『悪の教典』

月曜日のバルト9の12時過ぎの回で観てきました。(開始が夜中の12時過ぎなので、正確には観たのは火曜日です。)小さめのシアターでしたが、それなりに席は埋まっていて、20人以上の観客がいたように思います。

この映画を見ようと思った理由は、一度も観たことがなく特に関心がある訳ではありませんが、『海猿』シリーズの、爽快感溢れるルックスに正義感も溢れ、人命を救い続けたヒーローを演じ続けてきた俳優の、連続殺人鬼(役)への変貌と言う宣伝文句に釣られたのが大きいと思います。

ただ、今回この作品を観て分かったのは、私は無機質な殺人が連続する映画が基本的には好きなのだということです。変に正義や悪を語ったりしつつ大量殺戮を重ねる戦争映画は、歴史的な価値観から観てしまうことが多く、今一のらないことが多いのですが、個人レベルでの何らかの理由から無機的な殺人が多数行われる構図が好き、ないしは、その構図に関心が持てるということだと分かりました。

それは多分、商売柄、人間観察が日常業務のかなりのウェイトを占めるので、普段余り観ることのない、非日常的な人間行動の衝撃に面白さを感じるということもあると思います。

殺人に至る非人間的な価値観の恐怖を描いた映画で私が名作だと思っている映画に、『悪魔のいけにえ』があります。留学中にもよく観たので、英題の『テキサス・チェーンソー・マサカー』の方が私はしっくりきます。この映画ではテキサスの田舎の人喰い家族が描かれています。この映画の、優れて恐怖心を掻き立てる部分は、家族の一人一人が捕えた人間を全く人間として見ないことです。当然、話しかけたりしないのは勿論、ホイと言う感じで肉を引掛けるフックに若い女を生きたまま掛けたりします。椅子に座らせて、固定するのに、紐などを使わず、何気ない所作で腕を釘で打ちつけたりします。

国内映画でこの手の名作を挙げろと言われれば、間違いなく、桜吹雪の中山崎努の鬼気迫る殺戮が強烈な印象を残す『八つ墓村』や、そのモチーフとなっている津山三十人殺しをそのまま描いた『丑三つの村』も名作です。他にも『アウトレイジ』や『バトルロワイヤル』などいくつも挙げられます。海外作品では『ヘンリー ある連続殺人鬼の記憶』も素晴らしいです。

今回の『悪の教典』ではそれが完璧な教師であろうとするサイコパス故の殺人と、トレーラーで言われていて、そのパターンをも知ってみたいと言うのが、もう一つの理由だったとも思います。私はサイコパスと言う言葉を何となく知っている程度でした。因みに、ウィキでは、

「サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、極端な冷酷さ、未慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義が主な特徴で、良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である」。

と言う長い説明が為されています。映画の主人公の教師は上述の定義に加えて、さらにハーバード大学卒の明晰な頭脳を持っていて、欠点のない人生への拘りが見られます。それを多少なりとも阻む者が現れると、それを殺害し、その殺害に気づいた者が現れると、またこれを殺害すると言う、殺人の連鎖を展開します。その連鎖の末に、彼が担任するクラスの生徒全員を殺害するという判断にあっさり至ります。

例えば、『デス・ノート』の主人公も自分の考える正義のためにバンバン人を殺しますが、そこには一応の逡巡があったりしますし、殺害後の隠蔽工作は勿論、その結果の状況への対応策の考慮などがあります。それがサイコパスでは(一応の隠蔽工作以外は)殆どないままに邪魔と判断した者を機械的に処分することかと映画を観て理解できました。

ただこれだけ頭が良いのに、クラス全員の殺害の手段に、二発撃つ毎に弾丸を装填しなくてはいけないショットガンを採用するなど、何か微妙に頭の使い所を間違っているような気もしなくはありません。贔屓目に見れば、同僚教師が激昂した結果の犯罪と言うことに仕立て上げようとして、その教師がクレー射撃が得意だからと言うことなのですが、かなり非効率であるのは否めません。

また、「先生、僕は東大に行かなくてはならないんです」と命乞いするガリ勉君に、「ん? To Die (東大)?」などと言って面倒臭そうに止めを刺したりもします。これは本当にサイコパスが言いそうなことなのか、無機質さを引き立たせるための演出を狙ったジョークなのか、よく分りません。どうもサイコパスが分かったような分からないような感じが私には残りました。それでも映画は、主人公の貼り付いたような笑顔での殺戮を、血飛沫が顔にかかるたびに顔を丁寧に拭く神経質さや、これだけ殺人を犯しても尚、一度も反撃で傷つくこともなく思うままに殺戮を続けられる異常を延々描きます。そのような点は、前述の観点から私はそれなりに楽しめました。無機的な殺害の底知れぬ違和感のようなものはまあまあきちんと描かれていたと思います。

役者陣も芸達者な人が揃っていて一応の安定感があります。面白いと思ったのは、『ヒミズ』で観た主人公と茶沢さんの二人がそこそこ目立つ役で登場することです。年齢的に学生役になるのは当然なのですが、クラスに馴染まない学生役を二人が揃って再び演じているのを見ると、どうも『ヒミズ』からの既視感が湧きます。

既視感と言えば、この映画にも山田孝之が、女子学生の万引きを知り、それをネタに肉体関係を強要する体育教師役で登場します。ドラム演奏で学生達に「スゲェ!」と言わせる見せ場もあるものの、基本はエロ教師役で、その女子学生のパンティに気を取られている隙にショットガンで撃ち殺される変な役回りです。ここ最近、『のぼうの城』、『ミロクローゼ』と来て三作目で、さらに今度観ようかと思っている『その夜の侍』も入れると、ほぼ同時に公開されている四本の映画に並行して登場していることになります。さらに言うなら、『ミロクローゼ』では一人三役なので、合計六役を同時にあちこちの映画館で公開しているという、記録的な偉業ではないかと思われます。

(或る時点でのナタリー・ポートマンも五作同時公開の快挙で本数では上ですが、役柄数では、山田孝之の方が上です。)

何にせよ、まあまあ面白い映画です。DVDは出たら買いです。