『そこのみにて光輝く』番外編@厚木

 今年の始めから先月までの観たい映画ラッシュがまるで嘘だったかのように、観たい映画が激減しました。そこで、マイナーな映画などをチェックしようと映画.comのサイトなどを見ていて、偶然、今年4月中旬に封切のこの作品を未だに関東でやっている映画館があることに気づきました。調べてみると、それは厚木の映画館でした。

 東京に居られる数少ない週末に、普段行っていないところに足を伸ばそうと思っていたので、或る種、遠足気分で土曜日の夕方に出かけることとしました。実は、当初の検索時点で見落としていた筈はないのですが、なぜか、厚木行の直前にこの映画を六本木の(私が以前『ノ・ゾ・キ・ア・ナ』を観た)映画館でもやっていることに気づきました。しかし、遠足気分のキャンセルをしたくなかったのと、六本木のあの映画館の韓流のグッズ売場にはうんざりしていたことや、異様に深い大江戸線六本木駅の悪印象やらから、敢えて厚木に行くことにしました。交通費も含めると高くつきますが、厚木の映画館は一般1200円と言うのも魅力です。

 私が小田急線沿線の住民であった頃には存在しなかった小田急線の快速急行に乗りました。今は地下に埋まった下北沢のホームを後にすると、都内では最早一つも停車駅がありません。接続の関係で相模大野で乗り換えましたが、目を見張る速さで本厚木駅に(多分)生れて初めて降り立ちました。

 行きのルートでは、吉祥寺をギュッと圧縮したような駅前に感じられました。帰りは多少寄り道して駅に至ったのですが、風俗系の店舗も映画館付近に多数あって、客引きも多数たむろしていますし、飲み屋の雰囲気も、古き良き酒場的な賑わいがあるように感じました。町田ぐらいまでの小田急線の駅周辺の雰囲気と大分様相が異なるように思えます。基地の存在のせいかもしれませんが、横須賀などにも共通する、この手の猥雑さが多少なりとも残っている街が私は嫌いではありません。

 駅から徒歩で5分余り歩いたら、でかいイオンの筋向いにある市民ホール機能がメインのアミューと言うビルに辿り着きました。(どうも、駅の別の出口を出ると、すぐに地下道入口があって、ストレートにアミューにつける気配に帰りに気づきました。次回行くときには、そこを試してみたいと思っています。)その最上階に映画館はあります。名前は「アミューあつぎ映画.comシネマ」。映画.comとの提携で運営されているとのことで、商業臭くなく、如何にも非営利的な運営と言う感じがする、飾り気の少ない市民ホールのワンフロアをそのまま仕切って映画館にしたと言う雰囲気です。

 朝食以降ほとんど食べていなかったので、一階のセガフレード・ザネッティ・エスプレッソで冷製パスタを食べました。ここもまた、妙に広々としたスペースで、店員さんは三人がかりで客はその倍いるかいないかと言う状態なので、やたら地方の商業施設的イメージです。私は都会は大好きですが、必ずしも人口密度の高い店舗内は好きではないので、正直言って、このセガフレード・ザネッティ・エスプレッソは、とても好感が持てました。訓練したのではなく、本当にフロア業務に余裕があるが故の、自然体のホスピタリティの発露が感じられる接遇も、非常に好感が持てます。

 9階の映画館に戻ると、映画会員の募集などが、派手な告知もなく、会議室用横長テーブルのようなものに、並べてあったりします。やたらに広いロビーの何か中途半端な壁際の位置にぽつんぽつんとソファが置いてあり、ぽつぽつと客が入場時間を待っていました。ここにも見つかる人口密度の低い環境が、私は先述のように嫌いではありません。パンフレットの販売があまりないのは、封切から時間のたった作品ばかりを上映しているのですから、仕方ないこととはいえ、少々残念です。『そこのみにて光輝く』もパンフレットは販売していませんでした。(近日上映予定なのに作品によってはチラシも存在しないようでした。)

 ただ、作品選択には、とてもセンスが感じられます。10月の後半の予定には『her 世界でひとつの彼女』や『太秦ライムライト』が挙げられています。『そこのみにて光輝く』同様に、私が観たいと思っていて見逃してしまった作品群です。見逃してしまった作品群の中でも、DVDになる確率が低そうで、おまけに上映館も少なく、スケジュールが合わなくて見られなかった良作の類です。10月末から11月にかけて、また何度かここに足を運ばなくてはと思わせられました。さらに、映画館のスタッフの対応も、一階のセガフレード・ザネッティ・エスプレッソ同様の素人っぽいのに非常に丁寧で、熱心なホスピタリティの目線を感じます。吉祥寺のバウハウスや東中野のポレポレ、渋谷のアップリンクなどにもやや共通するスタッフの接遇態度ですが、スペースのゆったり感とあいまったほのぼのとした親近感はとても好感が持てます。

 土曜日の夜7時からの回。なぜか老若ごっちゃまぜのカップルがほとんどで、58席のミニシアターが半分ぐらいは埋まっていました。最後列に座ってみると、隣の席は椅子の部分が取り外され、「故障中」の貼紙がありました。座席が故障すると言うのは中々遭遇することのない現象です。それさえも、何か泥臭く、私が高校時代に映画館が一つもなくなってしまった街で入っていた「映画ファンクラブ」と言う市民サークルが行なっていた「シネ・マラソン」などの自主上映会を懐かしく思い出させました。

 色々なものを思い出させる映画です。舞台は夏の函館。山の採石場の発破技師で、部下を事故で死なせてしまって、その自責とトラウマに捕らわれ、立ち直れなくなった達夫。そして、イカの加工場で働いたりしつつ、毎晩体を売って稼ぐ千夏。そして、酔って記憶にない殺人を犯し服役した後、仮釈放となって、造園業の日雇いなどをしつつ、無為に過ごす、千夏の弟の拓児。この三人が主な登場人物です。

 発破作業の現場で命の軽さに向き合いながら働くなかで人々が抱く欲望の形と言う意味では、炭鉱の映画ですが『薄化粧』が連想されました。千夏の父は、脳溢血(だったと思いますが)で寝たきりになり、呂律もまわらない状態ながら、性欲だけは激しく残り、セックスのために妻を呼び続けています。映画の前半でこれに応じる母の姿は『キャタピラー』の寺島しのぶのものに酷似しています。

 母は日がなセックスを求められる関係から精神的に追い詰められていき、それを見かねた千夏は手で実の父の射精を促すことにします。これで千夏の日々は、客のみならず、自分の実の父の分まで、性欲処理の作業で埋められていきます。千夏も思いつめ、母を家の外に行かせておいて、性欲処理に当たっている途中から、父の首を絞め、飛び込んできた達夫によって未遂に終わります。介護疲れからの殺人は、いくつかの名作がありますが、私は20代の時に見て、老妻殺害の罪を引き受ける三国連太郎の姿に衝撃を受けた『人間の約束』が思い出されます。

 地方都市の独特の閉塞感の中に暮らす、息苦しく行き場のない生活の描写と言う意味でも、思い出す作品が多数あります。同じ北海道の港町と言うことなら、季節はだいぶ異なりますが、つい先日観た『私の男』が酷似しています。あまり方言がないと言われる北海道でも際立った方言が存在する沿岸地帯の方言が(青森に近い函館はまた独特なのですが)非常に似た雰囲気を醸し出します。都市のイメージは異なりますが、家族の閉塞感で見ると、『凶悪』で老父を殺人鬼に差し出す電気店一家もそうですし、『サウダージ』の家族像もそうです。『ジョゼと虎と魚たち』でまさに両足がマヒした池脇千鶴を“こわれもん”、“かたわもん”として扱い続ける老婆の家族も、印象が似ています。

 そして、売春に身を窶す女性の恋愛劇の類似事例は枚挙に暇がありません。自分の社会評価の低さを過剰に意識して、差しのべられた手を拒絶し続けた末に心を開いて、おずおずと伸ばした手でつかんだ刹那の夢が、ガラガラと音を立てて壊れる悲恋劇がほとんどだと思います。

 こうしたデジャ・ヴ的な作品がどんどん頭を巡るのですが、それらは、そのテーマを一作品全部で描いているのに対して、この作品はそれらの作品群が持つ共通の要素を、濃縮して、中途半端なエピソードにすることなく、びっちりと二時間の尺の中に詰め込んでいるのです。本当の愛に飢え、互いにそれを恐る恐る確かめ合いつつ、踏み出した達夫と千夏には、劇中、悲恋劇への展開を予感させる兆候が多数発生します。それでも、全編は、何の結論を見せるでもなく、希望を持って離れず歩もうとする二人の姿を描いて終わるのです。非現実的なハッピー・エンドもない代わりに、行き場のない現実に囚われ押しつぶされていく結末にも陥りません。記憶にない殺人で人生の軌道を狂わせ、学も知恵もスキルも度胸も何もなく日々を過ごし、最後に姉を守るために再度犯罪に手を染める拓児さえ、映画はとても優しく描いています。極めて優れたバランス感の物語を函館の有り触れた田舎街の背景に乗せることに成功した素晴らしい映画だと思います。

 登場直後にはしゃいで喋り捲る拓児の場面以外、セリフが非常に少ない映画です。一言二言聞き逃すだけで大事な何かを見失ってしまいそうになります。そんな中で、前述のような、数々の名作に共通する様々な要素を、そのまま濃縮して配置できた要因には、主役の役者陣、特に池脇千鶴の名演技が挙げられるように思います。

 若い頃より、何かむっちりとした、池脇千鶴はセックス・シーンでは、やはり貧相な感じが必要以上に強調されてしまっているようには思います。私が池脇千鶴を最初に意識したのは『ストロベリーショートケイクス』で、さらにその後DVDで観た『ジョゼと虎と魚たち』では、その生き様が感じられる役作りに驚嘆しました。『はさみ hasami』の彼女も見ていますし、『20世紀少年』の彼女も覚えていますが、どうも精彩がありません。脱いでエロティックさを感じさせる女優ではありませんが、表情や言葉、カラダのちょっとした所作の中に、情念のようなものが、やたらに滲み出てくる女優だと思います。そのような特徴が生きる映画の設定で、彼女の魅力は活きると言うことなのかなと思っています。脱ぐことのない役ですが『凶悪』の主人公の記者の妻の役は、日常で蓄積された不満を呪詛のように吐きかける役でした。

 現実に、周囲の老若のカップルを観ていると、どちらかと言うと、女性の方が、数々の濃厚なキス・シーン、セックス・シーンや性欲処理シーンも含めて、食い入るようにスクリーンを見つめ、帰途でも熱心に語っていたように思えます。私にはそれが池脇千鶴の魅力のなせる業に思えるのです。

 何度か繰り返し見た『ジョゼと虎と魚たち』のDVDのオーディオ・コメンタリーの中で、面白いことに、池脇千鶴本人は、自分のヌード・シーンを観て、「今度、整形しようかな。バーンと胸とか出す豊胸とか」と唐突に言い出し、妻夫木聡に物凄い突込みを受けています。一方、妻夫木聡が上野樹里にベッドで(着衣ですが)寄り添いキスするシーンでは、「うわ。見入っちゃう。コメントできないよね」と絶句している有様でした。彼女のセックス観や自分の体に対する評価が垣間見られる、非常に貴重なコメントだと思います。先述の通り、彼女のエロティックさは、普段の言動や表情に強く出るのだと思います。

 エンディングに至るまで、「ああ、何とかなってくれよ」と祈るような気持ちにさせる映画です。特に後半、気分は『Living On A Prayer』そのものです。明確なハッピーエンディングがある訳ではありませんが、人生を自分のものにするきっかけを二人して作ることができる確認だけで十分なのだと思います。すべてが終わって初めてタイトルが出るのもスタイリッシュで格好いいと思いました。

 DVDは当然買いです。