平日の新宿ピカデリーの夜遅い回で観てきました。建物に入ると、私が嬉しい思いをしたことがない、改悪されたポイント制度が今度は来年早々に終了すると言う案内がありました。現在でも半年で消滅してゆく非常に短命なポイントなので、そう簡単に何かが貰えたりするような累積ポイント数にならないのですが、それでも維持するのが困難である様子です。
シアターに入ると、封切からまる二か月も経っていて、夜遅い平日の回であるにもかかわらず、40?50人は観客がいたように思います。かなりの人気であることが分かります。
この映画を観に行きたいと思った理由は、トレーラーで観た松雪泰子の安定した演技の一言に尽きるように思います。このブログでは、『デトロイト・メタル・シティ』と『笑う警官』の二本での印象的な役柄からの期待と言う感じです。今回の役柄は、これら二つの中で言えば勿論『笑う警官』に近いものです。精神治療のプロの医者と言う役どころですが、結果的に、熱意や真摯の部分で問題の解決をしてしまう所は、まさに同じという感じです。
ムービー・ウォーカーの紹介文には…
「生田斗真主演で映画化したサスペンス・アクション。生まれつき並外れた記憶力、知能、肉体を持ちながら、人間としての感情を持たない謎の男性“脳男”と、彼の精神鑑定を依頼された女医、彼を追う刑事の物語が描かれる」
と言うことになっています。確かにその通りなのですが、実際には、連続殺人から連続爆破に増長していく事件を追う警察が、悪に裁きを下すよう特殊教育を受けた脳男を誤認逮捕する「事件」が舞台にはなっているものの、本当の連続殺人・連続爆破犯の若い女性二人の描写にもかなりの時間が割かれています。ですので、どちらかと言うと、真犯人二人と対峙する脳男と、彼のことを知りサポートしようとする女医と事件の真実を追う、ストーリー全体の水先案内人の役割を負っている刑事と言う構図を考えた方が自然であるように見えます。
一方で、悪に裁きを下すために先天的な優れた能力の上に特殊訓練を施された脳男が女医の献身で人間性を多少復活させる物語とみることもできますし、もう一つ、劇中に登場する幾つかの事例において、人間の知恵らしきものは、人間の本質的な悪に対処することができるほど素晴らしくないことをあからさまに見せつける物語でもあります。
前者の話は、感情が事実上なく、常に血中エンドルフィン濃度が馬鹿高く、その麻薬同等の効果の結果、痛みを感じないヒーローである脳男が、エンディングでは「先生だけが、僕のために泣いてくれました」と感謝の言葉を述べるようになり、僅かな微笑みを浮かべるまでに変貌しています。特殊な能力を持つヒーローがその特殊性を失いつつ使命を果たすという物語(例えば、『どろろと百鬼丸』や『ハンコック』などもこの類とみることができます)です。結果的に脳男は誰につかまる訳でもなく、社会に潜り込んで消えることになっているので、これからも『ブラック・エンジェルズ』的な感じでの活動が期待されるのですが、感情が戻ってきたら、痛覚も戻ってくるのかななどと心配になってしまいます。
これは観ようによっては問題があるなと思ってしまうのは、後者の観点です。松雪泰子演じる女医は年の離れた弟を子供を弄ぶ犯罪者に殺されています。そのショックで母子家庭でその姉弟を育てた母は重度の鬱になり、毎日椅子に座って抗鬱剤を飲みつつ、テレビを見続けるようになっています。この犯罪者は刑務所に入り、松雪泰子の支援を受けつつ更生し、社会に戻っていったように見えます。
しかし、単純にプロとしての彼女の業績を見ると、まず、母を鬱から救うことは最後までできていないことに気づきます。そして、弟を殺した犯罪者を更生させたと思ったのもつかの間、『ヒミズ』の主人公が演じるその男は再犯を犯し、結果的に脳男に殺害されるのです。男の言動を信じて更生を確信した松雪泰子が脳男になぜ再犯に気づいたかと尋ねると、そのフォトグラフィックメモリーの優秀さはあるものの、離れたところから一度見たその男の腕に、子供の歯形がついていたことを脳男は見逃さなかったということでした。専門知識に溺れた松雪泰子が常識的判断を見失っていると言う皮肉な展開になっています。唯一感情を戻すことに成功した脳男のケースは、専門的知識が(過去に類例がない脳男のケースであるが故に)全く通じないことを彼女自身が認めており、端的に見て「献身」が生んだ結果でしかないことが分かります。
専門的知識の敗北は、さらにもう一つ描かれています。劇中最初の被害者である舌を切られた上に人間爆弾にされ、公共バスの中で乗客もろとも自爆させられた女性は、占い師です。彼女はテレビ番組中で犯人についての占いの結果を言い、次の犯行は住宅地のバスで起きると予言したのですが、その予言に従って、自分がその被害者となるのです。予定調和ではあるものの、一応、予言は成就したと解釈するのはあまりにも楽観的です。
このように、人が迷い病んだ時に支えとなるべき専門家が、悪の人間性によって簡単に踏みにじられていく様子を丹念に描いた映画とみることもできるように思えます。また、映画を観つつ、このようなことをゆっくり考えていられるほどに、ムービー・ウォーカーの紹介文前半にあるような脳男の異常性の描写や或る種のヒーロー然とした場面に時間が割かれていないように思えます。
脳男が常人と違うことは一応わかるのですが、それが悪を追い詰めるヒロイックな活躍にあまり結びついて見えません。描写時間の割合が少ないこともさることながら、脳男の生田斗真が何を演じても生田斗真の外見そのままであることも、原因かもしれません。生田斗真の顔を動物に例えると、私には「バンビ顔」と言う風に見えるのですが、その生田斗真がラスト近くに悪役のおねえちゃんの運転する車に何度となく轢かれ続けてそれでも辛うじて立ち上がると言うシーンがあります。そのヨロヨロブルブル加減は彼のファンの方には申し訳ありませんが、タモリの有名な芸である、生まれたばかりの鹿の物まねを連想させるのです。
脳男の目立ち加減はこの程度なのですが、悪役の方は、場合によっては戒厳令ぐらい出されるのではないかと言うほどの八面六臂の大活躍で犯罪を犯しています。その結果、映画75%ぐらいまでは、準主役級の活躍をしていた人々はほぼ100%命を失います。かなり無慈悲な展開の映画です。どう見ても、三億円事件やよど号事件、浅間山荘事件などの数段上を行く犯罪がたった二人の少女と言っていいような女性たちによって引き起こされ続けて、警察が長く手掛かりをつかめないでいると言うのが、脳男の異常性が目立たないのとは逆に際立って描かれていておかしな感じがします。つまり、中途半端にしか異常性が描かれない脳男と、中途半端にリアルっぽいっように描かれる非現実的な犯罪と言う対比になっているのです。
どうも、そう言う所が気になって、嫌いではありませんが、面白く楽しめる作品にもなりきれていないように思いました。DVDはパスです。
追記:
脳男も犯罪者のおねえちゃんも共に裕福な家庭に生まれたことから、劇中でバカの一つ覚えのように繰り返される「莫大な遺産」によって今の状態になったと示唆されています。異常な殺戮人間ロボットや異常な爆弾娘が、どうして世の中に発生したかという疑問に対して、「莫大な遺産」ということで片づけてばかりいる構図も、この映画が私には非現実的に見える理由であるかもしれません。