『子宮に沈める』

新宿の南口に程近い小さな映画館の上映最終週に、どうもネタ的に見ておかねばと、毎日一回午後9時からの回に慌てて行ってきました。月曜日の夜にしてはやたらに観客がいました。総勢30名程度だと思います。(私の整理券番号が15番でしたが、それより後の観客が多いように感じましたので。)カップル客の分も含めて女性が半数近くいたように思います。女性は若い層が多く、男性は概ね中年以上と言う感じです。

何か一種異様な響きを持つタイトルに映画紹介サイトで関心を持ったのがスタートですが、映画のストーリー解説を読んで、観に行った方が良いと思い立ちました。映画紹介サイトによれば、「実際に大阪で起きた2児放置死事件を基に、(中略)社会派フィクション。都会で暮らす若いシングルマザーが、孤独に追いつめられ逃避に陥ることで始まる子供たちの悲劇を“部屋”という閉ざされた空間の中に描き出す」と言うものです。

私は自分自身が母子家庭で育ったこともあり、シングル・マザーの実態には関心があります。更に、比較的最近までクライアントだった個人事業主はシングル・マザーでしたし、大学で非常勤講師をしていた際にも、クラスの中に母子家庭の子が多いことに驚かされました。私が子供の頃には母子家庭や父子家庭は“欠陥家庭”と呼ばれ、まともな子供が育たないと言われていました。地方紙の社会面の見出しには“母子家庭の少年A、スーパーで万引きする”などと今では信じられないような差別感丸出しの文字があったことを思い出します。

その意味で私は被差別者でしたが、一方で、統計的に見たら、まともな子供が育たない確率はそうではない家庭に比べて、明らかに高いことを知っていましたので、自分に対してそのように見る人間がいても不思議ないとも思っていました。大学で教えることになって、講義のある回からふっと来なくなる学生が居ます。母子家庭や父子家庭で学費を払えなくなったので退学した学生が非常に多く、退学直前に挨拶に来た女子学生も6年間で一桁では収まりません。

さらに、私の頃にはまだ核家族化がそれほど顕著に進んでいませんでした。私も母がオカミ認定の一級洋裁師の資格を持っている洋裁師なので、母が稼ぎ、私の面倒は祖母(母の母)が見ていました。三人家族のままで、私が中学二年生の時に祖母が癌で亡くなるまですごすことができました。この映画にも登場するように、現代の多くのシングル・ペアレントは親一人に対して子供が一人以上と言う構図で生活している様子です。何を持って“まとも”と呼ぶかは議論の余地がありますが、少なくとも、私が子供時代に比べて、現在の方が、シングル・ペアレントの家庭において、子供が“まとも”に育ちにくい環境になっている可能性が高いものと思われます。

以前の私のクライアントのシングル・マザーも、ホステス商売をしつつ自分を祖母に預けっぱなしで家に帰ることさえ少なかった自分の母に対して強い嫌悪感を持っていて、自分が離婚して一人で娘を育てるようになって、分かれた夫の借金まで負わされて返済に追われることになっても尚、自分の母の助けを極力避けるようにしていました。一人娘の学業成績も芳しくなく、中学進学も学校探しが大変で、さらに高校はもっと難関となりました。稼ぎが増えないうちは、どんどん、子育ての出費ばかりが高まっていくジリ貧の生活をしていました。自分が嫌っていた水商売の母と同様に、結果的に風俗系の仕事をしていた時期があったようです。

この映画はまさにそのような典型的な現代のシングル・マザーを描いていて、映画紹介サイトのストーリー紹介には「夫と二人の子供と共に暮らしていたが、ある日、夫から一方的な別れを告げられ、子供二人とアパートで新生活を始める。毎日の長時間労働、資格試験、家事、子育てなどに追われながらも、必死に“良き母”であろうとする。だが学歴も職歴もないシングルマザーは経済的困窮に陥り、次第に社会から孤立していく……」とありますが、本当にそのままの展開です。

しかし、この映画は、色々な意味で納得できない展開を見せます。この映画の舞台は幼児の子供二人がいるマンションの部屋だけです。全く外が映ることのない映画です。子供は3歳児ぐらいの女の子と1歳児ぐらいの男の子です。部屋からカメラは出ないので、部屋の外で何が起きているかは、部屋の中の様子から想像するしかありません。

ですので、夫が出て行った理由もよく分かりません。ただ、家に段々と帰らなくなったようで、最後に深夜に戻ってきた夫に、いきなり「最後にしたのいつだったか覚えてる?」と手を掴んで自分の胸に触らせようとしたりします。夫は出て行って、その後、彼を追いすがった様子もありません。例えば、弁護士かその手のカウンセラーなどを通して、彼を追及し、金銭を取ろうとすることもできるでしょうし、今時のNPOなどの支援機関を訪ねた様子もありません。それどころか、何らかのオカミの機関にさえ行っていない様子です。その辺のことも、映画紹介サイトの文章にある「学歴も職歴もない」浅はかさ故と言うことであれば、随分とシングル・マザーを馬鹿にした映画です。

さらに突如、彼女は働きに出ることになりますが、どうやって仕事を探したのかも、何の仕事なのかも分かりません。ただ、パンフにはシングル・マザーの水商売に就く便利さが解説されていますし、服装は唐突に派手になっていますし、働き始めてすぐにホストのような男を部屋につれて帰ってきてはダイニングキッチンでばんばんセックスをしますので、まあ、水商売しか就きようがなく、そうなると、すぐ男を誘い込むようになるということなのでしょう。映画紹介サイトにある「資格試験」と言うのもよく分かりません。一、二度、それらしき本を寝ながら開いていただけのような感じでした。私が考える資格勉強のあり方とはかなり程遠い感じです。

母が荒んで来ると、段々子供も泣き叫んだり荒れたりするようになってきて、余計、母は子供疎ましく感じるようになります。そして、育児放棄をして部屋を出て行く…と別の映画紹介には書いてあり、その放置によって、下の男の子が餓死するとのことでした。ところが実態はそうではありません。単なる数日間家を空けたとかではなく、意図的に子供を処分することにしたのでした。

或る朝、子供にテーブルでご飯を食べさせて、自分は劇中初めての喫煙を立ったままでして、子供達を無言で見ていたかと思うと上の娘にだけ、「じゃあ、出かけるからね」とぶっきらぼうに言って、部屋を出て行くのです。しかし、後から分かるのですが、窓には既に目張りが頑丈に為され、さらに玄関につながるドアもガムテープでこれでもかと言うぐらいに外側から閉じていきます。トイレにもいけないので、部屋はどんどん汚物まみれになって行き、餓死した男の子の遺体からは蛆が湧いて転がり出るようになります。上の子はマヨネーズさえもすすり終わって、包丁を持って缶詰を開けようとして失敗して、最後は粘土細工の粘土まで食べて飢えを凌いで衰弱していきます。

そこに、ガムテープをはがして戻ってきた母は、「ママぁ、おそいよ」と繰り返してしがみついてくる娘を全く無視して、用意してきたマスクまでかけて、息子の遺骸を洗濯機に入れて蛆を取ります。その後、顔だけガムテープでぐるぐる巻きにします。辛うじて生きていた娘は水を張った風呂につけて溺死させます。そして二人の子供をビニールシートに包み、部屋中のゴミや散らかったものを入れたポリ袋と一緒に積み上げます。

その後、母は椅子に座り、まだ夫がいた頃にいつも趣味でやっていた編み物の編み針を手に持って自分の膣に突っ込みます。既に誰かの子を妊娠していて、それを自力で掻爬しようとしているのです。どの程度このようなことが可能なのか私は分かりません。ただ、曲がった位置についているポルチオなどを見ることもできない状態で編み針の先で探りながら貫通させ中を掻き出すというのは簡単にできるとは到底思えません。痛みを我慢しているような表情は時折する様子でしたが、椅子に座って普通にその行為を終えて、家に戻ってきて以来、初めて泣き出すのです。その間出血一つしません。

その後、シャワーを浴びるシーンで血が下水溝に流れ出ていくシーンが続きますが、その後も、部屋に戻って呆然とゴミと一緒になった子供達のシートの脇に座っているシーンで映画は唐突に終わります。

時間経過が全く分からないので、突如、母は変わってしまったように見えます。なぜ、こうなる前に、例えば、実家に帰るとか夫を追いかけて怒鳴り込んで援助を要求するとか、そのようなことができなかったのか。さらに、一旦部屋を出た後に、なぜ殺害の決着をつけに戻ってきたのか。そのまま失踪してしまえばよかったのではないか。新たな男との子供の掻爬もなぜ男に迫ってせめて病院でできるようにしようとしていないのか。

大体にして、もともとなぜ自分を捨ててただ居なくなるような男を選んだのか。自分が(劇中では全く分かりませんがパンフによると)学歴も職歴もないということなので、なぜそれならもっと夫を離さない様にしなかったのか。よく分からない映画です。追い詰められると人間はこのようになるということを言いたいのかもしれません。

私が24の時、高々250万円の全財産で留学してみたら、色々な出費であっと言う間に半分ぐらいは金がなくなりました。それから何とか早く卒業するように気が狂うほどに勉強して、体には無理がかかり血を吐きながら生活するようになりましたし、総ての長期休みは日本でのバイトの掛け持ちに明け暮れましたし、それでも行き詰まりそうになった時、大学の色々な人に状況を伝えて回って、その結果、今に付き合いが続くホストファミリーに巡り会うことができました。大学生活二年半のうち後の一年半は食費と家賃はゼロになりました。ただの居候の生活をまるで昔の日本に居た「書生」のように過ごしていました。人生背水の陣からギリギリ戻ってくることができたように思っています。

映画のパンフによると、このようなかわいそうなシングル・マザーの境遇に対して社会的な支援が…と言う論調に偏っていくのですが、映画の限られた映像を見る限り、どうもそのような風に考えられない生活をしているように思えてなりません。多少なりとも考えたり、多少なりとも人に頼って迷惑をかけることに躊躇しないようにすれば、少なくとも切り抜けることは簡単にできる状況のように思えるのです。全く理解しかね、共感できかねる映画なので、DVDはくれても要らないものと思います。