『東京難民』

 久々の新宿武蔵野館で一日一回に減らされた上映を最終週の金曜日、つまり上映最終回に滑り込みで観てきました。封切は2月下旬。三週間が経って9時前からの上映です。それでも結構混んでいて、30人以上は観客がいました。女性客の比率が高く、半分を僅かに超えるぐらいだったかもしれません。

 親の破産から学費も生活費も振り込まれなくなった学生が、どんどん今まで当たり前に過ごしていた日常を失って、半年後には多摩川河畔のホームレスになり、そこから再起に向かって歩き出すところまでを描いた映画です。何となく、この手の“社会の闇”だの、“社会の歪”だのを描いた問題作のような位置づけの映画は観てみたくなるのが常ですので、今回もそれが観に行った最大の動機です。かなり面白いと思いました。金が無くなると、日常のどこがどのような順番で融解していくのかがよく分ります。

 主人公の大学生の日常の瓦解は、まず学生証で授業の出席を登録しようとしてエラーになる所から始まります。学生課に行くと、既に除籍になっているから、大学中退の資格さえないと言い渡されます。それでも暢気に構えていて、不動産屋からの内容証明を開封もせずに無視していると、『冷たい熱帯魚』が思い出される吹越満が不動産屋として現れて、使用料未払いで退室を告げに来ます。私もこの辺は気づいていなかったのですが、これらの部屋は、部屋の賃貸を行なっているのではなく、部屋の鍵の使用契約の形になっているので、賃貸料未払いではなく(鍵の)使用料未払いになり、賃借人の厚く守られた権利が全く適用されないと説明されています。面と向かっての通告があっても、事態を甘く見ていて、ポスティングのバイトを中途半端に投げ出した後、パチンコで数万単位の金をすって、部屋に戻ると鍵を交換されていて、辛うじてベランダに干してあったジーパン以外、荷物は皆没収された状態になってしまっていました。

 そこから、ネットカフェ難民となってティッシュ配りなどを一応真面目に行ないます。そして、治験のバイトを見つけ、部屋を借りようと決めていた久々の二桁万円の収入を手にした所に路上で引掛けられた女にホストクラブに連れて行かれ、あっという間に全財産を巻き上げられます。ホストクラブで働くことになり、寮とは名ばかりの1LDKぐらいのマンションに他のホストと寝るだけの場所を確保します。ここでも一応真面目に働いて、看護師のファンができます。マクラ(営業)も何度も重ねるようになり、看護師にツケが溜まったところで、ホスト仲間にまとまった金を奪われ、自分も逃避行に出ることになり、千葉の日雇い労働者として解体事業者の寮に入ることになります。当初はホストの世界とのあまりのギャップに不満を言ったりしますが、徐々に仕事があること、金の心配がないこと、そして寝られる場所があることのありがたみに目覚めていきます。さらに、周囲の人々への感謝の念も抱くように変わっていきます。

 そこで、気になっている看護師に再び会うべく病院を尋ねると、ツケの回収もキャッシングで作ってしまった借金も、返済が滞っている状態で、看護師として働き続けることが困難になっていました。「私の大事なお金を返してよ」とそこまでの甘く素敵なお姉さんのイメージが完全に覆っています。土下座して帰ってきますが、彼と彼の仲間を追い詰めるべく、ホストクラブのオーナーがツケの解消を餌に彼女に迫っていました。居所の情報が売られ、あっさりと捕まってしまいます。彼の仲間の方が(元々の借金の元凶なので)犠牲になって、中国で捕まれば即死刑の麻薬運びの仕事をすることで話が付き、彼はぼこぼこに殴られて、多摩川河畔に捨てられます。

 それを拾って助けたのが、そこに居ついている井上順演じるホームレスでした。彼は東日本大震災で20代の息子を失っていて、まるで息子代わりのように、主人公の面倒を見るのです。アルミ缶回収や雑誌の再販の数十円単位の稼ぎを積み重ねる仕事に精を出す中で、主人公はまじめに自分の力で稼ぎ、生きて行くことの充実感を噛み締められるようになります。既にソープ嬢となった元看護師とソープ部屋で邂逅します。それがこの映画の最高のクライマックスとなっています。

 映画の序盤は、これから起きていく転落を知っているので、主人公のお気楽さが腹立たしく思えて仕方なくなります。ネットカフェ難民になって、数百円の金さえも貴重であるはずなのに、タバコを吸い続けていますし、ネットで「おいしいバイトないかな」と検索するぐらいのノリです。しかし、徐々に主人公が現実の厳しさに直面していくに連れて、この映画の描く世界が、コミックの『闇金ウシジマくん』などに描かれている日常に近くなってきて、現実味を帯びてきます。

 コミックの丑嶋君は明らかに身分相応に稼ぎ暮らすことの高い価値を分かっています。当然、逆に、借金塗れに堕ちる人々の欲に身を焼き尽くされた状態を見抜き、その虚栄に対して常に厳しい態度で臨みます。面白いのは、それらの人々が自分の本来のあるべき姿に気づくと、突如、その人物に対してニュートラルになるどころか、好意的・協力的にさえなることです。その丑嶋君の視点で主人公を見ることが可能になっている、或る種、『闇金ウシジマくん』RPGのような映画です。

 主人公がこの転落人生をもっと早く止めることができたポイントは幾つかあります。九州に実家がありますが、大学を除籍になった後、差し押さえられて入ることもできなくなった家を訪ねています。そのまま、現地の親戚か知り合いを訪ねて、どうにか職と住を得ることは可能だったのではないかと思えます。父は建設関係の仕事のようですが、母が亡くなった後、すぐにフィリピンパブのおねえちゃんを家に連れ込み、同棲を始め、居づらくなった主人公は東京の大学に出てくることになったのです。そのフィリピン人姉ちゃんも父もいなくなっています。居れば母がたの親族を訪ねまわるぐらいはできたのではないかと思われます。

 なぜか東京に舞い戻って、部屋を追い出された後にはネットカフェ難民になりますが、ネットカフェにもランクがあり、さらにその下には24時間の飲食店に寝泊まりする生活が存在していることが描かれています。少しでも持ち金を持たせようとすれば、徐々にネカフェのランクを落としていくのではなく、一気に底辺まで落として時間を稼ぎ、さっさと治験のバイトや住込みバイトを探すこともできたように思われます。どうせホストのオーナーに土下座して仕事を貰うほどになるなら、学生時代の友人に土下座して一ヶ月ロハで住まわせてもらうこともできたかもしれません。すぐにどうにかなるかは別としても、おカミにお世話になる選択肢だって十分検討されるべきです。

 そして、治験の「寝るだけの作業」で稼いだ金をホストクラブにつぎ込んでしまうのも、この期に及んで殆どノリです。ここで路上であった女に鼻の下を伸ばさなければ、そして、もし彼女に付き合っていても、一件目の飲み屋で止め、ホストクラブの前に立った段階で踵を返していれば、人生は全く変わったものになった可能性が高いものと思います。さらに、ホストになってから例の看護師が客になり、マクラも求められるほどに好意を示されています。物語で観る限り、主人公は店に対して抱えている負債も巨大な金額ではないはずです。そしてマクラを始めた時点では、まだ看護師に対してツケが認められていませんでした。つまり、店に対する負債がミニマムであり、且つ、お互いの好意が十分に確認できたポイントがあったのです。ここで、単純に足抜けして、場合によっては地下鉄内で広告を否応なく目にする司法書士事務所にでも駆け込んでから、彼女の家に転がり込めば、すべては丸く収まるはずで、看護師もソープ嬢にならなくて済んだはずなのです。

 しかし、映画が描く看護師は、どんどん来店頻度を上げ、服装やアクセサリーもどんどんケバくなっていきます。つまり、そんな地味で貧乏臭い選択肢を、入れあげているホストから提示されても載らない人間に変貌したと言うことだったのかもしれません。丑嶋君目線で言うなら、やはり一度は落ちるところまで落ちた上で、自分を見つけ出さなければ、結局変われないのかもしれません。

 私も留学前後などに、ネットカフェ難民同様に過ごしていた時代があります。ネットカフェなどない時代でしたが、今も遠縁の親戚の中では唯一連絡を取っている、当時音大生だった母の従妹(私より年下ですが)の家に転がり込んだり、辞めたNTTの元同僚の家を転々としてたこともあります。大体にして私費で留学して金が無くなってきて困っているところを助けてくれたのは、今も交流が続く大学講師と助産婦のご夫婦ですが、彼らは自分達も苦労して学業を修めたから、努力している人にはチャンスを提供したいと言って、全く金をとらず、家族同様に食べることと寝泊まりすることを許してくれました。

 日本でも、少々前の文学作品などを読むと、書生だの下宿人だの、居候だの、色々と転がり込んで住んでいるような人間が多々登場します。このような社会の隙間のような場所が、現在ではこの映画に登場するような場所しかないのであれば、セーフティネット論をやいのやいの騒ぐ前に、核家族や単身世帯に課税をするなどして、同居化を無理矢理に推し進めるぐらいの方が、余程、社会が潤滑に回るような気がしないでもありません。タモリがデビュー前後に赤塚不二夫などの家々に居候して回っていた話は有名です。『下流志向』で描かれる相互扶助組織の重要性が痛感されます。

 日常生活が融解してしまった主人公と元看護師のソープ嬢の二人が、互いの苦労とそれでもなお生きる意志を確認し合うソープ部屋での慟哭の邂逅は、少なくとも私にはかなりの名場面に見えました。私の斜め前の席に若い女性の二人連れの客がいて、如何にもイケイケ的な“ギャル”で『小悪魔ageha』の表紙から抜け出てきたような外観でした。この二人は看護師がケバくなっていく過程を見ては、「ケケケ」(本当にこういう風に笑う人間がいることに非常に驚きましたが)と指さして笑っていました。もしかして、ホストクラブ経験がある人間には、看護師の変化があまりにもデフォルメされていて笑えるものだったのかもしれません。さらに、マクラの場面で看護師がオールヌードになると、「おー、(再び)ケケケ」と声を上げていました。しかし、その二人でさえ、ソープ部屋の邂逅ではツケマかまつ毛エクステかが映画館の暗闇でも分かる眼を見開いて、無言で見入っているぐらいの圧倒的な映像でした。

 さらに言うと、この元看護師を演じる、私が初めて知った大塚千弘と言う女優が、目尻の垂れた横長丸顔(所謂タヌキ顔)で、それほどグラマラスでもなく、声質も好みで、色白である点を除けば、ばっちり私の好みのタイプで、特にボブカットのカノジョは最高に素敵です。おまけにナースコスプレ(?)です。彼女が物語に登場してから、全くスクリーンから目が離せなくなりました。それで、(文字表現的には矛盾しますが)濡れ場になっていないソープ部屋のシーンは余計に見入らざるを得ません。帰宅後ウィキで調べると、映画よりも芝居での活躍が多い28歳の女優でした。

 ホラーがあまり好きではない私がパスした『仄暗い水の底から』や、飽きが来始めた平成ゴジラシリーズの末期に位置するゴジラ作品二作や、DVDでさっと流し観ただけの『female』、そして大好きなジェニファー・ジェイソン・リーが主演しているオリジナルが大好きなのでバカにして観ていない和製『ルームメイト』。微妙に私が避けたり、よく観ていない映画作品にも結構出演しています。レンタルして観ねばなりません。良かったら買わねばなりません。それらでさえ入手の意向なので、大塚千弘が準主役級で出ていると言うだけで、このDVDは買いです。まして、堕ちた人々の再生を描いたと言う観点では『十年愛』より数段マシですし、さりげなく東日本大震災の悲惨を交え、それに屈しない人々を描いたと言う部分では、妙にわざとらしい『ヒミズ』とそれに続く園子温監督作品よりやたら好感が持てます。

追記:
 以前『黒執事』で注目した山本美月も見逃さないようにしなくてはと思っていましたが、大塚千弘をがっちり見入ってしまってそれどころではありませんでした。後で調べると、主人公と、間接的には大塚千弘演じる看護師に人生を誤らせるバカ女の役どころでした。『黒執事』のメイド役とは全然イメージが違いましたが、こちらでも、それなりに出演時間が長い役回りです。

追記2:
 モタモタ身支度をしていると、「すいませ~ん。とおしてくださ~い」などと丁寧に言いながら小悪魔たちも奥の席から去って行き、お手洗いに行ってからロビーに出ると、私以外にほんの数人がロビーで雑誌記事のクリッピングなどを読んでいるだけでした。パンフを買い求めている私の横から、「良かった!すご~く良かった!この映画最高!まるで昔のATGの映画みたい。すごいねぇ、ホント良かった」とスタッフに声を掛けて去っていく60過ぎに見える女性がいました。「何の映画のことですか」と私がスタッフに尋ねると、「お客様と一緒の、東京難民です」とスタッフは答えました。他人の感想は視野を広げてくれます。