『白ゆき姫殺人事件』

封切から約二週間の金曜日の夜、23区内でも上映館はかなりある筈なのに、新宿ではたった一館、上映をしている新宿ピカデリーで観てきました。午後7時10分からの回に慌てて向かい、午後7時にチケットカウンターに行くと、かなり大きめのシアターでたった二席しか残っていない、みたこともないような満席状態でした。

それを諦め、次の9時45分からの回に挑戦しました。さすがに12時ちょうどに終わる回は大分人数が少なく、広いシアターの席はスカスカでしたが、それでも合計では40人ぐらいはいたと思います。カップル客が多かったように思います。

かなり期待して観に行きました。ツイッターで流出するメディア情報が、殺人事件の容疑者にもなっていないどころか、関与性も疑わしい女性を犯人に仕立て上げていくプロセスを描いた推理物、と言うよりも、社会派ドラマとでも言うべきジャンルの映画です。仕事上、この手のSNS系の話は一応関心が持てると言うことと、古くは古典的名作の『羅生門』にあるような、人間の認識の危うさを描いた作品であること、そして、観るごとに段々ファンになって来ている井上真央の主演作を観たいと言うこと。この三つが絡み合っての大期待でした。

期待は、まあまあギリギリかなったと言う感じです。三月末にあったフィギュアスケート世界選手権で浅田真央の活躍がかなり取り沙汰され、行く先々で「真央ちゃん」、「真央ちゃん」と名前を聞きましたが、私にとっては、「真央ちゃん」は間違いなく井上真央で、浅田真央には全く関心が湧きません。

もともと、井上真央の存在をそれなりに意識し始めたのは、娘と観た『ゲゲゲの鬼太郎』です。かなり好印象でした。その後に長く観ることがない中、小田和正の曲のPVでのやたらに美しい花嫁姿やみずほ銀行のありとあらゆるポスターや宣伝動画に登場するのが、多少記憶に残るぐらいのことです。テレビもあまり見ないので、代表作と言われる『花より男子』も全然知りません。そして、久々で映画で観た『太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男~』でも、あまり存在感がないように思えました。そして、DVDで観た『八日目の蝉』はもともと熱烈ファンの永作博美狙いなので、井上真央は霞んでしまっています。

私にとって『ゲゲゲの鬼太郎』以来の井上真央の大ヒット作は、税務署がテーマで関心を持ったテレビドラマ『トッカン』です。一時期ハマってDVDで観た『勇者ヨシヒコ』シリーズで注目し始めた木南晴夏が出演しているのも嬉しい話でしたが、やはり、井上真央です。冴えないOL役がやたら印象として定着し、そのまま今回の『白ゆき姫殺人事件』につながる感じです。『トッカン』から『白ゆき姫殺人事件』を続けてみると、本当に井上真央の当たり役がこの手の女性であることが分かります。さらに、今まで観たこともない、(一応)ベッドシーンも付いている新バージョンと言う感じです。

私は横長丸顔(所謂タヌキ顔)が好きと、あちこちで公言していて、その点からすると、井上真央は必ずしも好きなタイプの顔ではありません。しかし、振り返ってみると、遥か以前、藤田朋子を同僚と“新幹線顔”と呼び、「暗い役やっている新幹線顔っていいよなぁ」としきりに言っていた記憶が、今回この作品を観てよびさまされました。井上真央はこの系譜なのだと気付きました。道理で同じ井上真央でも、『太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男~』の気合いの入った看護婦や、『謝罪の王様』の小五月蠅い帰国子女は、いまいち好きになれない訳です。

その井上真央が、登場する人物達の印象で語られるごとに違うタイプの人間として描かれるので、劇中で井上真央の役どころは、幾つもの人格として登場します。井上真央の演技力炸裂ですが、基本的に能天気に明るいキャラはいませんし、妙にちゃきちゃきしたキャラもいません。その意味では、全部の人格が「ネクラ」、「思い詰め」と言った枠の中に収まっています。非常に好感が持てます。井上真央の役どころがどんどん社会から糾弾されて行く様子も、そして、真相判明後に掌を返したように、冤罪を作り上げた人間やマスコミをバッシングする側に、ツイッターの書き手が立場を変える醜さや無責任さもよく描かれています。

ただ、この映画の大きな面白くない所があります。それは予定調和的な構成です。独自の調査を行なって、自分の憶測やノリでネタをツイッターに垂れ流し続けていた下請制作会社ディレクターの男は、きっちり貶められると言う勧善懲悪の展開もありますし、大学時代の友人と名乗って、井上真央をかばうようなことを言いながら、結果的に井上真央の名前をツイッターに露出させた、偽善的な友人にも、ツイッター上で批判が出ます。

さらに、中盤で失踪していた井上真央に軸が移り、井上真央視点で一部始終を観た時に、真犯人は誰なのかがかなり見えるようになります。そして、真犯人があっさり逮捕され、今度は真犯人視点での語りから、謎ときが行われるのです。真犯人の殺害動機もやたら単純で、世の中が井上真央を犯人とする際に積み重ねた、おどろおどろしくわざとらしい背景とは全く無縁でした。「自社製品窃盗をばらされるとクビになるから」と言う幼稚なものです。

そして、真犯人は偏差値の高い大学を出ていて、殺された美人社員は性格が悪いことが明かされ、学歴も低く、美貌が効く期間に自分の有利な立場を作ろうとしていた浅薄な女であると、わざわざ説明されます。なにか、延々映画の後半全部を使って、、観客に「どうだ。分からなかったろ。やっぱり、井上真央が犯人だと思ったろ。ちがうんだなぁ」としたり顔で、ありふれた殺人事件だったことを明かす展開が、どうも盛り上がりを欠くのです。

つまり、井上真央の役どころのOLはほぼ全く殺人事件に関係していませんでした。濡れ衣を着せられただけです。彼女に濡れ衣を着せたのも、チンピラ・ディレクターに情報を最初からリークして、捜査の混乱を狙ったのも、全部、頭の良い(けれども、一見冴えない)新人OLのなせるわざだったと言う話なのです。前半は「黒魔女だ!」などとこじつけたわざとらしい、(余程ワイドショーを観ている人間の知能指数が低くなければ受け容れられなさそうな、)無理ある冤罪劇が展開されて、観客に、「まあ、こう言う風に考えれば、井上真央が犯人だよな」と執拗に、極端に主観に偏った情報を積み重ねます。そして、後半であっさりと、妙に辻褄の合った、現実にありそうな、有り触れたとさえ言える真相をダラダラと描くのです。

ネット上の情報が世の中に与えた最大のインパクトは、絶対的な真実の喪失ではないかと私は思います。どれが真実か分からないままに大量にあふれ出てくる情報に対して、それを読みとる、ないしは、それと付き合う力が、「リテラシー」と言うわざとらしい言葉で語られます。しかし、「リテラシー」をどれほど上げようと、真実が明確に見つかる訳ではありません。溢れ出てくる情報に尤もらしさのランキングができるようになるだけのことです。

その意味で、この映画はネットによる本当の社会的な事件を描いたことになっていないように思えるのです。ネットによる社会的な事件ならば、その真相が分からないのが当たり前ではないかと思います。現実に、所謂「ネット社会」を意識したようなPOV映画『クローバーフィールド』では、ニューヨークに突如現れた怪獣が、結局どうなったのか、全く分かりません。徐々に現れてくる怪獣の部分が、とうとうヘリからの映像で全体像となる過程が描かれているだけで、描いている本人が怪獣の攻撃で死んでしまうと、映画そのものが終わってしまっています。

本当にネットの社会的影響を描くなら、この事件の真犯人を明かさないどころか、種明かしもしないまま、映画を終わることもできたのではないかと思うのです。どうとでも解釈でき、どうであるのかが最後まで分からないと言うのが、現代社会です。ならば、そのような映画の構成になるのが、この映画の前評判に相応しいように思えてなりません。

しかし、井上真央の暗い役柄の魅力と人間の認識の危うさを描き、わざわざ(これまた予定調和的に)井上真央の最後まで残ったたった一人の親友役を演じる貫地谷しほりに、やたらに説明的な台詞で語らせているように、「人間は自分の都合のよいように記憶を捏造する」と言うことを、よく分からせてくれる映画であることは間違いありません。DVDはゲットです。