『GODZILLA ゴジラ』

 7月下旬の公開から3週間弱。バルト9の夜10時の回を観てきました。この日は映画を梯子しようと考えていて、この映画を観る前に、夜8時半から始まるたった1時間しかない映画が第一本目の予定でした。

 その映画は、新宿南口から徒歩数分のケイズシネマでやっていた『リュウグウノツカイ』で、米国の女子高生集団妊娠事件を日本の漁村に置き換えた物語と言う問題作です。当然ながら、女子高生役の女子が二桁出てくるのですが、その女優やら、監督が連日登場するイベントが行なわれて、出待ちのファンまで居る状態なのに、一日一回しか上映しない状態になっており、この日と翌日も、ずっと満員で見られませんでした。とても残念です。

 アニメ作品などでもそうですが、そこそこ客が入る状態なのに、一日一回限定として、満員で見られない状況を維持するやり方は、マーケティング的にはかなり正解と分かっていても、何か本当の意味でお客様満足を損なっているように思えてなりません。(同様に、世の中一般的な“行列を作る店は繁盛店”と言う認識も個人的には好ましくは思っていません。お客様にやたらの時間投資を連日強いることを当たり前としている経営感覚に微妙に違和感を覚えるからです。)

 少なくとも現時点では、大阪で再上映が決まっているだけで、東京での二週間が終わるということですので、たった一時間の作品でDVD化がされるのかも怪しく、見られる機会が今後いつになるのか全く分からない状態です。いつまでもDVDで好きな時に見られるような状態にならない名作『眠り姫』のような作品になってしまうかもしれません。

 そんな、落胆の状態で、仕方なく、二本目に予定していた『GODZILLA ゴジラ』を観に移動して、バルト9でPC仕事をしながら時間をつぶしました。小さなシアター内は半分以上席が埋まっていたように思います。終電時間にかかっている上映時間を考えると、かなりの客入りだと思います。

 ゴジラ・シリーズは、昭和ゴジラがリアルタイムで見るには少々古すぎて、子供の頃に銭湯の壁に大きく貼られたポスターで何度も観たことがあるような記憶が残っているだけです。赤塚不二夫の『おそ松くん』から流行したポーズの「シェ?」をするゴジラなど、どうも、子供狙いに偏り過ぎていて、その後も、世界的に有名になった第一作目以外、DVDでも観ていません。後に「昭和シリーズ」と呼ばれる当時のゴジラは、私が小学校のうちに終了しました。世の中への浸透度合いとは関係なく、私にとってゴジラは単なる“古い怪獣モノ”映画の怪獣でしかなかったのです。

 その後、20歳を過ぎて、初めて上京している頃に、平成ゴジラシリーズと括られるゴジラシリーズの第一作が登場しました。(この時点ではまだ平成ではありませんが、一般に平成ゴジラシリーズと言われているようです。)

 当時の特撮技術が使い尽され、きちんとした構成のストーリーで組み上げられたゴジラの作品を劇中で破壊される東京で観る体験は、私のゴジラ観を大きく変えました。それ以降のゴジラ作品のドラマ性はかなり気に入っており、次のミレニアム・シリーズの後期にジャニタレを動員したような変なSFドラマになってしまっている作品以外は、どれも、海外作品ではほとんど見ることができない優れた一連のSF作品になっているものと思っています。

 平成シリーズとミレニアム・シリーズのゴジラは全部観ていて、その勢いで観た、丁度、両シリーズの間のタイミングで登場した米国製ゴジラ(98年のモノ)は、既に始まっていたジュラシック・パークのシリーズの一作品と位置付けた方がよいぐらいに、ゴジラを貧困な想像力でただの巨大爬虫類パニックものに貶めてしまった、極端な駄作だと思っています。全くくだらない馬鹿げた作品でした。

 こんなゴジラ作品印象をベースに、今回の米国製ゴジラ第二弾をどう捉えるかは、かなり悩みどころでした。それほどに米国製ゴジラのくだらなさが際立っていたためです。しかし、丁度、観たい映画がやたらに連続し、結果的に、ゴジラのトレーラーを何度も観ることになり、米国製ゴジラに対するバイアスがかなり弱まりました。

 観てみたゴジラは、確かにSFドラマと言うよりも、ヒューマン・ドラマと言えるほどに、奥の広い世界観があり、少なくとも米国製ゴジラ第一弾の粗雑な爬虫類パニック映画とは大きく異なりました。ゴジラの登場に至るまで、徐々に各種の情報が積み重なって、全体像の輪郭のピントが合った瞬間に、仮説として煮詰められてきたゴジラと敵巨大生物の姿が急激にアップになっていく展開など、よく作りこまれていると思います。

 ゴジラがなかなか登場せず、タイトルはゴジラなのに、一体の別の怪獣(MUTOと呼ばれています。)を軸に話がかなり進み、さあ、ゴジラが出てきたぞと思ったら、今度はMUTOがもう一体出てきて、さらに、これら二体は雄・雌つがいになっていて、繁殖を目指して合流しようとしていることが分かるという展開です。ゴジラは、モスラや、新ガメラシリーズのガメラのように、“生命体としての地球”とか“自然全体の調和”の守護神として位置付けられていて、MUTO二体を殲滅するために登場したと説明されています。

 結果的にMUTOの映画全体におけるコマ数シェアは非常に高く、ゴジラのそれを大きく上回っています。タイトルをつけるなら、平成ゴジラ風に『ゴジラvsムトー』にすべき比率に思えます。MUTOは、たった一度、軍の戦略会議の中で口頭でさらっと言われるのですが、「Massive Unidentified Terrestrial Object」か「Massive Unidentified Terrestrial Organism」か、そのような名称の略だったと記憶します。

 渡辺謙演じる科学者が、ゴジラについては、「私達はゴジラと呼ぶ!」と、日本語発音で「ごじら」と宣言してしまっているので、米軍もそれに従っていますが、MUTOに関しては、そんな名前を考える暇もなく、便宜上つけられた略称である対比が、面白く感じました。

 ネーミングや発音などに関しては、かなり突っ込みどころのある作品です。渡辺謙演じる科学者は、ゴジラ第一作へのオマージュで、芹沢教授と言うことになっていますが、別に何か悲壮な開発をしている訳でもありませんし、その成果物を抱いて自殺してしまう訳でもなく、ちゃきちゃきモノを進めたがる米国人から見た時に、意味もなく意味深げな発言や態度をとって直接的に役に立つことのない面倒な日本人科学者と言った感じです。

 その渡辺謙以外は、日本人役の日本人風の人々がモブとして多数ウロウロしており、「お・マエ、なっに、し・テルんだ!」などと銃を向けて来る警備員など、笑わせてくれます。前半のメインの登場人物ブロディ一世も、片言の日本語を話せることになっていて、「ムすこ・ハ・どこ・に・イル!」などと英語の台詞の中に突如日本語を混ぜ込んでいて、モノマネしたらかなりおかしな台詞が多数存在します。ちなみに後半の主人公ブロディ二世も、一言だけ日本語を「ん?と」と言う感じで考えてから言いますが、このカタコト感も、如何にもな感じです。ハナモゲラ語ほどのインパクトはありませんが、ちょっとした宴会芸にはぴったりです。

 MUTOのネーミングの“まんま感”は相当のものですが、もっと酷いのは、当初(本当はMUTOによるものですが)原因不明の爆発が起こる原発のある日本の都市の名が「ニンジャラ」だか「ジンジャラ」だか「ジャンジラ」だか、よく覚えられない変な名前と言うことになっています。映画では、この町が舞台になる場面の冒頭で、地名がクレジットされるのですが、なぜか、クレジット英語名の下には、字幕で「日本」としか出ず、都市名の訳は省かれているのです。さすがに、この名前の日本の都市は無いだろうと、バカらしくて訳さなかったものと考えられます。この都市名を探るためにパンフを購入したら「ジャンジラ」でした。東南アジア的な語感があるように思います。

 ちなみに、MUTOは日本語では「ムートー」と記載されていることが多いようですが、実際の発音からすると、「ムトー」の方が近いように思えます。ですので、映画で聞いていると、「武藤」という人名のような感じなので、「武藤のオスが●●マイルに迫っています」とか「武藤メス!視認しました」などの台詞をバンバン聞くと、違和感が重なり、異次元に引き込まれるような感覚に襲われます。

 全体を観ると、この映画は、前半で原発技術者ブロディ一世の、後半で米軍爆弾処理班大尉のブロディ二世の、怪獣との戦いのドラマとして観た方がよいぐらいのバランスです。ブロディ一世が狂人扱いされながら、妻を眼前で殺した原発事故の謎から、怪獣に関する多数の手掛かりを残して亡くなり、それを例の芹沢博士などが重用し、ブロディ二世が偶発的にその後の怪獣の移動コースと自分の帰国ルートが重なったために、軍人として怪獣退治に巻き込まれて行くというストーリーです。どこかで見たことがあると思ったら、『ジョジョの奇妙な冒険』でした。石仮面文化の残滓とジョースター家との戦いがジョジョなら、巨大怪獣に翻弄されつつ自らの意志を貫き、結果的に怪獣を追い詰めるブロディ家の物語が、この作品です。

 そんな奥深いブロディ家の物語なのに、一世はおかしな日本語を話す外国人の変質的オヤジで、二世は『キックアス』シリーズの馬鹿高校生と同じ役者と言うのが、どうも締りが無く、拍子抜けではあります。

 首が短く、でっぷりとしているゴジラの造形は、ちょっと共感できないものの、怪獣同士の戦いも、平成シリーズ、ミレニアム・シリーズのゴジラよりも、動物っぽい動きが意識され、建物の破壊シーンなども、ゴジラ上陸に伴う津波で街が破壊されるシーンも(東日本大震災の際の画像の幾つかに酷似していて)純粋なSFモノとして観たら、非常に優れています。

 MUTOも、監督の以前の作品『モンスターズ/地球外生命体』のものを始めとして、『スーパー8』の宇宙人など米国製のモンスターの幾つかに幾つものデザイン的共通点が見出せるような気がしますが、それでも、まあまあ巨大生物っぽく活き活きと描かれています。ここまで、色々やり込んでおいて、ヒューマン・ドラマがメインなのかよとか、MUTO二体に比して、ゴジラが出てこないじゃんとか、色々クエスチョン・マークがつく作品です。ただ、『パシフィック・リム』以上に日本の怪獣映画を意識したよいできの作品であるとは思います。DVDは一応買いです。

 しかし、これだけの品質がありながら、なぜ“ジャンジラ”は企画が通ったのか全く理解しかねます。