『桜並木の満開の下に』

 靖国通り沿いテアトル新宿の平日のレイト・ショーで観て来ました。4月13日の封切から三週間近く。ネットの映画情報では明日金曜日が上映最終日だということで、それじゃあ、観ておくかと映画館に赴くことにしました。

 映画館に着くと、そこらじゅうにあのまったりした江口のりこの顔がでかでかと掲げてあり、驚きました。全くノーマークの『戦争と一人の女』と言う映画がそれなりの好評の様子でした。連日、トークイベントが催されていて、その日の分は、出演している訳でもなく、何か制作に関わっているのでもないのに、なぜか宮台真司が「戦時下の終わりなき日常を生きろ!」と言うテーマの下、終了後ロビーでプロデューサーの寺脇研とサイン会を開いていました。宮台真司はその初期の作品群はほとんど読んでいるぐらいに好きな作家(本当は作家ではないのでしょうが…)なのですが、ナマでみたのは初めてでした。かなり問題作のようなので、これもちょっと観なくてはいけないかなと思い始めました。(原作が坂口安吾と言うところが気になりますし、緩い感じで一応江口のりこファンでもあるので。)

 観に行った本命の『桜並木の満開の下に』の方は終映直前でもそこそこ人が入っていました。20人弱程度だったかと思います。客層も特定の感じはなく、どちらかと言えば私ぐらいの中年男性が多少多かったかもと言うぐらいです。

 この映画を観に行った背景は、既に公開されている『アイアンマン3』や、もしかして、もう少々やっていれば観ようかと思っている(つまり、上映がそろそろ限界の)『プラチナデータ』を観ることになると、また大作方向にレパートリーが偏ってしまうからと言うだけのことで、その中で新宿で観に行きやすい時間帯のものを選んだ結果です。新宿武蔵野館でやっているデイヴィッド・クローネンバーグの新作『コズモポリス』も非常に捨てがたいのですが、上映期間がまだあるので、取り敢えずパスしました。これで、『コズモポリス』と『戦争と一人の女』の二本が比較的マイナーな映画として候補作になりました。さらに予告で観た『監禁探偵』(6月公開)やチラシで観た高岡早紀主演の既に上映している『モンスター』も少々気になっています。やはり、映画館に足は運ぶものだと実感します。

『桜並木の満開の下に』を新宿で都合よく観られるマイナーな映画と言う条件に合致する中で観に行くことにした、もう少々積極的な理由がないわけでもありません。私は夜桜、特に並木になっている夜桜の見物が好きです。年に一度、以前住んでいた祖師谷の満開の桜を観に行くことにしています。『桜並木の満開の下に』は茨城県日立市を舞台にした美しい桜並木が登場する映画です。日立市に近い高萩市に私がかなり仲の良い親戚(母のいとこで一歳年下)の主婦がいて、市への映画撮影の誘致を行なうNPOの代表を務めています。先日も『ガッチャマン』の実写版の撮影現場に居るという彼女と電話で話していましたが、どうもこの映画も一部が彼女のところで制作されている様子に思えたのが観に行った決め手です。

 よく分からない映画です。金属部品を作る工場に勤める若い夫婦がいます。夫は工場の高い技術を支える中心人物で、弟分的に目をかけている若い作業員を入社させ、元請の工場に出向させたまま働かせています。元請との大型プロジェクトが決まって元請の工場に行って作業をすると、その弟分のような社員がクレーン操作を一瞬誤って、堆く積まれたドラム缶の山を崩してしまい、その下敷きになってやり手の夫はいきなり死亡してしまいます。弟分社員は自社に戻って働くようになり、残された妻と同じ職場で働くことになるのです。

 妻は妻で、結婚に反対していた夫の実家から一方的に姻戚関係解除を迫られ、夫が支えてきて愛着を感じていた工場は夫の死と共に業績が傾き、リストラや社長の失意の引退など、心理的にも追いやられていきます。そんな中、弟分が事故現場に頻繁に献花に行っていることや、積み上げられていたドラム缶は誰が崩してもおかしくない保管状態であったこと、そして彼本人が真面目で、世話になった人を自らの手で殺してしまったことで自分を責めて責め抜いていることを知ります。そして、夫が支えた工場を潰すまいと懸命に頑張る彼の姿に徐々に心惹かれていくのです。

 何かすっきりしないことが、幾つかあります。まず、生前の夫と妻がまだ固いつぼみがついているままの桜並木を歩き、「桜は迷いの花だ」と夫が言います。「年に一度のタイミングで迷いぬいて、一気に咲くのだから」と言うのです。そして、自分と結婚に踏み切ってくれた妻にその迷いの花を重ね合わせ、これからも自分の道をそのように決めて進んでくれと言うのでした。あまりに分かりやすい展開です。これで、淡い恋に揺れる妻が満開の桜の下で心を決めるであろう場面が容易に想像できます。あと、分からないのは、どちらに心を決めるかだけです。

 弟分君はその妻が好きになってきて、贖罪の想いから会社を辞めて町を去ることにします。ところが、妻のほうもまんざらではないことに気付き、退職の日にバイクを操る妻と小旅行に出掛け、和風の宿に泊まるのです。言葉すくなの会話やら、互いの肌に何となく触れたりと言う時間がじりじりと過ぎますが、どうも、セックスには至らなかった様子です。妻はタンデムで彼を駅まで送ろうとしますが、その途中、わざとらしく、ドラム缶の積荷が崩れて人が死に血まみれの路上の事故現場に遭遇します。全く動くことのなくなった夫らしき担架の上の人物になきすがる女性。そこに以前の自分と夫との日々を見出した妻は、弟分君を拒絶することを決心するのでした。

 ところが、弟分君が駅まで何とか辿り着き、夜の闇のホームで座っていると、例の満開の桜並木の下で変心した妻が駅に来ます。すわ、やはり逃避行かと思いきや、最終電車を前に手をつなぎ立ち上がり、「私はあなたを許します」と告げて、つないだ手を離し、自分はホームに残るのでした。分からんではありません。しかし、これだけ揺れ動く心を描くにはこの臼田あさ美と言う私も初めてみる女優は軽すぎなかったかとか。散々ふっておいて、桜並木の満開シーンはほんの数分あるかないかで、さらに「それで決めたことは、許すことだけかい!」とか。どうも盛り上がりに欠きますし、しんみりと言うには、演技力が光るような人がいません。苦しい展開です。

 福島に近い町の低レベル廃棄物のドラム缶を散々取り上げる反核映画と言うことではないものと思いますが、執拗に悪の象徴の様に登場するドラム缶の映像にも何か素人っぽい感情がまとわりつきすぎていて、どうも違和感が残ります。

 映画の展開とは直接関係ないことながら、もう一点うんざりすることがあります。それは、不愉快なことがあると、社員のみならず社長までが工場のものを安易に蹴散らしたり棚から引きずり落としたりして、憂さを晴らしたりするのです。

 会社にあるものは基本的にすべて資産と言う現金が形を替えたものです。それをぞんざいに扱ったり毀損したりする者は、許されるべきではないものと私は商売柄考えてしまいます。ところが、「ああ、ああ」と言う程度で誰かが散らかったものを片付けたりする程度で、そのような態度に対して直接制裁を加えるような態度をとるものはほぼ現れることがありません。申し訳ありませんが、そういう仕事に対する態度だから、経営も傾いたんじゃないのかなどと、つい因縁をつけたくなります。

 ストーリー展開自体は、微妙ではあるものの、反感を持つような類ではありません。しかし、この工場に対する馬鹿丸出しの人物描写の連続は非常に不愉快でした。DVDはくれても要りません。