『鬼灯さん家のアネキ』

 木曜日の夜9時近くにスタートする回を久々の新宿武蔵野館で観て来ました。一日にたった一回の上映です。実は全国でも、この新宿武蔵野館と福岡の中州の映画館のたった二館でしか上映していません。中州でも一日二回の上映のようですので、合計で全国で一日たった三回しか上映されていない映画です。

 封切からたった5日目にして、最初からこの上映状態と言うのは、本当に理解に苦しみます。DVDオリジナルの作品ではないと言うための、申し訳程度の上映と言うことなのか、本当に配給を広げようと努力したのにこの規模にしかならなかったと言うことなのか、よく分りません。業界関係者の方に巡り合うことがあったら、是非、この状況の背景要因を聞いてみたいと思います。

 週刊誌の『モーニング』に連載中の『鬼灯の冷徹』のお蔭で、鬼灯と言う漢字が読めたところで、タイトルを観て、これは一体何なんだろうと、関心が湧きました。映画サイトの紹介によれば「セクシーでいたずら好きな義理の姉と童貞高校生の弟との日常を描く」と言う話で、その元ネタが4コマ漫画で、コミックは累計60万部を超えたと言う話を知り、観に行くことにしました。

 ただ、ストーリー展開などの予備知識はほとんどなかったので、武蔵野館に着いて、売店のカウンターにあったパンフレットのサンプルをペラペラと読み、色々知りました。ただ、その際に、血のつながらない姉弟の関係に波風を起こすきっかけとなる弟の同級生の女子、水野役を務める佐藤かよと言う役者の説明を読んで、彼女が戸籍上男性で、性同一性障害を持っていることを知りました。この事実を先に知ったのは、かなりマイナスだったように感じます。そのせいで、(本当にそうなのですが)どうしても女装した男子にしか見えず、何かずっと上映中違和感を感じることになりました。

 私は性同一性障害の人々を(敢えて言うなら同性愛者の人々をも)社会的に差別したりする気は毛頭ありませんが、どうも、男性間で感じる愛情などに全く共感できないため、基本的にその構図を観ることに違和感があります。その意味では、以前見た『美輪明宏ドキュメンタリー 黒蜥蜴を探して』も、優れた作品で、その中に描かれた美輪明宏の生き方も賞賛すべきものと感じましたが、この“違和感”が拭われることはありませんでした。

 主人公の血のつながらない姉弟、ハルと吾朗は両親の再婚で姉弟となりました。父の登山家の娘がハルで、再婚後すぐに亡くなった母の息子が吾朗です。モト冬樹が演じる父は、“山に登る以外に能がない男”と自称し、“家族のために俺ができること”としてヒマラヤ登山に出かけてしまっています。家にはボーリング場で働くハルとボーっとした高校生の吾朗が残されます。実は、吾朗には両親が同じ姉が一人いますが、その姉は多分、親の再婚に先立って結婚して家を出ており、雑誌の編集者をやっています。既に子供ができてから離婚して、幼い息子と二人暮らしをどこかでしています。

 映画は、冒頭から映画紹介にあるような、ハルの吾朗に対するセクシー系いたずらの数々を描きます。それは、たとえば、弁当箱を吾朗が学校で開けると、ご飯の真ん中に真っ赤なセクシーなパンティーが丸めて入っていたとか、吾朗が帰宅すると、ハルが裸エプロンで料理をしているなどです。これだけ見ると、ハルは全く訳の分からない色情狂のようです。そのくせ、ボーリング場の同僚のタヌキ顔の女子から、「処女?」と尋ねられるほど、実は変に男性関係にさばけていない人間です。この設定の折り合いの悪さは、中盤まで解決しません。

 異常ないたずらの連続を、本来、まじめ系のハルがなぜ行っているかには、ウルトラC的な設定が追加で明かされ、「おおっ」と納得させられます。母が亡くなり、新しい父は山に去り、ハルと吾朗が二人で残された時、吾朗は二段ベッドの下でマンガを読みながらスナック菓子を食べる典型的ひきこもりになったのです。そんな吾朗を初めてできた弟として、決して見捨てることなく、強くしかることもなく辛抱強く見守り、コミュニケーションのきっかけを探していたハルでした。或る日、偶然、吾朗が珍しくベッドから出てきて、母の遺影に合掌しているときに、ハルがパンティー一丁で風呂場から出てきて、吾朗がそれを直視する場面が発生します。その時、母が亡くなってから初めて吾朗は発話したのでした。それがきっかけで、ハルは、吾朗にエロ系のネタを迫ることで「引きこもってなど居られない状態」を維持することができると理解し、異常な数々のいたずらを始めたと言うことだったのでした。

 吾朗がまともに登校するようになり、ほぼまともになっても、ハルは吾朗との距離を取りかねて、態度を変えていません。そこから映画が始まるので、ハルは色情魔のように見えます。それが、周囲にも伝わり、単純に弟思いであったハルを、弟に執拗に性的モーションをかける変な女として認識していくようになります。面白いことに、この認識は観客の認識そのものでもあります。まともになった吾朗は、ハルのことがだんだんと気になり、何を考えているか分からない、同居している女性を恋愛の対象として意識するように変わっていきます。

 そこへ、同級生の水野が登場します。先述のような役者が務めている水野の役は、吾朗に接しているうちに、ハルに恋愛感情を抱いてしまう女子高生です。ハルの日常を知りたくて、ハルと吾朗の家にウェブカメラを仕掛け、常時監視までする状態になりました。ハルの日常が気になって仕方なくなった吾朗が仕掛けたウェブカメラに侵入していた水野が映っていたことで、盗撮が発覚します。盗撮で盗撮が発覚すると言う面白い構造です。

 詰問する吾朗に、水野は「どうしても気になって仕方がなかったから」と恋愛感情を吐露しますが、それが誰に対するものか明示しないうちに、それは吾朗に対するものと吾朗は勘違いしてしまいます。

 こうして、もともとエロ系の関心がないのに、弟相手に発情していると誤解されている姉。その姉がだんだんと気になってきて、おまけに彼女が自分に隠れてバイトを始めると、その身を案じ始めて嫉妬に狂っていく弟。その弟を好きだと皆に誤解されている、実は姉の方が好きな同性愛女子高生。この三人が出揃い、さらに、その周りを、ハルの意図を知らず、もう吾朗を弄ぶなと冷たく警告してくる実姉。そして、吾朗は可愛いのでハルが攻めないなら、私が攻めちゃうぞと、吾朗のレイプに成功しそうになる、タヌキ顔の同僚、美咲などが固めた、非常に複雑な恋愛劇の構図が完成します。おまけに、タヌキ顔の同僚の美咲には、今度はボーリング場の偏執的恋愛者の男性がコクって来て、さらに話を複雑にします。

 この展開がスピーディーに運び、二時間に足りない尺で、まあまあきちんとした落としどころに至ります。おまけに、前半はオタオタする吾朗の態度、嵩じて行く勘違いが、笑わせてくれますし、後半はハルの純粋な想いが徐々に明らかになってきて、泣かせる場面もそこそこ登場します。

 構成をみると、昔私がテレビで見て好きになり、実際に舞台も見に行った、泣かせる場面もふんだんに盛り込まれた藤山寛美の松竹新喜劇を彷彿とさせます。複雑な設定の中の縦横無尽なドタバタの面白さだけなら、私のベストはやはり『サマータイムマシン・ブルース』がダントツですが、この作品は、ドタバタ劇の上に、結果的に誰もが真剣に自分なりの相手への愛情を発現させた上で、相手を想うが故にその想いを留保する、相互の美しい思いやりがあふれています。

 強烈に記憶に残るような類の名作ではありません。しかし、相手を思いやる暖かさをあちこちに効かせた、コメディとしてみると、かなり秀逸な作品であるように思えました。さらに、タヌキ顔大好きな私としては、映画の出演が極めて限られている川村ゆきえが吾朗の実姉役でそれなりに登場する上に、新手のタヌキ顔アイドル古崎瞳(美咲役)まで発見できたので、非常に満足感が高いです。佐藤かよの違和感は残りますが、この優れた設定とそこここに現れるタヌキ顔女優たちの存在故に、DVDは間違いなく買いです。

追記:
 遺影としてしか出て来ませんが、亡くなった母の役は葉山レイコが演じています。先日も『ちょっとかわいいアイアンメイデン』で観たばかりです。遥か以前の彼女の写真集も私は持っていますが、40を過ぎている筈なのに、年齢を感じさせない美しさを維持しているように思います。

追記:
 調べてみると、ハル役の女優は、タレントとしても活躍中とか言う谷桃子と言う人物ですが、ネットで検索すると「30代のグラビアアイドル」として紹介されていることもあります。それより、劇中、明らかにかなり年上風に描かれている川村ゆきえはまだ20代です。劇中にその不自然さがないことに驚かされました。