『凶悪』

 土曜日の昼過ぎの新宿ピカデリーで観てきました。さすが三連休初日。かなり混んでいました。公開から3週間目。結構な話題作と聞くこの作品は一日に三回ほど上映されています。かなりシアター内も混んでいました。満席状態ではありませんが、7割以上は席が埋まっていたように思います。

 現実の犯罪をベースにしたノンフィクション映画。殺人の連続。既に刑務所に居る実行犯と、検挙されることもなくのうのうと暮らす「先生」と呼ばれる殺人の計画者。この構図をちょっと見てみたくなったのが動機です。いつも感じる通り、無機質な殺人の連続の映画は、どこか私には魅力的です。その観点では、私はこの映画が一応好きです。

 映画は当初、(タイトルが登場するまでの冒頭を除いて)調査を進める雑誌記者の山田孝之の視点から進みますが、途中から“先生”やら実行犯やらが出てきて如何に事件が進められたかを克明に描きます。克明過ぎて、この実行犯の男のすぐキレる狂気のあり方に常に気を使っているような気分になって、気楽に見ていることができません。この実行犯の大柄な男は誰なのだろうと思って、調べてみて「ピエール瀧」という人物と知りました。ふ?んと思って、略歴を読み、電気グルーブの人と知りました。電気グルーブは『古代少女ドグちゃん』のシリーズのテーマ曲『誰だ!』でちょっと気になり、CD二枚を買ってiPODに入れましたが、画像で観たことがなく、この人物がその中心メンバーとは知りませんでした。この役柄にはまっていて怖い、男優です。

 うんざりするぐらいに、醜く恐く殺害のシーンが描かれて行きます。様々な殺害が登場しますが、特に、映画の中心にどんと据えられた保険金殺人の描写は圧巻です。地方都市のぱっとしない電気店。5000万円もの借金を背負った老店主とその家族。保険を掛けられ、借金を返すために殺されることになる老店主が、家族に見捨てられ、売り渡されるプロセスと、まさに死ぬまで酒を飲まされ、電気ショックを受け、ボロボロになって死んでいく様がリリー・フランキーとピエール瀧が狂気に踊る中で描かれているシーンには、圧倒的な力があります。

 また、冒頭に登場するピエール瀧が舎弟と延々人殺しを重ねるシーンも、AV女優の範田紗々が犯されながらシャブを打たれて死んでいくシーンなどの体当たり演技も重なって、この後に続くであろう、殺人の連鎖を十分に予期させます。

 ただ、殺害者の狂気や殺人の無機質的な怖さを描いた部分だけを見ると、この映画は『冷たい熱帯魚』を越えたものではありません。単に血糊の量を比べても明らかですし、無機質さでも狂気のありようでも、ほぼ同レベルに思えます。また、単に徒に人の死を連続して見せる映画なら、他にも多数あります。

 観ていて分かるのは、この映画が人間ドラマとして成立しようと試みていることです。記者がどんどん事件を暴くことの魅力に取りつかれて行き、「あなた、こんな狂った事件、追っかけて、楽しかったんでしょう?」と池脇千鶴演じる妻に詰られても止められないようになる様を映画は集中的に描いています。

 記者は検挙され収監されたリリー・フランキーからも、「俺を死刑にしたいと最も強く思っているのは、誰でもない。お前だ」と言われます。記者がまともな判断を失って行くプロセスも映画の見どころであると評されています。つまり、凶悪の象徴のような実行犯は収監されて信仰にまで目覚めて行くのに対して、社会に普通にいる山田孝之の方が、寧ろ、正義を振り回しつつ、「あいつは死刑になるべきだ」「こいつも死刑になるべきだ」としつこく言いつのるようになる過程を描いているのが、ウリだと言う話です。しかし、介護に疲れおかしくなって行く妻まで放置して、なぜ雑誌記者は事件の追跡にハマれるのかということについて、少なくとも私に対しては、この映画は説得力を持っていませんでした。結果的に、この手のシーンを繰り返せば繰り返すほどに、空ぶり感が際立ちます。

 寧ろ、着目したい別の構図が一つあります。雑誌記者の妻は同居している痴呆らしい義母の介護で当に壊れて行こうとしています。そして、義母をホームに入れる決断を煮え切らない山田孝之に再三迫り、離婚届も突きつけてきます。そして、もう一つの家族、電気屋一家がいます。こちらは、老店主の年老いた妻が、「嫌がっているけど、どうする?」と電話で尋ねてくるリリー・フランキーに対して、家族の食事のさなかに電話に応じて、ぼそりと「もっと、お酒を飲ませて下さい」と殺害を暗に依頼します。

 この二つの構図は、実は結構似ています。そして、わざわざ、リリー・フランキーが「土地を持った老人が多過ぎる。彼らに死んでもらえば、どんどん金が湧いてくる。まるで油田のようだ」と老人ホームの前で語り聞かせてくれるシーンがこの構図をダメ押しして観客に理解を迫ります。全く違う映像なのに、最後に記者夫婦が送り届けた痴呆の母を迎え入れた施設の職員の笑顔と、保険金のために老店主を引き受け、庭で昼間に働く姿を窓越しに見つめるリリー・フランキーの眼差しが、似て見えてくるのです。

 私の周辺でも、相続人がいなくて、老人が亡くなって、国庫に土地や建物全部が没収されたと言うような話をよく聞きます。老人と土地を含む所有財産の流動化というような、結構社会的にはタイムリーなテーマのようにも思えます。

 さらに、もう一つ、面白い観点があります。映画評の多くは主人公の男たちの様子に集中しているようですが、私は作品中の女性達の主張にどうしても目が行きます。殺人者の話が大好きでそれを追いかけまわして、暴くことに我を忘れている夫に対して、「そういう記事やニュースを面白く見ている自分に気付く」と言い、「だいぶ前からお義母さんを叩いています」と低い声で吐露し、「お義母さんがいつか死んだらと思うことがある」とまで言い出す妻。

「もっと、酒を飲ませて下さい」と老いた夫を殺害するよう依頼して、家族とテーブルで食事を続ける老妻。さらに“先生”からも娘の養育費や生活資金を散々貰い、男達の犯罪を普通に受け止めていて、殊更関与することもなく、一定の距離を保ちながら、「やっぱ、憎めない男なんだよねぇ」と遠い目で昔を語るピエール瀧の肉感的な愛人(松岡依都美)。そして、ピエール瀧に舎弟で失敗を咎められ追い込まれたチンピラと付き合っていて、一見普通に暮らしていた筈なのに、巻き添えを食って、犯されシャブを打たれ、挿入されたまま死んで行く範田紗々。最初は散々反対してゴシップ記事を追うように指示していたのに、主人公の記者が話をまとめると、一転して、自分も最初からそれを追っていたかのようにふるまい始める女編集長。

 基本的にぼろは出すし、周囲が見えなくなるし、変な正義感を振り回したりするし、宗教にはまっておかしなことを言い出すし、面倒になるとすぐ殺すし、社会性の見地で不適合な男が圧倒的多数の中で、惨めに殺害される範田紗々の結末はおいておいても、(敢えて言うと結果的に逮捕される老妻も除くべきかもしれませんが…)女たちはかなりしたたかに生きていて、或る面ではその神々しいふてぶてしさに見入ってしまいます。

 面白い映画です。面白いのですが、どうも、暴力ものとしては平均値程度で、ドラマ性を構成するには失敗している感じが大き過ぎるので、DVDは要らないかなという感じです。