一度目の鑑賞後から、約一週間後。再び観てきました。GW最終日の夜の回です。上映回数は以前と変わっていません。しかし、明らかに客足は遠のき始めているようにロビーでも感じられました。
フリーケンシー・プログラムにバッチリはまって、「そらおと」のコミック第20巻を持参し、前回の半券を提示して、1000円で入場し、『そらぼん』下巻をゲットしました。予想通り、上巻同様の中身の薄さですが、やはり上下巻両方をそろえること、もう一度上映作を見ること、そして、グッズをもう少々買います機会を得ること。この辺の全部のコストが1000円なら、まあ、ギリギリ惜しくないかと言う感じです。
映画館で同じ映画を(リバイバル上映を観に行ったことやシネ・マラソン的なイベントの機会を除いて)繰り返し見ると言うのは、遥か以前、まだ、DVDがなかった時代に観た『恋しくて』と『グリーン・カード』以来だと思います。
正確に言うと、『おそいひと』も劇場で二回観ています。しかし、二度目は、私から話を聞いた友人が「観に行きたいから、一緒に観よう」と頼むので行ったので、自発的なものではありません。その点、『恋しくて』と『グリーン・カード』は、各々私の好きな、メアリー・スチュワート・マスターソンの代表作とアンディ・マクダウェルの代表作です。両方とも留学中のことで、映画館で見るのが当時のレートで500円にも満たないコストだったと言うのが大きいと思います。『グリーン・カード』は大学卒業寸前のオレゴンで観た後、外資系システム屋の本部での研修でシカゴ近郊で再度観て、さらに、帰国の飛行機の中で観て、そして、その後出張で行った香港でまた観ると言う、なかなか国際的な鑑賞形態でした。
VHS化が劇場公開から一年以上かかる時代のことで、おまけに両方共に比較的マイナーで、本当にVHS化されるのか否かが、当時かなり怪しく感じられたのが最大の動機でした。
今回、「そらおと」のグッズを見繕おうと周囲を見回すと、以前は広いスペースを使ったコーナー化していたのが、ただのガラスケース一つになっていて、置いてある商品リストの殆どは売り切れになっていました。グッズも売り切れているからファンの足が遠のいた…とは、考えにくいことは分かりつつも、何か裏寂しい感じがしてなりません。娘用にストラップセットを一つ購入して終わりました。
シアターに入るとそこには、10人程度の外観的にやはり「オタク」と括れそうな比較的若い男性が居ました。二人連れが二組ぐらいと、あとは皆一人です。
前作が前半と後半で殆ど二つ別々の作品かと思えるような構成でした。前半は私の好きなキャラクターである風音日和(かざね ひより)の目線で当時の「そらおと」の総集編的な内容をまとめ上げ、後半はその風音日和に待ち受けていた過酷な運命の物語でした。コミックでもTVシリーズでも脇役に過ぎなかった風音日和を中心に据え、短い時間の中に重層的に物語を構成した秀作だと思います。
(『ガンツ』にもこのような別視点からの物語を語るDVD作品がありますが、話の作り込み方や、その後のエピソードへのつながり方の面では、「そらおと」の方が圧倒的に優れています。)
この劇場版のDVDを繰り返し観ることはしていませんが、少なくとも、この作品から「そらおと」を知らなかったら、「そらおと」の優れた世界観の理解がだいぶ遅れたか薄れたものと思います。
それに対して、完結編と呼ばれているにも関らず、話は全く完結していない、この映画は、どうも今後作られるべき本当の完結編のプロモーション・ビデオぐらいにしか思えません。それでも、主人公と観るべきイカロスを中心に据え、あまり描かれることのない、彼女の心情を描くことに注力した位置づけ自体は好ましく思えます。
この日は、電車移動が多少まとまってあったので、その間に、第20巻を何度か読み返しました。よくアニメの最終回をまとめたムックなどが販売されていて、私もその手の本を持っていますし、そのアニメのファンであれば、読みこんでしまう魔力があると思います。そのような一群の最終回の中でも「そらおと」の結末は、非常によくできているように思えます。この結末こそが劇場でみせられるべきであるように、思えてなりません。