『LUCY ルーシー』

 水曜日。バルト9の午後3時少し前の回を観て来ました。ロビーには、巨大な『進撃の巨人』の巨人の生首が置かれていました。ファンでも何でもない身からすると、かなり不細工な顔で、おまけに邪魔極まりないサイズです。

『LUCY ルーシー』は、封切から約二週間。バルト9では、一日に7回ぐらい上映している人気度合いです。シアターに入ってみると、女性客、カップル客を中心に、半分以上は席が埋まっていました。

 見に行った動機は、やはり、スカーレット・ヨハンソンです。この女優を私が初めて認識したのは、『アイランド』です。この映画は基本的に好きで、彼女が取り立ててよかった訳ではありませんが、映画全体の好印象とともに、彼女をきちんと記憶できた初めての作品です。それまでには、『ノース』や『ホーム・アローン3』、さらに、主役級の役を務めた『ロスト・イン・トランスレーション』でさえ、観てはいますが、どうも印象に残っていません。

『アイランド』とほぼ同時期に、『マッチポイント』や『ブラック・ダリア』が出ていますが、どうも好きになれませんでした。その後も、いくつもの作品に登場していたようですが、印象に残らないままに、数年が過ぎました。彼女を注目し始めたのは、やはり、『アイアンマン2』以降の一連のマーベル作品のブラック・ウィドウ役です。最初は台詞も少なく、アクションがウリでしたが、そのアクションのキレと微妙なエロティックさのバランスが中々で、私から見ると、今となってはアクション専門女優に見えるミラ・ジョボビッチなどよりも、余程、魅力的に見えます。

 この好感はかなり観客に共有されていたらしく、その後、マーベル作品中でのブラック・ウィドウの存在感はどんどん増して、先日封切になった『キャプテン・アメリカ』の続編では、殆ど主役級の存在感で、抑制されたエロティックさがとても際立って、光っている作品だと思いました。

 そのスカーレット・ヨハンソンが、ブラック・ウィドウほどのスピード・アクションはないものの、脳の未使用領域がどんどん覚醒した結果の(端的に言うと)“超能力者”に徐々に変貌していくドラマとなれば、観ない訳に行きません。まして、最近、趣味と実益を兼ねて勉強している催眠技術も、脳の未使用な能力を引き出す可能性を持つものとして着目されていることなどからも、やはり観ない訳にはいかないと言う感じです。

 パンフレットをみると、コメントを書いている誰もが、判で押したように「人間は10%しか能を使っていないが…」と繰り返しています。苫米地英人の書籍には『残り97%の脳の使い方』というのがあり、この話によると、3%しか使っていないことになるのですが、7%の差はどこから出て来たのか全く分かりません。とても米国人の平均が10%で、日本人の平均が3%ととも思えませんし。

 いずれにせよ、映画の中の説では、イルカは唯一20%の使用率を誇る動物で、その結果、エコーロケーションなどの能力も持ち合わせている…といったような説明が為されたり、20%を超えると、活性化した部分が他の部分を把握するので、ドミノ倒しのように眠っている部分がどんどん活性化を始め、結果的にいつか100%に近くなっていくようなことが言われています。

 覚醒率20%で外国語を一時間でマスターできるなどと言うのも、確かに催眠技術で集中力を上げたりし、同時にフォト・リーディング的なインプットのスピード・アップや、『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』に出てきたような記憶方法などもセットで入れ込むと、それなりに可能性は高まると思えます。

 覚醒率30%で自己の細胞のコントロールが可能になり、主人公ルーシーは髪の色を変えたりしていますし、その後も、体の細胞が死と再生を高速で繰り返して、チリ状になって空気に舞ってしまったりもしています。このレベルで行なうのは催眠技術でも無理だと思いますが、先述の苫米地英人の書籍にも、「癌細胞は自分にとって不要だから、出してしまう!」と暗示を入れたら、自分が担当していた患者に(多分便を通して)癌細胞の塊を排出させた、などと言った話が書かれていますから、或る程度はできるのかもしれません。

 40%で空気中の電波が見えると言う話になり、電波の中の情報まで読み取れるようになれるのですが、さすがにこれは困難かと思われます。電波は劇中では、『マトリックス』のデータの流れのようなカスケード状に天と人をつないでいますが、実際には、電磁波として360ステラジアン全部に放射されている筈ですので、ちょっと無理があり過ぎのように思いました。しかし、催眠技術で霊感を高め、オーラが実際に見えるようになるなどの話は非常によくありますし、気配を感じる能力を高め、確度がばっちりではないものの、透視や千里眼的な能力が発現するケースは、一応あります。

 その後、人間性を失うなどの状況になると言われていますが、映画を観る限り、何か密教の高僧か何かのような言動を取るようになっているだけです。これは、参禅だって、或る種の自己催眠体験ですので、禅僧のような悟りに至ったと考えれば、まったくおかしなことではありません。50%を待たなくても、簡単にこうなってしまいそうな気がします。

 劇中ではルーシーが、銃を構えた多数の敵を、いきなり眠らせてしまうシーンがあります。これも或る種の瞬間催眠の技術や古武術の技でも一応(ここまでの正確性があるか否かは別として)存在します。むしろ、ルーシーが後に敵を全員宙に浮かせ壁に押し付けるサイキック能力の方が、発現が困難だと思われます。同様にルーシーがテレビやPCモニターなどを自在にコントロールできるようになりますが、さすがにこれは難しいだろうと思います。ただ、催眠技術は何かの波動として対象者に伝わっていると言う考え方もあり、催眠実験の際に、照明に異常が起きたり、携帯電話に雑音が入ったりすることはあるとの話はよく聞きます。それを意図的にコントロールするのはかなり難しいこととは思いますが。

 他にもルーシーが銃で撃たれた傷から平然と(まるでターミネーターか何かのような無機的な動作で)銃弾を素手で抉り出すシーンがありますが、これも、催眠技術で痛みを抑えることは、かなり当たり前にできますので、実現性が高い技です。

 こんな風に、実際に催眠技術でできることと比較しながら見るとなかなか楽しめる映画ですが、それ以前に、この映画は多数の面白いポイントがあります。はすっぱなネーチャンだったルーシーがどんどん、超越的知的生命体に変貌していくプロセスは、非常にうまく作りこまれていて、観ていて引き込まれるものがあります。通称スカヨハのキャスティングの妙が、炸裂しているポイントだと思います。

(パンフによると、超越的知性を持ち合わせた存在になった頃の撮影時に、スカヨハはかなり時差ボケだったようで、ボーっとしていたら、OKがよく出たなどと言っているのが笑わせてくれます。しかし、よく考えると催眠技術はこのような微睡の部分に近い状態を使って行うものですから、非常に合理的な話だともいえます…。)

 そして、この作品の魅力はまだまだあります。それは、背景にある科学観の深さです。たとえば、ルーシーがまだミーハーネーチャンの時点でコリアン・マフィアの連中に捉えられるシーンがありますが、その時点ではあまり意味もないように感じられる、野生の動物の捕食画像が断続的に挿入されています。これは後に、進化の問題を扱っていく中で、人類を動物の延長線上において、思考が進む流れの前哨戦です。

 ルーシーは最終的に人類がかつて至った科学的思考の遥か彼方に到達し、それを人間の科学者と共有しようとします。この映画が単なる戦うヒロインものと一線を画している部分がここにあります。100%の覚醒率に到達したルーシーは、人間の形態さえ取らなくなり、タイム・トラベルなど時間操作も可能となって、最終的に『攻殻機動隊』の草薙素子のようになります。

 そこに至るまでのルーシーの思考は美しく丁寧な画像で描かれています。この作品はその意味で、アクションなどのジャンルでは決してなく、寧ろSFドラマです。例えば『アルタード・ステーツ』や『ブレインストーム』、『2001年宇宙の旅』など、邦画なら『パラサイト・イブ』などの系譜に位置する映画に感じられます。

 正確には再現できないのですが、「1+1=2は、そうではあるが、それは単純化した結果に過ぎなく、実際にはそうではない。分かりやすい答えを得てしまって、深い思考は必要なくなってしまっている」などのやたらに深遠なセリフが後半には集中して発生します。物凄い科学観の映画です。

 この映画の中で私が最も好きなシーンは、パリの街中のカーチェイス・シーンで追われる車を人間業とは思えないようなドライブ・テクニックで疾駆させるところです。助手席の刑事が、「死なない程度に頼む」のようなことを言うと「実際、人間は死ぬと言うことがない」などと哲学的なことを言います。

 確かに、ルーシーは人間の体を捨てて結果的に(「千の風」的な)不死の存在になっています。このルーシーの発言は、

●遺伝子レベルで、人と言う種は存続すると言うことやら…、
●魂レベルで輪廻すると言うことやら、
●もしくは名著『生物と無生物のあいだ』などにある通り、
 分子・原子レベルで、地球上の存在は皆一様に継続して存在すると言うことやら…
●はたまた、人間の存在は受け取る側の記憶の中に生きているのと言うことやら…

 色々な意味で、一応、本当です。

 そのルーシーの車を必死に追跡してくるのは、コリアン・マフィアのボスの男で、その価値観たるや、徹底して俗物そのもので、この対比が素晴らしいコントラストで、映画の中盤以降描かれるのです。目覚めない人間と覚醒しきった人間の相違がこのようなものであると言うことを描く一方で、エチオピアで発見された初期人類の化石の女性ルーシーもそこに並立させられます。人間の進化とはどのようなものになるのかを、飽きさせないアクション・ドラマの中に、てんこ盛りに盛り付けた、贅沢な映画に見えます。

 ルーシーが言祝ぐ知識の素晴らしさ。そして彼女が語る世界観。これらを今一度、検証するためにもDVDは絶対に買いです。