『Aspen』二作の上映が終わると、冒頭に一行の文章が現れる以外は、いきなり闇が続く作品の上映が始まります。最初の8分間はこの調子で、時たま白い光や赤い何かがバンとスクリーンに現れますし、よく目が慣れてくると、薄暗さも濃淡を変化させていて、微かに何かが背景に描かれているようにも見えることに気付かされます。音響は断続的に曲のような効果音のようなよく分からないものがかなり大音響で流れる時は流れます。
この『DUBHOUSE:物質試行52』は建築家鈴木了二の一連の作品の中のこの時点での最新作なのだそうです。鈴木了二は自身の作品に物質試行と言うシリーズとして位置付け、番号を付けていて、それは建築であったり絵画であったり、色々な形式が混在していると言います。そして、49番で今までの作品を集大成する書籍が発行され、一旦のシリーズの区切りを迎えたのだそうです。
その後、50番からは、物質試行のシリーズの中の新シリーズである『DUBHOUSE』が開始され、50番は伊豆の方にある実際の建築物。それを2010年に国立近代美術館にインスタレーションとして表現したのが51番、そのインスタレーションを七里圭監督との共同監督作品として映像に収めたのが52番と言うことなのだそうです。ちなみにDUBと言うのは、レゲエの用語らしく、楽曲のリズムを混ぜ合わす手法と言われています。ここまでの作品説明は、実は、上映終了後のトークショーで七里圭監督が自ら説明していることです。
監督によると、2010年に秋に完成した51番の撮影が開始され、52番の素材は編集待ちの状態で時間が経過していた様子です。ところが、翌年3月に東日本大震災で(見開きチラシには「決定的な変化を被る」とありますが)多分、インスタレーションが損壊したのではないかと思われます。震災の衝撃で鈴木了二は被災地をドローイングしそれを52番の冒頭部分で闇に沈ませて表現したというのが、この作品の成り立ちです。このわずかな濃淡のある闇に僅かな瞬間的な光のアクセントをつけて、それを音響の彩付きで、震災の悲劇を表現したことに抑制された美しい表現を感じました。正直言って取ってつけたような『ヒミズ』の被災地現場場面の挿入などより、数百倍好感が持てます。
前半の闇に続き、後半の8分は元々撮影されていた細かなジャングルジムのような構造物と一脚の椅子で成り立つインスタレーションに光が射し、その角度を様々に変えることから複雑な造形の影が投げかけられる様を見つめることができます。時間経過を早送りしているので、構造物の時間経過を提示する映像作品と言う風に見えます。
トークショーで、監督は冒頭に現れる光と闇の定義の一行の文章によって、この作品は「こう言うことを示したい作品だ」と断りを入れたつもりであり、その存在によって、これは芸術作品ではなく、(劇)映画になっているのだと説明しています。しかし、監督の思いとは裏腹に、この作品を見て「映画ではなく、動画による映像芸術作品」と言う感想を持つ者が多く、監督が悩みこんでいるという話が吐露されます。
見開きチラシに今回の特集の作品群の解説を丁寧に用意した吉田広明と言う有名な映画評論家がトークショーの相手で、七里圭監督を以前からよく知っているというような話でした。その吉田広明氏に向い、七里圭監督が、「映画とは結局何だと定義されるのか」と真剣に問いかけている姿は、差別化の果てに自分の商売を何と説明するのか困っている私には、少々共感ができました。
私にはこの作品は、監督が言う「物語の構造」が言われれば分かる程度に存在するものの、やはり美術館などで作品として流されている映像芸術作品の一種と捉えるべきように思えます。つまり、私にはそのような作品群に類するものとして見えるということです。
吉田広明氏とのトークでは七里圭監督の映画の原点にも言及され、16際の時に撮影し、当時大島渚に激賞された『時を駆ける症状』が、アニメ映画の金字塔『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に感化された監督がそれと同様の映画を作ろうとして作った映画であるという話は、非常に面白く感じました。七里圭監督の作品を端的に表現するとしたら、フィルムの質感の中に表現される光と闇の交わりのようなことと思いますが、考えてみると、夢と現実の錯綜のようなストーリー構成も挙げられることに気付きました。
上映後、ロビーで見開きチラシにサインをもらいました。その際に、「もともと山本直樹の大ファンで、『眠り姫』を観てからファンになりました。山本直樹の作品がいくつかありますが、是非次にやるなら『堀田』をお願いしたいです」と私が言うと、監督は、「あ?。『堀田』は凄いというか、凄すぎるのでねぇ。あれは本当にすごい作品ですよね」と頷いていました。山本直樹好きには非常に満足度の高い会話でした。
この作品のDVDも何らかの手段で入手は可能なのだと思いますが、私は映画としてこの作品を見ることができず、BGVとして流すのも少々苦しい感じなので、パスです。