『青天の霹靂』番外編@小樽

 日曜日のぎりぎり午前中に始まる回で見てきました。ファースト・デー(所謂、「毎月一日は映画の日!」というやつだと思いますが)とかいう日なのだそうで、1100円で見られました。また、娘と小樽の映画館に観に行きました。割引日だったこともあって、ロビーはそれなりに混雑していましたが、封切から一週間を経た本作のシアター内はかなり空いていました。ロビーでの子供づれの喧騒が嘘のように、夫婦のような中年以降の二人客、そしてやはり中年以上の男性一人客が多かったように思います。全員でも30人程度でした。

 面白い映画です。大泉洋が演じる売れない手品師がタイムスリップして、自分が生まれる直前の両親と浅草の演芸小屋で共演することになり、人間のクズのように思っていた父も、自分を捨てて去ったと聞かされていた母も、実は自分が生まれることに対して精一杯の努力をしていたことを知る物語です。

 ありきたりと言えばありきたりです。原作・監督・出演を兼ねる劇団ひとりと大泉洋がテレビのありとあらゆる番組に出演して番宣をしていますが、その番宣内容を知らなくても、タイムスリップした段階で殆ど話が読めます。(番宣はむしろ、実際に大泉洋や劇団ひとりが披露した手品の技をカットなしで見せるようにしたことなどの幾つかの裏話を知ることの方に価値があったように思えます。)タイムスリップして自分の誕生の陰にあった両親の話を知り、自分の平凡な日常や何もかもが上手く行かない毎日が、実は物凄く価値あるものであったことに気づく。そんな話は、そういえばドラえもんにもあったような気がします。そのまんまです。

 タイムスリップして行った先に居たのは、演芸場の芸人とは言え、それなりにきちんと仲睦まじく過ごしている両親でした。母が胎盤剥離で出産と共に死ぬ可能性が高いことを知っても、産むと言い、売れない手品師の父は、芸の道を諦め、ひとり残された子供と長い時間を過ごせるようにと、ラブホテルの清掃員の仕事に就きます。そして、子供に「母はどうした」と尋ねられたら、「お前を産むために死んだ」と伝えるのは可愛そうだからと、「俺が女を作ってしまったら、愛想をつかして出て行った」という嘘を子供に用意するのです。主人公の大泉洋は、自分が馬鹿らしく情けなく思っていたこうした、しがないラブホテルの清掃員に落ちぶれた父と、自分を引き取ることなく去ったと思っていた母の、自分に対する大きな愛の形を、リアルタイムで目撃することになるのです。

 若き日の母を演じるのは柴咲コウです。彼女は大泉洋が未来のことが分かる人間であると知っています。彼がマジックとして見せたスプーン曲げが、「いまにユリ・ゲラーが来日してブームになる」と口走っていたことを覚えていたからです。

 胎盤剥離が起きて倒れ、病院のベッドで出産の日を待つ所に、大泉洋が来て、彼女が自分と子供の未来を尋ねる場面があります。子供の未来の中に父の居る日常が細かく語られます。この場面で、柴咲コウは自分の死を悟ります。そして、その子にとって母は「生きる理由になっている」と涙ながらに語る大泉洋を見て、言葉にはしないものの、目の前の大泉洋が、自分の子供であることを薄々悟っている感じがします。自らの命を捨てて自分に命をくれようとしている母と対面して語る息子の言葉が泣かせます。この映画はこのシーンのためだけに他のすべての部分があると言っても過言ではありません。

 そこからあとは、既に起こるとわかっている事実がどのように起こるかが淡々と描かれます。自分が出産された瞬間に同じ時間枠の中に二人の同一人物が存在し得ないと言うルールが働いて、大泉洋は本来、父との共演で立てたはずのテレビ出演のためのコンクールの晴れ舞台で、自分の人生最高のショーのフィナーレの瞬間に現代に戻ります。

 細かく見ると、大泉洋はなぜ一度も戸籍を見て母の死を知ることがなかったのかとか、色々と突っ込みたいところはあります。盛り上げておいて(見ようによっては)夢オチかよと言うのも、ほんの少し残念ではあります。しかし、大泉洋の安心できる演技力が作り出した、自分の人生の価値の再発見劇は、良いドラマに仕上がっているように思えます。DVDは入手しなくてはなりません。