『プリキュアオールスターズ NewStage3 永遠のともだち』番外編@小樽

 三月末になると、何はさておいても、プリキュアオールスターズの季節です。日刊スポーツ新聞社発行のやたらに情報量の多い『お父さんお母さんのためのプリキュア新聞』をコンビニで見つけ、読み込んで予習してから、娘と一緒に観に行きました。娘は私が数年前に買い与えた『プリキュアぴあ』を読み込んで予習復習をしていました。『プリキュアオールスターズDX』シリーズ三作に続き、『プリキュアオールスターズNewStage』シリーズが三作目ですが、今回はこの『プリキュアオールスターズNewStage』シリーズの完結編なのだそうです。合計六作の間に、プリキュア達はどんどん増え、とうとう総勢36名に一応なりました。

 一応と書いたのは、なかなか厳密なカウントが難しいことによります。第9作目になるテレビのプリキュア・シリーズは『ハピネスチャージプリキュア』と言い、昨年度の『ドキドキプリキュア』終了後、既に放映を開始していて、娘によると、スタート時点では二人だったのが、三人目が参加し、さらに四人目ももうすぐ参加する予定であるということになっています。映画では、この『ハピネスチャージプリキュア』の二人が変身前状態で登場して主役級の活躍をします。

 そして恒例の大乱戦になると、テレビではお馴染みになっている三人目のプリキュア「キュアハニー」がピンチを助けるために突如乱入してくるのです。『ハピネスチャージプリキュア』のベースとなっている二人は「キュアラブリー」と「キュアプリンセス」ですが、パンフレットを読むと、「キュアハニー」はベースの二人にパワーを送って、二人の力を増幅させる役割を果たす“謎のプリキュア”だとあります。つまり、補給艦のような役割で、変身前の状態も登場していないのです。これを登場したうちにカウントして良いものか否か、少々迷いどころではあります。

「キュアハニー」は、パンフの表紙の全員の集合写真(?)にはバッチリ載っているのに、物語上はほぼ登場していない状態で、準主役級の妖精二人を窮地から唐突な変身状態の登場でのキック一発で救い、さらには、ベースの二人が恒例の光線技パワー比べを悪者と展開して押し負けそうになると、後ろから二人にパワー光線のようなものを浴びせるのです。これだけの登場で、カウントすべきかどうか微妙ですが、“集合写真”上の36人の中には含まれています。

 ところが、もう一人、カウントを怪しくしてくれる面倒な人がいます。それは、『プリキュアオールスターズNewStage』シリーズの第一作に登場する、プリキュアにひそかに憧れていた引っ込み思案の女の子です。この子は第一作の中で、人間の負の感情の集積であるフュージョンを、『プリキュアオールスターズDX』の一作でわざわざプリキュアが総出で倒したのに、あろうことかその破片の生き残りをペットとして育ててしまう少女です。そして、自分の撒いた種であるフュージョンが横浜の街を破壊し尽くすのを止める為に、強い思いを抱いたところ、「キュアエコー」に変身するのでした。映画オリジナルで、テレビには登場しない唯一のプリキュアで、劇中では“幻のプリキュア”と呼ばれています。劇中の設定でも、既存プリキュア達に正体は知られていますが、プリキュアの常連メンバーとは思われていません。今回も、二転三転の戦況で、プリキュアの面倒見係になろうと修行中の妖精達が絶体絶命の状況に陥った刹那に、その想いに引き込まれて、いきなり、光の中から登場するのです。

 プリキュアは妖精の力を得なくては変身もできませんし、力の補給もできないので、妖精がついていないままだった「キュアエコー」は、横浜での大決戦にのみ現れることができた“幻のプリキュア”でした。、今回から見習い妖精達がついて、映画の中だけの常連メンバーに昇格したように見えます。「キュアエコー」は、先述の「キュアハニー」と異なり、集合写真には登場していません。しかし、「キュアハニー」よりも登場時間は少々長いように思えます。「キュアエコー」も入れると、総勢37名です。映画の時間長は映画サイトによれば71分ですので、とうとう一人当たり2分を切りました。

 平均二分弱では、必殺技もじっくり前フリをしてから放つ訳に行きませんし、変身シーンもかなり簡素です。おまけにチーム編成のシリーズごとのプリキュアで見得を切るような場面もほぼありません。この点では、少々カタルシスを欠く気がします。

 ただ、悪役が改心したり寝返ったりして“友達”と称される味方になっていく伝統的な展開は健在です。今までも、映画では先述の「キュアエコー」は典型的ですし、テレビシリーズでは、何人もの敵役がプリキュアのチームに参入したり、『ふたりはプリキュア SPLASH STAR』に登場する私が好きな霧生満・薫姉妹のような共闘関係になったりします。今回の作品でも準主役級の見習い妖精達は、前作でプリキュアを陥れる結果になった一人を含んでいます。友情関係がある者を決して見捨てないと言う価値観も、全員で何かの爆煙の中から一団となって大きく跳躍して登場する名場面も、そして、大勢のプリキュアがストーリーの中心に位置していないという構成も、やはり健在です。

 しかし、今回のオールスターズは伝統的な枠から幾つかの点で逸脱しています。大きなポイントの一つは、敵が無数のグル~ミ~チョイ似の緑色のクマのような生き物なのです。羽根が生えて蝙蝠状のもいますし、サイズも様々です。巨大でゾンビ状の行動を取りながら、無軌道に暴れるものもいれば、小型のが横隊で地中から現れ、いきなりランチャーを撃ちまくるケースもあります。過去にここまで不規則な攻撃を数に任せてプリキュアに仕掛けてきた敵はいません。娘によれば、今回の『ハピネスチャージプリキュア』がどちらかと言うとパワー全開の接近戦が苦手で、場に一様に広がっていくパワーで広く確率戦を展開するパターンの闘い方をするので、それが際立つようにこのような敵になっているのではないかと言う話でした。

 プリキュアの敵は一般に捉え所がないものが多く、倒しても倒してもスライム状に蘇ったりするケースが多いのですが、そのままプリキュアを悩ませ続ければよいものを、わざわざ合体して一体に集中したところで、プリキュア多数との合わせ光線技の力比べに敗北し消滅することがほとんどです。今回も結果的にはそうなりますが、かなり長い間、合体して巨大な一個体になることなく、分散した多種多様なグル~ミ~的な形のままで、戦い続けます。隠れるところもない見通しの効く荒廃した土地で総勢36人で戦ったとしても、多種多様、無数、短期再構成可能の敵に対して、旧来のプリキュアの近接戦主体の戦法では疲弊が目に見えています。確率戦でそのまま押し切ればよいものを、突如登場した「キュアエコー」の音波状の確率戦技と、『ハピネスチャージプリキュア』が戦い慣れしてきて、小規模な確率戦技を繰り出し始めると、浮き足立って一体に収束してしまい、今回も敗北しました。確率戦技を出せるほんの数人を集中攻撃すれば、勝ちが見えたはずなのに、グル~ミ~達は少々知恵が足りなかったようです。

 さらにもう一つ、いつものオールスターズとは異なるポイントがあります。今回の敵は妖精界に住む獏の親子です。獏の息子はまだ幼く、悪夢が実体化したグル~ミ~達を圧倒し掃除機状の装置(『ハンター×ハンター』のしずくが持つデメちゃんのようですが、こちらは乗り物も兼ねていて、空を飛ぶことができます。)に吸収することができません。獏の母親が悪夢を吸い取った後の、夢の世界に入ってきた子供達と楽しく夢の中で過ごすのが獏の息子の楽しみです。ところが、目が醒めると子供達は獏の息子を置き去りにして夢の世界から去るだけでなく、忘れ去ってしまうのです。これを悲しんでいる息子を想いやり、獏の母は人間の子供達を夢の世界から消え去らないよう、二度と目が覚めない眠りに引きずり込むのでした。

 前作と同じ設定ですが、妖精達は既存のプリキュアのことを学習するための辞典を持っています。その辞典を奪い取り、母獏は既存プリキュアをすべて永遠の楽しい夢の世界に個別に閉じ込めて、協力して攻撃できないようにします。それを助けるのは、辞典に載っていないがために、拘束されなかった新プリキュア(と正確には“幻のプリキュア”「キュアエコー」)の筈ですし、そのように彼らは努力します。

 ところが、この拘束された既存プリキュア達は、自分の見ている世界が非現実の誰かに見せられている夢であるということに気付き、それを否定することで、勝手に拘束から逃れてくるのです。たとえば、「絶好調ナリ!」が口癖の『ふたりはプリキュア SPLASH STAR』のソフトボール選手のパン屋の娘は、パン屋を継いでいるようです。そして、いつも失敗していて、焼き加減が今一だったクロワッサンが、完璧な歩留まりで毎日できて、おまけに開店前のガラスドア越しに行列して毎日お客が溢れかえっている状態を見て、「こんなにうまく行く訳ない!」と喝破します。全キャラの中でオキャンキャラ一番の「キュアドリーム」の夢は教師になることでしたが、いきなり教師として教壇に立って自分がよく勉強をしたこともないことをスラスラと黒板に書いている自分について、「できないことが色々ある自分が分かっているから、いろんなことを勉強しなくちゃならない。努力もなく、何にもしないのに、叶うんなら、そんなの夢じゃない!」と、本来ドジっ子的キャラなはずなのに、やたらに深遠なことをのたまいます。

 今までは、「大切な友達を信じて、力を合わせれば課題は必ず解決する」と「諦めなければ、必ず結果はついてくる」がプリキュアの二大価値観でした。しかし、今回はそれに加えて、努力してできないことをできるように変えなくては全くお話にならないと、変身前の総勢35名が口々に言い出すのです。非常に興味深い主張だと思います。

 連載が終わり、感動のフィナーレを迎えた『そらのおとしもの』では、天空に浮かぶ超高度な文明であるシナプスの住人が、「ルール」と呼ばれる石版で何でも願いを叶えられるようになった途端、努力をする対象を失ったと最終話で明かされます。総ての望みが叶うが故に、人に協力を頼むことも、人に教えを請うこともなくなりました。それは、人から頼られることも当てにされることも、コミュニケーションの必然性さえもなくなり、人生のすべてが価値を失うことでもあります。そして、シナプスの人の大多数は自殺したのでした。努力し、向上することにこそ、人間の総ての価値の源泉があると教えるアニメ(『そらのおとしもの』もアニメ映画化第二弾完結編が近日封切られます)がなぜ今増えたのかが面白く感じられます。

 スピリチュアル系の教えから、徐々に一般に流布した「引き寄せの法則」と言うものがあります。プラスのイメージを頭に抱き続けると、それが(考え方や説によって、媒体は異なりますが)周囲に伝播して、プラスの結果が齎されるという話です。一応、そのようなことは一定条件の下に起こり得ると私も思っています。スポーツ選手や囲碁将棋の名人なども、有名経営者などもそのようなことを現実に言っています。しかし、これらの人々は、何なりかの努力を常人の数倍していることと思いますし、仮に二代目のボンボン息子社長で努力していなくても、周囲には相互扶助組織のお金持ちの面々がやたらにいて、チャンスやら情報やら立場やらをたくさん与えてくれることでしょう。こういった条件が整うことなしに、「引き寄せの法則」が機能するとは考えられません。

 努力もしない学びもしない、人に教えを請うこともない人間が、星観る人の如く、自分のプラス・イメージとやらに耽っていたところで、その一片さえも実現することはないように私は思います。類は友を呼ぶ筈ですので、ぐうたらの友達はぐうたらであり、愚者の友達は愚者の筈です。幾ら身勝手なプラス・イメージを抱いても、ぐうたらや愚者が周囲の同類の人々から大きなプラスをもらえるメカニズムは見つかりません。そんなことが今回のプリキュアでは、年端も行かないように見える、変身前の少女達の口からバンバン告げられるのです。これは凄い映画です。

 封切から僅か二週間程度。小樽と言う場所だからかもしれませんが、土曜日でも結構大きなシアターに30人弱しか観客はいませんでした。おまけにその半分以上は幼児と言っていいほどの子供ばかりです。ロビーにごった返す子供達は『ドラえもん』の新作目当てで、子連れではない大人達は封切られたばかりの『白ゆき姫殺人事件』目当てであったようです。この映画の素晴らしい教訓をどれだけの人々が受け取ったのか非常に気になります。毎回愉しみにしているエンディングのプリキュア達のダンスは今一でしたが、DVDは勿論買いです。