『Aspen』 (特集上映『のんきな(七里)圭さん』)

『夢で逢えたら』が終わって座っていると、そのまますぐに次の『Aspen』が始まります。『Aspen』はたった14分の作品です。正確には、7分の作品が二バージョンあり、それを続けて上映しているだけです。

この7分の短さの映像は何かと言うと、クラムボンと言うバンドの『2010』と言うアルバムに入っている曲のPVです。曲を聴く限り、間違いなく私が好んで聞くタイプの曲ではなく、私は微かに聞いたことがあるような記憶があるようなないような程度の認識しかこのバンドに関して事前知識はありません。微かに聞いたことがあるのではなく、もしかすると、廃刊まで定期購読していた『ぴあ』のどこかで名前を目にしたということだったかもしれません。いずれにせよ、私には事実上、曲もバンドも初めての作品です。

このバンドはウィキによると三人のバンドでボーカルとキーボードを担当している原田郁子と言う人物が、見開きチラシによると、祖母の訃報に際して書いた曲がこの『Aspen』と言うことだそうです。この原田郁子の依頼でPVの映像は黒田育世と言うプロのダンサーに任されることとなり、その黒田育世が作品の撮影を七里圭監督に依頼したという経緯(いきさつ)でできた作品と見開きチラシにあります。

ネットで検索する黒田育世は小奇麗な印象ですが、『Aspen』に登場する彼女は長い髪を振り乱して、ロングキャミソール一丁の如何にもコンテポラリーダンスのダンサーと言ういで立ちです。この映像が物凄いものです。

二本連続で上映されたうちの一本目は、未公開となっている『一本道編』と言うものですが、カメラは最初木々の枝先が両サイドに並ぶ頭上真上の空を映しています。そのカメラがゆっくりと水平のアングルに向かってパンすると、両サイドに細かで雑然とした並木がある一本道を映し出します。まるで、絵画のクラスの一点透視図法の題材のような景色なのですが、まっすぐ正面の一本道の先に何かがあることが分かります。その何かはよく見ると動いていて、ゆっくりとしたダンスをしている人物であることが分かります。それが黒田育世なのです。

カメラは遥か(多分)50メートル以上先の黒田育世を捉えると、徐々になめらかにズームしていきます。ズームを最大限にしても、まだまだ黒田育世の周囲に景色が入っている状態でズームが止まり、15ミリフィルムのきめの粗さの中に裸足で踊る黒田育世の陶酔したような踊りが描かれます。くぼみに立っている様子で黒田育世の足は足首より少し上からしか見えません。ステップは殆どなく、足を持ち上げる振りもほんの数回しかないため、彼女は足が埋められているかの如く、腰から上の表現で緩急のついたふりをこなします。

ダンスの振りは、若い頃よく見た、エイチ・アール・カオスのふりを彷彿とさせます。私が知る中で最近では私に映画『夢十夜』第六夜の運慶のふりを教えてくれている北村真実先生のスタジオ発表会で見るものにも通じる所があります。

曲は静かに流れ、エンディングに入る前に一旦静寂が訪れます。その瞬間にカメラの動きは逆行して、激しく目にも捉えられないような速さで腕を振り回す黒田育世を置き去りにして、曲の最後に再び空を見上げて終わるのです。驚くべきことに、この映像にカットは存在しません。7分間の映像が一回も途切れることなく、一本撮りなのです。あれほどのロングショットをレールでカメラを運ぶでもなく(レールを敷いたら、始めとエンディングに映り込んでしまいます)、全くのぶれもなく、完全に黒田育世を捉え、また空に戻る往復を果たすのです。最初は「ん?」と黒田育世を見つける所から、ぐんぐん迫る中で、「え。これ、カットはないのか?」と見入り、さらに踊りに見入り、一気に引いて空に戻って終わる、見事な映像です。

この『一本道編』が終わるとすぐ、公開された正規版(?)の方が始まります。今回もやはり屋外で木々をバックにした草原のど真ん中で全身がまた余裕を持って入る程度のフレームにいきなりアップで黒田育世です。踊りの振りは基本的には同じようですが、微妙に『一本道編』とは違っているようにも見えます。そして、こちらの方は、ずっと同じフレームが続き、例の曲の切れ目から、エンディングに向かって、カメラが一気に引いて行き、実はこちらも、とてつもなく遠い距離からのロングショットであったことが分かる展開になっています。引くと明確に草原がその輪郭を現し、右が低くなったゆるい傾斜の中に彼女が立ち踊っているのが分かります。これも驚きの映像ですが、先に『一本道編』のカメラの見事な往復を見ているので、ちょっと驚きは少ない感じです。

ネットで調べたら黒田育世はその幅広い活動の中で映画出演も果たしていて、なんと『告白』の少年Aが執着する彼の母と言う重要な役どころでした。

PV二作を連チャンで映画館で見るというのは変わった体験です。少なくとも公開されている筈のバージョンはどこかで手に入るようになっているのであろうと思われます。敢えて探して入手しても、大画面でなくては、あの15ミリフィルムの素材感は分からないように思えます。DVDは未公開の『一本道編』なら是非と言う感じでしょうか。