『ミロクローゼ』

渋谷パルコの中にある映画館でのこの映画の上映最終日の最終回に滑り込んで、観てきました。幅の広い中央列の席はかなり埋まっていましたが、両サイドの席はがら空きの状態でした。金曜日の夜7時15分からの回、師走の(不景気でもそれなりの)喧噪の中、これだけの人が最終回に集まる人気のほどを感じました。

変わった映画です。見に行くことにした動機は、やはり、主役が全く異なる一人三役をこなすと言う話と、映画紹介サイトでのあまりに奇妙な絵面の組み合わせに関心が湧いたことです。

この一人三役をこなしている役者は、流石の私も好い加減に名前を覚えるに至った山田孝之です。映画評では、「カメレオン俳優」と呼ばれていますが、作品ごとに変わると言うのではなく、この映画では一本の中で殆ど脈絡なくそれが発揮されます。

ストーリーは本当に脈絡がありません。オムニバスにした方が良かったのではないかと思われるほどです。映画は全体で4部から構成されています。第二部と第三部は微かな連続性があり、第一部と第四部は完全に同じ設定の話です。

第一部と第四部は童話ファンタジーのような設定になっています。主人公の名前はオブレネリ・ブレネリギャー。この奇妙で複雑な名前は、第一部と第四部の「物語」を読み聞かせる読み手の女性によって、何度も何度も舌を噛むことなく反復されます。第一部のオブレネリ・ブレネリギャーは子供が演じています。子供が演じていますが、会社に行って働いたりしています。そして或る日、彼からするととんでもなく美しい理想の人、「偉大なミロクローゼ」と恋に落ち、新築の大きな家で二人で幸せに暮らすのも束の間、「偉大な…」はちょっとチャラけた男と浮気し始め、最後にはオブレネリ・ブレネリギャーを捨てて消えてしまいます。

第四部は成長した(と言っても第一部でも大人の設定ですが)オブレネリ・ブレネリギャーが趣味の温泉旅行に行くと、温泉宿のおかみが「偉大な…」で、結婚10年あまりと言う事実に遭遇します。そこで、ここを出てまた一緒に暮らそうを意を決して申し出ますが、かなりの年の差婚の奥田瑛二演じる宿屋の老主人に一発激しく殴られて、諦めます。「ここでの生活は幸せです」と洗濯物を干す「偉大な…」は、肩をおとして去るオブレネリ・ブレネリギャーを「お元気で」と見送ります。オブレネリ・ブレネリギャーは大邸宅を海に沈め(!)それを見届けると、第一部からぽっかり胸に穴が空いていて、鍋のふたで塞いでいたのが、突如埋まり、嬉しくなってその後の人生を「いい感じ」に生き、「いい感じ」に死んだと言う話です。

第二部は熊谷ベッソンと言う暑苦しいデブのサングラスのおやじが、青春相談員と名乗って、(どうやって、収入を得ているのか分かりませんが)ワイルドに草食系男子のウジウジした恋の悩みに、(その類の相談を現実に受けてすぐに「ソープに行け!」と言ったと言う)北方謙三的なノリで、しかし、具体的な個別の実践策を教えた上で、相手をウジ虫呼ばわりしたりするのです。

勿論、これが山田孝之演じる第二のキャラです。「こちらが電話を掛けると長く話せるが、向こうから電話が来ることはない」と言う男子の悩みに、「電話代が惜しいから、ナオンの部屋に行って呼び出し、いきなり乳首をつまめ」と激しく叱咤します。このキャラはサタデー・ナイト・フィーバーのジョン・トラボルタをさらに派手にしたような出で立ちで、やりたい放題です。特にアドバイスを放言した後は、「ワン・トゥ・スリー…」といきなり踊り出し、パパイヤ鈴木の振付のド派手バージョンのような踊りを踊ります。

第三部の主人公は多聞(たもん)という男です。この男は登場時にはどこかのホストのような格好をしていて、時代設定も現代です。街角の花屋で働くユリという女性に一目惚れして、その時点で彼女が付き合っている多少細身のハルクのような巨漢を退け、彼女と交際し始めます。しかし、バイクの二人乗りでツーリングの途中にボウガンを放つ細菌部隊のような格好をした賊に襲われ、片目を潰されてしまった上に、ユリを攫われてしまいます。その後、ユリを探し回って四年の歳月を過ごすうちにどんどん多聞はアウトローのようになり、最初は西部劇風の格好だったのが、最終的には浴衣のような薄っぺらい着物を纏って剣を振るう浪人風になります。(因みに、四年前の花屋で多聞が支払った際から、既に通貨単位は「両」で小判が使われています。)

多聞は天柘楼と言う巨大な遊郭にユリが売られたことを突き止め、そこに殴り込みをかけることになります。スローモーション・ストップモーション、そして突然の早送りを重ねる独特の殺陣の中、ストップモーションでは必ず見栄を切ることを忘れない多聞はやがて傷つきながら、ユリとの再会を果たし、二人で逃げ延びようとする中、(明確には描かれていませんが)執拗な追手に命を奪われます。この遊郭の中の遊女たちはアヴァンギャルドと言うかサイケと言うか、物凄い恰好をしています。露出度の激しい最新ファッションと言うべきかもしれませんが、イメージはコブラに何度も登場する遊技施設のようです。

映像だけをとっても、第二部のダンスや第三部の殺陣、そしてファッションと、やたらにありますし、第一部から第四部までの世界観や語り口の混在感を十分楽しめる映画です。

ただ、恋をテーマとしてギリギリ繋ぎ止めている、三つの全く別の話として考えることは勿論できます。第一部での教訓があるとしたら、「不意に訪れた恋は残酷な結果を迎える」でしょうか。「もしくは幼い恋は残酷な結果を迎える」かもしれません。第二部は「ナオンには激しく迫れ。ウジウジ自分の中で結論を出すな」だと思われます。第三部は「まさに命がけの本当の恋に燃え尽きろ」でしょう。若しくは「一途な思いには命に勝る価値がある」でしょうか。

そして、第四部は「去った者を潔く諦めると、幸福が齎される」。若しくは、「幸福を自覚する者を責めず、自分で幸福を見つけよ」かもしれません。このように考えると、同じストーリーの第一部と第二部は残酷な恋を幼い気持ちの発露と位置付け、そこから卒業することが成長の如く描いているのに対して、第二部と第三部は暑苦しく諦めきれない人々が他社や自己と関る姿をねちっこく描いています。

全体を通した教訓は、敢えて言うと、「一途に相思相愛を負い求め、相思相愛が続く限り、それに一途にあれ」かもしれません。そのように考えると、「相思相愛」が成立しなくなった場合の対処法を提示しているのが前後に位置する第一部と第四部でそれがファンタジー形式と言うことになります。そう見るとなかなか深遠な構成のようでもあります。

無理矢理、何か教訓めいたことを全体から抽出しなくてもよいのかもしれません。そのようなことをしなくても、十分楽しめる映画です。間違いなくDVDは買いです。

しかし唯一難点を挙げるとしたら、それは女性キャラの顔立ちです。いつもの通り、タヌキ顔が好きな私からすると、出てくる「美人」とされている女性達が皆、面長な顔立ちなのが、どうも本質的に共感できない所ではありました。

追記:
映画『夢十夜』の第六夜のアニメーションと呼ばれる形式のダンスをなんちゃってのレベルでマスターした私ですが、このDVDを買った暁には、熊谷ベッソンのダンスをマスターしたくなるような気がします。

追記2:
ムービー・ウォーカーのニュースによると、主演の山田孝之はこの映画で初めて実姉と共演を果たしたという話です。椿かおりと言うダンサーで多数登場する遊女の一人です。監督も全く知らない状態での配役で、本人達も台本を見て気づいたという話でした。