『ザ・イースト』

 木曜日の夜遅い回で観て来ました。また、例の新宿駅に事実上隣接しているミニ・シアターです。予告編で気になる映画を見つけてしまうと、特定の映画館に足を運び続ける結果になると言うのはよくあることですが、まさに、この映画館に行く頻度が上がっています。この映画館を“発見”してから、既に四本目になります。

 さらに、観たい映画が現在数ある中の一本『早熟のアイオワ』の封切がこの映画館で『ザ・イースト』を私が見た日からほんの数日後に迫っていると言うので、困ってしまいます。『ザ・イースト』は、封切から既に20日ほど経っている状態なのに、未だに一日に四回も上映され、一番遅い回でも20人ぐらいは入っていました。男女半々ぐらいの構成で男女の二人連れは数組居たぐらいだと思います。

 映画館では、この映画を『FOXサーチライト20周年記念第2弾』と銘打って上映しています。第1弾は私も観た『セッションズ』です。『セッションズ』は興味深い映画ではありました。DVDも入手したくはなります。それでも、ちょっと物足りなさが残る映画でもあったと思います。そして、第2弾の『ザ・イースト』は、エレン・ペイジ観たさに行くことにしましたが、物足りなさではなく、相当にウンザリ感のある映画でした。

 まるで、シー・シェパードを思い出すような、暴力的な社会的制裁を実行する謎の環境テロリスト集団「イースト」に、元FBI捜査官にして、一流調査会社なるヒラー・ブルードの契約調査員のジェーンが、サラと名乗って潜入調査をする話です。ウンザリ感の要因は色々あります。

 一つは、やはりウザイ人々の様子です。このテロリスト集団はリーダーが膨大な財産として持つ私有地の森の奥深くの掘っ立て小屋のような所を拠点に活動しているのですが、変に自然生活のようなことをしていて、鹿を取ってきて食べたり、深い裂傷の手当てをアロン・アルファで行なったりします。死人が出ても焼く訳でもなく、ただ穴を掘って裸体で埋めるだけです。行水も洗礼のような感じで宗教チックです。お互いにハグしたりキスしたりしあうゲームをします。セックスはご法度なのかと思ったら、リーダーの男は(あとで分かることですが、最初からジェーン(サラ)を潜入調査員と知っていたのに)、気になるようになり、結局アオカンとなります。

 映画評などに出てくる感動的だという食事シーンは、(数名の賄い要員は脇に立っていた様子ですが)メンバー全員が拘束衣を着て、互いの前のスープ皿のスープを口に咥えた大きな木製スプーンで交互に隣人に掬って食べさせると言うものです。別に彼らはアーミッシュのような生活をしているわけではありません。テロリズムの実践に赴くときには、自動車にもバンバン乗りますし、その都度、用途や目的にあわせて用意する装備も結構科学的です。それだけ科学の恩恵に預かりながら、わざとらしく自然主義のような態度を取る部分が、私には矛盾だらけの似非宗教団体のように見えて馬鹿げて映りました。

 さらに、シー・シェパードのように、変な宗教観なり、白人独自の訳の分からない文化観で、「イルカを殺すな」だの「鯨を殺すな」だの言っている馬鹿げた活動に、政府規模や国際組織規模で資金が提供されていると言うのではないので、単に、金持ちの坊ちゃんの、子供じみた思い入れで、この集団はテロ行為・犯罪行為を行なっているのが、馬鹿げて見えますし、同時に非現実的にも見えます。『脳男』にはたった二人で連続爆破テロを見事に実行し続ける女の子が登場します。あれは荒唐無稽前提だから楽しめますが、本物っぽくこれをやったら、なぜ現代の捜査網に引っ掛からないでいられるのかが不思議でなりません。シー・シェパードのような狂信的バックの居る狂信的集団なら分かるのですが、政治的に守る後ろ盾も無く、このようなことを続けられるとは到底思えない稚拙な犯罪の連続なのです。

 稚拙な犯罪は劇中でも本当に稚拙なものとして描かれており、逮捕者が出たり、警官の銃でエレン・ペイジが撃ち抜かれ、原始的な手術の甲斐なく、死に至ります。意見も割れ、脱落者も逃亡者も出ます。おまけに、どうやって“攻撃”する対象企業を決めているのかと思ったら、事実上、メンバーの私怨がベースでした。つまり、証拠集めも大した判断材料も無く、単に「自分のケースではこういう大変な目に合ったから」と言うだけで、計画を立て、彼らが「ジャム」と呼ぶ攻撃を行ないます。そして、如何にも不正を糺したようなことを言い募るのですが、結局、私怨の報復を、まるで交換殺人のような感じで行なっているだけなのです。これなら、私の大好きな山本直樹の『レッド』が描く連合赤軍の、あまりにも幼稚で、現実離れした妄信の経緯を読んだ方が、余程、知り学ぶものがあります。

 おまけに、主人公のジェーンが、元FBIとは思えないほどに、妙に青臭いのです。私怨をただ晴らしているだけの馬鹿どもに妙に感化されて、自分の正義感を疑うようになり、考え込んでばかりいるので、今までラブラブだった同棲相手の男からも見捨てられてしまいます。潜入操作中に「今、こんな酷いことをやろうとしてるんですよ」と、慌てふためいて上司に電話したりします。彼女に仕事を出した組織「ヒラー・ブルード」はクライアントを守るのが仕事の私企業ですから、クライアント対象ではない企業が攻撃されていても、そのまま放っておけとジェーンに回答します。企業の請負業者の私からしたら金をくれている組織に忠実に動くのが当然なのですが、そんな当たり前のことに、妙にショックを受けたような顔をします。

 もう一つ、ウンザリすることがあります。企業を悪の権化として描く、典型的なステレオタイプです。本当にアメリカ人は「巨悪」やら「絶対悪」のような、企業やナチス・ドイツやら、宇宙人やら、表情が読めない東洋人やらと闘うのが好きなのだなと呆れてしまいます。確かに、私も東日本大震災の福島の原発事故は、東電の飽きれるほどのくだらない社内政治や組織腐敗などの要因が大きい「人災」だと思っています。それでも、そこの経営者が馬鹿丸出しに私利私欲のために、多くの人々に直接害なす行為をしているとはあまり認識していません。ところが、この映画に出てくるCEOっぽい攻撃対象の経営者は、まるで水戸黄門の悪役代官の如きの言動を重ねます。本当にウンザリ来ます。

 なぜ、こんな馬鹿げていて子供じみたテロ集団とナイーブ極まりない元FBIオンナが、ドタバタしたりセックスしたりするだけの、現実離れした勧善懲悪劇の映画が「サンダンス映画祭で評判を呼んだ」となるのかが全く理解できません。この手の映画なら、『エリン・ブロコビッチ』の方が数十倍楽しめます。パンフには「ザ・イースト・ダイアグラム」と言う映画のポジションニング・マップが中に描かれており、新自由主義・環境問題・カルト・テロリズムの四つの輪でできたベン図になっています。その四輪が全部重なるところに入っているのは『ザ・イースト』だけです。この図はそれがこの映画の独自の特長となっていると言いたいのでしょうが、他の映画と異なり、どの要素にも深入りできなかったのがこの映画の最大の敗因とも読み取れます。

 エレン・ペイジは『X-MEN』シリーズでも可愛いと思いましたが、やはり私にとって印象的なのは、『スーパー!』の彼女です。ヒロイン・マニアであるが故に、コスプレ状態で男をレイプしたり、「アハハハハハ」と大笑いしながら自動車で人をひき殺す、ぶち切れキャラが強烈でした。狂信的に何かに入れ込み、ぶち切れ行動を重ねた挙句、道半ばにして残酷な死を迎える役をやらせると、彼女ほど素敵な女優は居ません。今回もやってくれています。しかし、彼女の大熱演があってさえも、DVDが欲しくはならないものと思います。

追記:
 タイトルの『ザ・イースト』の発音が観る前から気になっていました。少なくともオレゴンの田舎で二年余り観察した限りでは、the は母音の前でも必ず「ジ」的な発音になる訳ではありません。「母音の前ではそういう風に発音する単語なんだろ」と現地人に聞くと、「誰がそんなこと決めたんだ。そんな話聞いたことが無い」とほとんどの人間が言います。しかし、実際に発音を聞くと、彼らの無意識のうちに、母音の前では the の発音は何となく「ジ」っぽくなるというだけのことのようです。母音の前でも「ザ」のままの人も結構います。この後者のようなタイプの人々ばかり出演する映画かと思っていたら、劇中、ほとんど皆「ジ」と発音しているようでした。タイトルも好い加減な映画です。

追記2:
 遥か以前に『シネマ通信』に出演していたラスティ・シュウィマーらしき人物がイーストの中のコンピューター・オタク役でこの映画に登場します。『ツイスター』などにも出演していますが、ネットで調べると『セッションズ』にも出演していることが、確認できました。FOXサーチライトの常連役者なのかもしれません。