『ROOM237』

「ルーム、にい、さん、なな。と私たちは読んでいますが、にひゃくさんじゅうななが正しいのかもしれませんね」と新宿駅に実質隣接している小さな映画館の受付スタッフの女性は、私がタイトルの読み方を尋ねると言っていました。月曜日の夜9時、毎日一回しかない上映で観て来ました。封切から、一週間と少々。かなりシアター内は混んでいました。客は私と同じぐらいか少々若いぐらいの男性が過半数でした。

映画紹介サイトの文章によると「スタンリー・キューブリック監督による恐怖映画『シャイニング』。新進気鋭の映像作家ロドニー・アッシャーとキューブリック研究家たちが、その恐ろしくも美しい映像に隠された数々の謎に迫るドキュメンタリー」と言うことですが、全くその通りです。キューブリックの大ファンと言うことも無く、『シャイニング』が特段大好きな映画でもない私が、この映画を語るときに、この謎と呼ばれるものはどんなものであるのかが分かっていなくてはなりません。

それは、画面上で確認しうる非常に些細なことなどです。例えば、舞台となっているホテルの倉庫のシーンの膨らし粉の缶のラベルの向きが微妙に違うとか、そのラベルにある言葉の意味はなんなのかとか、そのようなレベルのこともあれば、或るシーンの最初のカットでは背景の奥に椅子が一脚あるのに、その次のカットに切り替わると無くなっているなどの場面もあります。子供が客室の廊下で遊んでいるときに、或るカットと後続するカットでは、カーペットの模様の向きが違うなどのこともあります。子供が三輪車で走り回るシーンが延々続くのですが、その走っている風景をきちんとトレースすると、一階から二階に突如切り替わっているなどと言うのもあります。

このような内容に意味づけを求めるだけに終始するこの映画の内容について、パンフレットの中で東大教授が書いた文章は…

「これまでにない映画だ。それは裏読みや、偶然と批判を受けそうなところまで容赦なく飛躍する。そして他の作品では映像事故として笑い話になるよう事例も、発見者として次々と明かしてゆく。
しかし、キューブリックに偶然やミスなどはありえない。『シャイニング』はビデオ機材を導入し、撮影現場でプレイバックして確認できるようにした最初のキューブリック作品であり、あえてそうしたのだ」

詰る所、この映画は『シャイニング』の記号論的分析を素人でもとっつきやすくまとめたものなのです。やたらに面白い映画です。さすがに、順進の画像と逆進の画像を重ね合わせてみて色々と分析する画像は、わざとらしい解釈論が連発して、共感できませんでしたが、それ以外は、確かにと思わせる内容が多々存在します。

代表的な解釈は、三つ出てきますが、それらは並行して一本の映画に重層的に組み込まれた“物語的メッセージ”だと劇中で説明されます。一つは、舞台となっているコロラドの歴史上に起きている先住民の大虐殺です。モデルとなっているホテルにキューブリックは撮影に先立ち、取材班が三ヶ月も滞在し、ホテルとその周辺の土地の歴史を徹底的に取材して、膨大な資料を持ち帰ったと劇中で述べられています。

二つ目はナチス・ドイツのホロコーストです。劇中に登場するタイプライターがわざわざドイツ製でアドラー社のものです。アドラーはナチのシンボルでもあった“鷹”を意味する言葉で、劇中にセーターの柄などで何度も登場する42と言う数字は、1942はナチス・ドイツがその後に続く大殺戮を始めた年です。部屋番号の237も全部の桁の数字を掛け合わせると42になるという念の入り様です。シンメトリーなマスゲーム状の柄なども多数登場し、キューブリックが見ていたであろう、ナチス・ドイツの宣伝映画とのイメージ的類似点にも言及されています。最後の話はさらに衝撃的です。

私は声高に主張することは無いものの、アポロの月面着陸は無かったであろうと思っています。Moon Hoax の本などもあまり読んではいませんが、科学として考える時に重要な「再現性」が全く満たされていず、アポロ計画以後半世紀を経て、どの国も米国自身も人類を再び月面に送ることができていないことが一番の理由です。そして、月面の映像がどう見ても違和感が湧くような特撮的であること、あとは、実際に展示されているのを見た宇宙服が、歯磨き粉のチューブの素材どころか、下手をするとアルミ箔よりも薄いようなペラペラの素材で、それでヴァン・アレン帯の強烈な放射線から人体を守るとされていることなど何かどうも嘘臭いと感じることが多いからです。

映画は、このMoon Hoax に関して、「NASAは否定しているが、少なくとも月面着陸の画像は間違いなくスタジオで撮影された特撮映像で、キューブリックがその制作に関与している」とあっさりと言い切っています。勿論、人類の月面着陸はあったのかもしれないが、少なくとも映像は本物ではないとしていますので、純粋なMoon Hoax ではないとも言えます。ホテルの二階に存在する237号室。そこは主人公のジャックにとって性的妄想の部屋であり、子供のダニーがこっそりと覗きに行く部屋でもあります。覗きに行くと、部屋のドアにはキーが刺さっており、キーのタグには、ROOMと番号を示すN(o)が妙に大きく書かれています。文字の組み合わせをばらすと、月とRになります。そして、月は地球から237000マイルなのです。子供のダニーが着ているセーターの胸にはアポロ・ロケットの絵がご丁寧にでかでかと書かれています。主人公のジャックは妻に向かって、進まなくても原稿を書かねばならない、なぜかといえば、それは契約で、一旦始めてしまえば抗うことができないものだからといいます。これはまるで、キューブリック自身がアポロ計画の嘘に加担したことについて妻に言っていたであろう言葉と同じだと説明されます。

本当に記号的で愉しい映画です。キューブリックの他の作品との比較も多々用いられていて、キューブリックの映画大全としてみることもできます。膨らし粉の缶を自らの手で持ち見え方を調整しているキューブリックの写真まで紹介して、総てのトリヴィアはあるべくしてあるようになったと考えざるを得ないとの、凄まじいまでの説得力を観る者に暴力的に振るう映画です。

しかし、考えてみると、色々な映画にこのようなメッセージ性は多々盛り込まれています。先般、映像作品『君と僕の完璧な世界 有村千佳』の初脚本家デビューを偶発的に果たした私でさえ、主人公の女の子のモデル像にあった服装から、ちょっとだけずらした衣装を選定して、主人公の性格や生活態度を表現しようとしましたし、その娘が訪ねる「男」の部屋に『ソーシャルもうええねん』をさりげなくおいて、オタク化している「男」がネットの世界に見切りを付けて、リアルな娘との恋愛に踏み出す、全編のストーリーを象徴してみたりしています。昨日の雨がひどかったねと言って、娘に「ゲリラ豪雨って言うんだっけ」と言わせれば、娘がそのようなものの無い地域から来ていることと、娘がゲリラ豪雨に直撃されやすい有楽町沿線で遊んでいたことを同時に示せるななどと、台詞も練りこんで言わせます。

このような、或る程度の記号的な味付けは、少なくとも全世界で最も記号消費に慣れている日本人には、全く違和感が無い筈です。トリヴィア本、解説本がアニメなどの映像作品にはほとんど付き纏うように登場する日本なら、この映画の内容は普通に感じられてしまう余地があります。ただ、映画でこのような内容のドキュメンタリーがまだ少ないが故に、十分楽しめました。面白いです。DVDは絶対買いです。