『プラチナデータ』

 何となく最近、近未来モノよりも、さらにもうちょっと現在に近い敢えて言うなら「近近未来モノ」が少々気になってきました。もしかすると、快作であった『LOOPER ルーパー』の印象が引っ張っているためかもしれません。

 封切後一ヶ月半以上、既に多くの上映館で一日一回程度の上映回数に減らされていましたが、息長く公開されていることに関心が徐々に湧いてきて、仕事の無い平日の午後、ポイントが全くたまることのない新宿ピカデリーに赴きました。シアターに入ると20人程度の人で、上映期間の長さと曜日や時間帯を考えると、この人数でも十分すごい人気と判断すべきなのだろうと思いました。まあ、ジャニーズからは二宮和也、さらに豊川悦司、萩原聖人まで揃い、女優には杏を配して、おまけに原作は東野圭吾と来たら、これぐらいの興行実績は当然なのかもしれません。

(私はどうも観る作品が偏っているのか、トヨエツを見ると、その演技は安心してみて居られるものの、その姿に、どうも『Love Letter』と『愛の流刑地』がまず連想され、ついで『NIGHT HEAD』が連想されます。すると今度は小島聖が結構ファンだったので思い出され、『完全なる飼育』やチョイ役で出演している『悪の教典』が思い出されるのです。)

 上映一ヶ月以上なので、当然、色々な評価を多少は耳にしていて、意外に不評が多いように感じてはいました。極端に多いほどではなく、好評不評が半々かやや好評が多いぐらいと言う感じでしょうか。私の印象ではまあ及第点以上と言う感じです。ここ最近見た中で似たジャンルの映画は『脳男』だと思いますが、間違いなく『プラチナデータ』の方が好感が持てます。

 この映画を見て思い出した映画が3本あります。一つは『ボーン…』シリーズで特に三作目だと思います。映画の本題とは異なるのですが、遺伝子情報の管理社会の危機よりも、どちらかと言えば、同じ国民情報の管理の観点でも、画像情報を含むライフログ管理の方が私はかなり気になっています。この映画において、遺伝子情報を管理する状況描写は映画の冒頭の四分の一程度、さらにエンディングで少々と言う感じでしか混ぜ込まれていません。中盤の主人公に対する追尾劇が展開する中で、用いられているのは遺伝子情報ではなく画像を含むライフログ情報です。全国の監視カメラの中から該当する人物を検索するという巨大システムです。この追跡劇が殆ど『ボーン…』シリーズ中のものと同じ構図のように思えます。逆に言えば、『プラチナデータ』がハリウッド大作並みの面白さの追跡劇を見せているとも言えます。

 もう一つは『イキガミ』です。これはオカミが遺伝子を管理すると言う背景状況が全く同じと言うことからの連想です。往年の美しさが全く私には感じられなくなった鈴木保奈美演じる科学者が、優れた遺伝子情報から遺伝子の個体を残すという発想を推し進めようと事を画策して行く様が描かれているのですが、この切り口では、近近未来映画感さえ薄れてしまいかねません。既に、この手の考え方は世の中のあちこちで表出するまでに増殖しているからです。やはり、遺伝子の管理体制の問題点を指摘するのなら、数段上の捻りがある『イキガミ』の方が(設定に多少の無理を感じるものの)各々のエピソードを楽しめることでしょう。

 最後の一本は『ガタカ』です。一応『プラチナデータ』も内容において比重は低いですが、遺伝子管理社会を批判する映画であるとするならば、『ガタカ』の方がかなり重厚な演出になっています。当時の特撮技術とか、予算の問題だのとか、色々な理由があって、目覚ましい未来感などはありませんでしたが、遺伝子によって人を階級付ける社会を描いた問題作であることは確かだろうと思います。ただ、当時、その映画の落ちが、手垢付きのヒューマニズム丸出しの、「遺伝子だけで未来は決まらない。自分の努力で未来は捉まえるものだ」と言った青臭い主張をガーンと提示して終わるのにはかなり唖然とした覚えがあります。この主張は丸ごと『プラチナデータ』にも移植されています。斬新な試みであるのは『プラチナデータ』が、この青臭い主張の論拠として、同じ遺伝子、同じ体を持つ多重人格者の事例を持ち出して、「遺伝子ですべて決まるのなら、多重人格者のあり方をどのように説明するか」という反証を突き付けていることでしょう。

 そして取り散らかったストーリーを、『脳男』に引き続き、基本的に各種の人間の技術だの文明だとの言うのは、人間の心に残された未踏の領域を超えることはなく、結局人はそこによって救われるのだと言う、最近流行りの安易な結論に帰着させるのです。

 それでも、この作品は、今の世の中の映し鏡のような妙な歴史記録的価値を持っているように感じられてなりません。遺伝子情報管理、ライフログ管理、贋作と本物の間に横たわるシュミラークルに言いしれぬ違和感を抱いて自殺に至る人、精神の世界に人類の未踏の仕組みを求める技術文明の現時点での進捗度合い、日本の都市と地方(北関東やら川崎やら)の街並みと経済の在り方などなど、あらゆるものが写し取られています。タイム・カプセルに入れて、50年後に発掘されるにはとても相応しい映画に思えます。『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 』のような存在になるのではないかと思えます。

 そう言えば、『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 』で、現代からバブル期に行った広末良子は、当時のイケイケな女性の眉毛の太さに驚き、向こうの人々は広末良子のローライズのGパンを指さして、「サイズが合わないのか。へそが出ている」と口々に指摘していました。50年後、やたらに足が細く長く、究極のスタイルの良さを通り越してしまっているかに見える杏の体型や眠そうな顔、そしてソバージュでスフィンクスのようになった頭のシルエットなどは、どのように評価されるのかも、関心が湧く所です。年齢から考えて私がそれを知ることはないでしょう。この歴史資料的価値がこの映画を及第点からさらに少々押し上げるので、DVDは買いです。辛うじてですが。