『リアル 完全なる首長竜の日』

 木曜日の深夜12時5分前から始まるバルト9の回で観てきました。封切から6週間。それでも尚、関東圏では数カ所で上映されていて、バルト9ではこの深夜の回一度しか一日に上映されていませんが、かなりのロングラン作品だと思います。カップル、女性一人、男性一人など入り混じって、比較的若い年齢層の客が全部で20人弱でした。

 面白い映画です。所謂エンタテインメントとして観たとき、一級の作品だと思います。DVDは勿論買いです。意識と無意識の世界の映像化、センシングという他人の心の中に入り込む技術、環境破壊、無意識に巣食うトラウマ、子供社会の残酷性、マンガ文化、そして、フィロソフィカル・ゾンビなどなど、色々な要素が無理なくきちんと納まるべきところに納まって、組み合わさり、物語全体を織り成しています。おまけに、映像はどれも美しく高価な布のような質感があるように見えます。そしてプロットは、三分の二が終わったところで大どんでん返しを経て、一気にクライマックスに向かいます。

 佐藤健が演じる男が、突如自殺を図った漫画家の同棲相手の綾瀬はるかが昏睡状態のまま一年を過ぎているところへ、その目覚めを誘うため、センシングという技術で彼女の意識に入り込んで体験する事柄を物語にしたものです。センシングは原理的にはMRIのような装置で心を脳から読み取りバーチャルな場で混ぜ合わせることで、意識のコミュニケーションが図れるようになっているようです。

 綾瀬はるかは意識の中の自分の部屋で、行き詰まりを感じ、自信を失いかけている創作活動に励んでいます。佐藤健がセンシングで彼女を訪ねるたびに、部屋に彼女の描くグロい変死体やゾンビが現れたり、半分水没しかけているような部屋が忽然と現れていたり、どんどん意識の中の何でもありの世界観が展開していきます。綾瀬はるかは自分が昏睡の中にいることに意識的であることさえ分かり、なぜ、目を覚まそうとしないのかの謎がどんどん深まる展開です。おまけに、センシングの結果、佐藤健は脳に後遺症が残り、残像を日常でも見るようになり、全身びしょ濡れの少年や綾瀬はるかが描く死体がそこかしこに現れるようになります。

 後半に入り、綾瀬はるかが部屋を出ると言い、意識を取り戻すのかと思いきや、部屋の外の霧の果てに向かうことになり、そこから先には突如彼ら二人が子供時代を過ごした彦根島がいきなり広がっていますが、それが綾瀬はるかの無意識の世界であると言われています。無意識の世界に入ると、さらに世界は唐突で無秩序になり、観る者の認識が狂わされていきます。

 センシングの作業を繰り返すうちに、綾瀬はるかが意識の中の世界にモブとして存在するフィロソフィカル・ゾンビと同じものと判明し、現実世界での残像も増えて、現実世界と意識の中の世界が混濁してきます。さらに佐藤健にアドバイスする医師の中谷美紀の言動もどんどん不自然になっていきます。これはまさかの夢オチかと思いきや、後半に入り大分話が進んでから、いきなり大どんでん返しです。

 なんと漫画家で昏睡状態に陥っているのは佐藤健の方で、外からセンシングで彼を助けようとしているのは綾瀬はるかだったのです。意識や無意識の世界の無秩序さやいい加減さ、さらに、残虐性などがうまく映像に描きこまれています。抑圧されてきた記憶の形や、無意識に潜在してきた良心の呵責を首長竜に象徴させる描写などは、鑑賞中にさえ嘆息が出るぐらいに見事でした。

 色々な映画が思い出されます。私が大好きな『ジェイコブズ・ラダー』に並ぶ心の中に潜む恐怖の描写ですし、心の中へのダイブという意味では『パプリカ』や『インセプション』に描かれる現実感のない無秩序な世界に並ぶ作品です。美しい映像に裏打ちされたスケール感で言うと、方向性や程度が少々異なりますが『落下の王国』のような吸引力があります。さらに、今挙げた作品群にない要素がこの作品には明確に存在します。それは、二人の主人公の失命の危機に瀕した恋愛劇です。

 この映画を観に行くことにした最大の理由は、最近、日本一と称される催眠術師の先生から催眠技術の素養を見出されたので、催眠のテーマである意識と無意識の世界観に関心が湧いたことです。劇中のセンシングが為せることは、完成された催眠技術のほんの入り口レベルのものにすぎないことが分かります。先生から無意識野を扱う上での慎重性を常に強調されている私には、画像に現れる無秩序な世界観自体が非常に「リアル」な、ややもすると手に負えなくなる対象に見えて、考えさせられること頻りでした。

 もう一つの理由は、やはり、監督の黒澤清です。名作と名高い『CURE』などの作品も本作を見て、早速レンタルすることにしましたが、私には彼の初期の作品である『ドレミファ娘の血は騒ぐ』です。20代半ばの頃に当時持っていたベータのビデオデッキで、ダビングしたテープを何度となく見返していました。後の黒澤清の作品に頻出する中谷美紀やオダギリジョーが脇でなかなか渋い役回りを担っています。また、観てみてから気づいた小泉今日子もかなりイケていました。

 主演の綾瀬はるかは、私には『僕の彼女はサイボーグ』があまりにも印象深かったので、やはり、それを超えるほどの素晴らしさは見出せませんが、それでも安心してみていられます。佐藤健の方は、「どこかで観たような気がする」としか思えませんでしたが、帰路、DVDで比較的最近観た『るろうに剣心』と分かりました。そして、検索してみて、娘と少々観た『仮面ライダー電王』を思い出しました。

 中谷美紀がさらりとフィロソフィカル・ゾンビに言及して、鑑賞中にも「なんだっけ」と考えていて、読んで非常に衝撃を受けた「受動意識仮説」の中にあるクオリア批判まで思い出しました。確かにその文脈で映画を観ても、それなりに頷けることが混ぜ込んであります。とても面白い映画です。

追記:
 午前二時過ぎ。バルト9から出ると新宿のマルイワンを取り囲むように列を成して道路に座っている100人以上の若い女性を見ました。(男性はほんの数人、ぽつんぽつんといたように思います。)何が目的であったのかは全く不明です。新宿などの都会ならではの夜の風景です。