『ラーメンより大切なもの 東池袋 大勝軒 50年の秘密』

 仕事が早く終わった金曜日の夕方、池袋のサンシャイン近くの(多分ここ10年では間違いなく)初めて行く古い映画館で観てきました。上映しているのは全国でここ一ヶ所。今月8日からの公開で一日たった二回の上映です。

 古い映画館のそれほど大きくない劇場に入り、コーデュロイのような素材の古い椅子に掛け、周りを見渡すと、20人ぐらいの客が居ました。殆ど皆私と同じかそれ以上の年齢の男性でした。

 私はラーメン好きでもないので、「再開発で池袋の行列ができることで有名なラーメン店が閉店したとか言っていたような記憶がある」ぐらいにしか、映画のタイトルを見るまで予備知識を持っていませんでした。タイトルを見て、個人がずっと運営してきているのに50年に渡る歴史があることを知り、さらに他のサイトの紹介文から、その店主が事業の拡大と共に、経営者に変わっていくのではなく、ずっと一店の店主であり続け、愚直にラーメンを作り続け、行列のでき続ける大繁盛店を維持し続けた事実に関心が湧きました。

 しかし、DVDを待つことなく、普段あまり足を向けることのない池袋に行ってでも、きっちり見てこようと思った理由は、映画.comの紹介文です。

「店主・山岸さんの人柄にひかれて日々やってくる常連客や弟子たちでにぎわう店の様子を克明に映していく。しかし、カメラが追ううちに、順風満帆に見えた山岸さんの心の奥に隠された影が徐々に見え隠れし、大衆に支持されたラーメン店の誕生秘話が明らかになる」。

 50年に渡り、只管ラーメンを作り続けた男の「影」、そして、タイトルが暗示する「ラーメンより大切なこと」が猛烈に知りたくなりました。映画を観て、私の想像していた「影」がその通りであると分かりました。それはラーメンを作る中の妻との「人生で最も満ち足りていた日常」と言う呪いでした。店主山岸一雄氏は1934年、長野県の生まれ。同じ年齢の従兄弟で幼馴染の二三子さんと「一、二三と続く名前だから」と薦められて結婚したのが、26歳の時。この時既に阿佐ヶ谷の従兄弟が店主のラーメン店で修行中。結婚一年後、夫婦二人で働いて切り盛りする大勝軒を東池袋に開店。巣鴨プリズン跡に程近い何もなかった土地なのに、行列ができる店を味の研究に研究を重ねて実現します。

 ここから、後に山岸氏が「人生の最高の時期」と言う20年余が始まります。そして、山岸氏のノウハウは注目を浴び、どんどん弟子が来ては味を覚え、数カ月で去ると言うプロセスを繰り返すようになります。ライセンス販売など考えることもなく、弟子達が「大勝軒」をあちこちで違う味なのに名乗り始めても、一切関知することがありませんでした。

 夫婦二人の営業はどう考えても楽なものではなかったものと思われます。結婚後直ぐに故郷の長野・志賀高原に二人で出掛けたのが、新婚旅行となって、それ以降、店の営業の都合から、何泊もかけるような旅行に行くこともなかった筈です。ただただ狭い厨房の中で二人で力を合わせて「小さな事業」を営む毎日が過ぎて行ったことでしょう。

 山岸氏は40歳の時、長時間の立ち仕事が原因で両足に静脈瘤ができ、悪化して大手術を受けることになります。この時が多分、最初の長期休業です。しかし、暗転は彼が52歳の時に訪れます。体調不良を訴え始めていた二三子さんが通院しても原因が分からないまま、一ヶ月後に眩暈を感じてそのまま倒れます。胃がんが末期と判明し、その後一ヶ月で他界しました。その後、彼は2002年58歳の時に、医師から手の指、膝の関節の軟骨が悉く摩耗してなくなっていて、若い頃の写真に比べて明かに肥満で歩行も困難な状態で仕事を続けるのは、あと1年が限界と診断されます。

 痛みをこらえながら、彼は減量に努力する訳でもなく、コンビニ弁当の食事を改善する訳でもなく、ほんの近所の家に帰りもしないで、店の丸椅子の上に板を載せて寝るのを止める訳でもなく、ただ、日常を重ねていました。どんどん状況は悪化して行き、とうとう、血流の悪い足が堅く腫れ上がり、靴下を自分で履けなくなります。さらに、体液が足の皮膚から染み出てくるようになりました。肥満と血行不良で呼吸も苦しくなり、眠ることもできず、日々朦朧とし、とうとう倒れて入院します。医師の診断から二年後のことでした。結果的に弟子達に店を任せ、8カ月に及ぶ入院生活の後にたった一日店に立つも、麺の水切りさえ指の関節が痛く、腕さえ動かせない自分に気付き、開店後の20分で厨房を去ります。

 彼の入院から、最早行列のできない普通のラーメン店となった大勝軒で、彼が店に立つことは二度とありませんでした。大勝軒の場所に52階の高層ビルが建つことになり、2007年63歳の時に彼は消える店と共に引退することになり、その日にだけまた長蛇の列ができました。

 ラーメン作りの日常に捧げられた彼の後半の人生を普通に聞けば、「狂っている」とでも、「非合理的」とでも言えることと思います。結果的に弟子に任せざるを得ない所に追い詰められるなら、せめて、自分の健康維持や弟子の体系的な育成に取り組まなかったのか、などなど、幾つもの疑問が湧きますし、それを思いつかずやることもできなかった時点で、店主としての無能を論うことさえできることでしょう。

 しかし、山岸氏の後半の人生をそうあらしめた「影」は、映画.comの紹介文が言うような「誕生秘話」にはないように思います。彼にとっての最高の時期は、実は満ち足りた夫婦で仕事ができる毎日である一方で…

「普通の結婚と違ってさ、幼馴染の従兄弟同士だから、ちょっと違ったんだよ」と言うような、「結婚」と言う煌びやかさも晴れがましさも欠けたものであり、

 さらに、妻の病気に気付くこともできない毎日であり、そして、妻を急逝させて、何もかもを彼から奪ってしまった毎日に他なりません。

 彼はあまりのショックに店を半年間閉めていましたが、たまさか店を見に行った際に、休業中の貼紙に書かれた常連客からのメッセージを見て、再開を決意したのでした。彼は、店の再開に当たり、店舗の上にあった妻と過ごした四畳半の部屋をそのままに封印し、再開発のための取り壊しの時まで自分も他人も立ち入ることを許しませんでした。厨房では妻と使った道具類を変えることはなく、位置まで変わらず維持し続けました。そして、猫好きだった妻に彼が贈った厨房の鴨居の上に掛けられた愛らしい子猫が並ぶ絵が、油に塗れて汚れて行くのを放置し続けました。そして、毎日、お客さんに向ける笑顔とは裏腹に、毎日機械の如く、全く同じ作業を繰り返し、「妻を奪った日常」の「時」を二度と進むことのないようにして日々を送って来たのです。

 封印された四畳半の入口について、監督がカメラの手前から山岸氏に尋ねる瞬間があります。にこやかな笑顔が一瞬で消えて、「あの中を見せろと言うのなら、取材は全部やめて貰う。人が一生懸命働いているのに、心臓をえぐるようなことをされたくない。今の人生は、働いて食べていけて、お客さんが喜んでくれることで幸せと考えなきゃならないんだ。そういう風にオレはしてしまったんだから」と、まるで井戸の底を覗きこむような暗澹たる表情で語るのでした。研ぎ澄まされた刃物のように鋭利な場面です。

 猫の絵を数十年ぶりに磨き、退院後臨んだ再出発も、たった20分で限界を感じ、マンションに引きこもるようになります。「もう、ラーメンを作ることはできないんだ。店があって、他の人がやってくれている。何かがなくなった訳じゃないから、良いんじゃないか」と自室で語る言葉は自分を納得させるためのものにしか聞こえません。そして、店を閉め、引退後に跡地のマンションに入居した後には「52階建てと聞いて、ピンときたんだ。あいつが死んだのが52歳の時。オレも52歳の時。だから、あいつがいてくれるって。だから、この場所に居るんだよ」というように訥々と語ります。素晴らしく美しい新築マンションの一室に一人で暮らし、「色々なことは胸にあるから、いつ死ぬことになってもいいさ」と以前のお客さんへの微笑みさえなく話すのでした。

 彼を訪ねた弟子が、彼の故郷について尋ねます。彼は素晴らしい所と言い、ハモニカで奏でられる「故郷」の曲もあの場所について作られたものだと説明しています。しかし、帰って見なくて良いのかと聞かれると、胸の中にあるからもう戻らなくていいと断ります。彼の最後に訪ねた「故郷」は妻と共に訪ねた新婚旅行の地であるからです。

 仕事柄、人の動機づけについて考えてしまいます。仕事によってお客さんから認められる喜びは、愛する人とともにある喜びを代替することができるのか。まして、その仕事が愛する人を失う結果につながったものであっても可能であるのか。多分、彼の人生は報いてやることのできなかった妻の死と共に実質終わったのではないかと思います。その後の人生はまるで付録の如く、お客さんのために止まった時の中で、壊れたレコード・プレーヤーのように繰り返されただけだったのだろうと思います。

「ラーメンより大切なこと」は妻への愛情と解釈可能ですが、厨房に残る妻の気配を以てその証拠と考えるのは浅薄だと思います。そのラーメン作りの毎日は、その「ラーメンより大切なこと」を打ち砕いたものであった筈だからです。二度と帰らない輝いた時間とそれを奪い取った仕事を、笑みを浮かべて続ける毎日。その残酷な対照が心臓を鷲掴みにするような映画です。DVDは絶対に買いです。

追記:
 今年一月に観た『その夜の侍』を、今年最高の映画かもと考えていましたが、年の前半で、一二を争う傑作が出てしまいました。奇しくも両方が愛する人を突如奪われた男の物語です。

追記2(in 2015):
 2015年春、山岸氏の訃報がニュースに載っていました。漸く呪いが解けたのかもしれません。ご冥福を心より祈念するとともに、愛妻との幸せな日々が再び始まっていることを祈念いたします。