分、そんなデジタルなものではなく、記憶は先述のようなプロセスで保管されるが故に、皆相応にいい加減なもので、どこにも現実と100%合致する、つまり西欧人が大好きな“真実”など見当たらないのではないかと私は思います。いずれにせよ、「時計」のクダリは、なるほどと思うに十分でした。

 一級のミステリーとか、優れたサイコサスペンスと言う評価が、あちこちの映画評で見受けられますが、私には全くそのように思えませんでした。他人の意識に入り込む『リアル 完全なる首長竜の日』は傑作でしたが、この作品はその足元にも及びません。記憶に入り込むと言う設定はぱっと思い当たりませんが、夢に入り込むなら『悪夢探偵』や『インセプション』などの名作がばっちり存在します。アニメでも、筒井康隆原作の『パプリカ』は先駆的な傑作です。これらに比して、全くひねりが無く面白くないのです。構造的には、何となく『シックス・センス』に似ていますが、特に驚きが伴うどんでん返しでもありません。

 蠱惑的な少女に中年男が翻弄されるストーリーとしても、のめり込み方も中途半端なのに、やられる所だけ妙にぼろくそにやられてしまいます。これなら『ロリータ』の主人公の方がよほどマシですし、本人達の方が被害者的立場でしょうが、『プリティ・ベビー』のブルック・シールズや『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターの方が数十倍妖しい魅力があります。最近の邦画なら『渇き。』がド外れでしたが、『私の男』の二階堂ふみなどは間違いなくそれです。

 その中途半端な妖艶さを持つIQがやたら高いと言う少女に、あっさり記憶の制御法をマスターされ、「時計が止まっている!」と記憶の捏造を指摘しても「あの学校の時計は本当に止まっているんだ」と抗弁されると、「ああ、そうか」と納得する中年男。おまけに電話がかかってきたりすると、すぐに「何があったんだ!」クライアント宅に押し入る様に駆けつける中年男。おまけに、卒業アルバムを預かってからさっさと見ていれば気付けたはずの見え透いた工作を全く疑わないなど、馬鹿げています。

 なぜ、別にセックスを煽って来る訳でもないJKにここまで中年男がプロとしての判断そっちのけで入れ込んでしまうのかが、全く分かりません。これが、セックス三昧に耽ってしまった相手とか言うのなら、まだ分からんでもありませんが、オタク的目線で観ても、エロ要素がほとんどないJKが、馬鹿でも分かるような見え透いた嘘やトリックを仕掛けてきて、それにまんま嵌ると言う構図には呆気にとられました。

 呆れてみていたら、結末の事件が具体的にどんなものだったのか、よく分からないままに終わってしまいました。結局、高IQJKが偽装で死んで自由を得たと言う話なのか、彼女を施設に入れようとしていた両親を殺害したと言うことなのか、よく分かりません。

(パンフの解説によれば、自分を殺害されたものと見せかけた前者の解釈がされていますが、私の記憶では、中年男を尋問する刑事が、「JKと逃避行に出たくて邪魔だった両親を殺したんだろ」と言っていたように思いますので、後者の説と言うことになります。まあ、記憶はアテにならないと、この映画に言われなくても分かっていますが…。)

 結末がよく分かりませんが、映画の価値そのものにあまり関係のないポイントであるように思います。重厚感があるような感じで作られていますが、早々にネタばれ感満載で、自分が集めた現実の証拠や証言を無視して、上司には自分の能力を評価しろと迫りつつ、エロくもない高IQJKが仕掛けるダサい罠にバンバン引っかかり、結局、身を滅ぼしかける中年男の、全く馬鹿丸出しの物語にしか見えませんでした。

 ちなみにタイトルの“カギのかかった少女”と言うのは、全く意味を為していません。どこにカギがかかって見えない様になっている記憶があるのかと思って、記憶のダイブのシーンを目を皿のようにしてみていましたが、全くそのようなものが登場しないうちに、「ああ、これはトリックと言うことか」とすぐに分かってしまい、興ざめでした。『記憶探偵と色気もないのに小悪魔気取りの天才少女』として貰ったらよかったです。原題の『MINDSCAPE』に少々何かを加えたようなタイトルでも充分通じたように思います。

 パンフを観ると、最近私が気に入って何度か読み返している『脳には妙なクセがある』の著者が、記憶についての解説を書いていました。非常に参考になる見解でした。この文章をゲットするために、約二時間の時間とパンフ代込みで2000円余りのコストを投資したと思えば安いものです。DVDは全く必要ありません。