『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』

 日曜日の午後、新宿武蔵野館で見てきました。封切から三日目。夕方の回のかなりの混雑を想定していきましたが、84席のシアターに40人ほどの入りでした。流石、一日に6回もの上映をやっているだけのことはあります。

 時々見ている映画.comでは、「コメディ映画2012“殿堂入り”」というほどの好評ですが、私がこの映画のことを最初に知ったのは、(あまり記憶が定かではありませんが)定期購読している雑誌『サイゾー』の「映画でわかるアメリカがわかる」ではなかったかと思います。このコラムは日本で上映されていない映画で、且つアメリカ合衆国の社会の実態を描いた映画を紹介するものです。私はこの映画に関する記事に当時かなり注目していたように思います。

 それがとうとう日本に上陸し、映画館のロビーにはパネル展示などが賑々しく行なわれ、先述の「殿堂入り」を伝えるパネルまでありました。私も見に行きたいと感じている、ナチス・ドイツが月から攻めてくるという荒唐無稽な映画『アイアン・スカイ』の予告やらパネル展示などとロビーを二分する感じになっていました。

 脚本と主演を務めるサシャ・バロン・コーエンは、既に『ボラット』や『ブルーノ』の宗教や人種に関する差別をあからさまに語り、それに捕らわれている人々を挑発する芸風で有名という話ですが、私はこれらの作品があまり好きではありません。一応、『ボラット』は確かDVDで見たような気がしますが、今一つ乗れないままで、その時の印象から『ブルーノ』はパスすることにしたように記憶します。彼の芸風そのものには非常に知的に洗練されたものを感じますが、それが単なるドタバタやお騒がせの行動の中に塗されてしまっている映画の構図が好きになれなかったのだと思います。

 ところが、そのドタバタドキュメンタリーの体裁を捨てて、一つの物語の形でそれが提示される作品になったということで、見てみると、素晴らしい出来にまとまっていました。

 冒頭、「金正日を偲んで」というメッセージで映画が開始されるところから、既にぶっ飛んでいます。彼の圧政の被害者達(当然、日本の拉致問題関係家族も含めての話ですが)は、このメッセージをどう受け止めるのかとか、ハラハラさせてくれます。彼が扮するのは、架空の中東の国ワディアの独裁者で、国連での演説をするためにニューヨークを訪れ、側近によるクーデターで拉致されて、トレードマークの髭を剃られてしまいます。側近は私利に都合の良い影武者を立て、国連演説をさせようとし、独裁者の方はニューヨークのど真ん中で難民扱いでオーガニック食品販売店の女性店長に助けられ、彼女と恋に落ちつつ、政権の座への復帰を企てるという話の流れです。

 どこかで見たような話と思ったら、エディ・マーフィーの『星の王子 ニューヨークへ行く』にまあまあ似ています。しかし、こちらは独裁者バリバリであるが故のカルチャー・ギャップを描くもので、アメリカ上陸後も生前のカダフィ大佐をモチーフにしたような、ニューヨークの目抜き通りをラクダに乗ってホテルに向かうと言った、ありとあらゆる独裁者の姿のコラージュが、これでもかというぐらいに観客に突き付けられます。差別発言も連発で、女性や黒人、ユダヤ人、障害者など、どう考えてもアメリカ社会でタブーとなっていると分かるような言葉をバンバン吐き続けます。私も留学当初、宗教・政治・人種は危険過ぎるので絶対に話題にするなと色々な人から忠告を受けました。実際には、それに性差も加わっていました。そんな保守的な米国民が耳を塞ぐか疑うかしたくなるような発言が満載です。大体にしてラクダで行進して言ったセリフが「アメーリカ!黒人が作り、中国人が金で支える国」です。

 パンフによると、セリフの9割はアドリブと言いますし、共演者は口を揃えて笑いを堪えるのが大変だったとコメントしています。しかし、この映画は単なる危険な発言が連発する映画に留まっていません。パンフを読んで頷かされますが、映画に登場するモチーフを非常に丹念に取材して回っていて、出てくる映像が「あるある」とつい言ってしまいそうになるリアリティ感で溢れ返っています。

 さらに、驚くのは、『トランスフォーマー』の第一二作に出演して、批判的言動で降板させられたと言う噂の女優、ミーガン・フォックスが本人役で登場することです。何しに出てくるかと言えば、独裁者が夜な夜な高額で買春するハリウッド・セレブと言う役どころです。同様にエドワード・ノートンも本人役で登場し、中国財閥の中国人にフェラチオをするという役回りです。これらの人々が出演にあたって、この破茶滅茶を楽しむ以外に何か動機づけがあるとは、到底考えられません。

 圧巻なのは、彼が替え玉を排除して自ら行なう演説です。終盤近くのこのシーンで、独裁制の素晴らしさを説くのですが、その根拠が「ほんの少数だけが富める社会を実現できる」、「全く大義名分のない戦争もどんどんできる」、「民衆の考えなどメディアを統制して簡単に誘導できる」など、明かに現在のアメリカを指した言葉です。彼が自殺を試みようとした時に、彼の支援者が「サダム・フセインも金正日もチェイニーもいなくなった今、誰が世の中で独裁制を残すことができるのか」と言って彼を説得します。チェイニーをさらっと混ぜてある辺りが、『ボラット』や『ブルーノ』の個人レベルの主義主張を嘲笑うスタンスから国家体制への挑発に昇華された作品に変わったことを感じさせます。

 独裁制のメリットを最も実践的に明示するのは、実は他の場面です。オーガニック食品店の経営を任された彼が、圧制を敷いてほんの数日間で見違えるような店舗運営を実現するのです。皆が彼の指示でテキパキと働き、店舗は5Sの切口でも従業員オペレーションの面でも一気に向上します。後に彼が演説で言う、「無能な者までもが等しく同じ重さの意見を言う民主主義」を排した経営事例を明確に提示します。それでいて、従業員達は不満タラタラに従っているのではなく、自分の新たな能力の発見に嬉々としているように見えますし、来店客も褒め言葉を口にするほどの満足度が実現しています。勧善懲悪と民主主義的発想に犯された映画が多い中で、専横的と日本のメディアで叩かれることの多いオーナー経営者達が溜飲を下げるであろう、非常に珍しい構図の場面です。

 見た後の印象で似ていると私が感じた映画は、ピーター・セラーズの名作『チャンス』とマイケル・ムーアの幾つかの作品です。ウィキに拠れば、サシャ・バロン・コーエンは、米国のテレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』に出演し、本作を高く評価した、私が大好きな映画評論家のロジャー・イーバートを拷問したという話です。やってくれます。当然DVDは買いです。映画紹介サイトなどでこの作品の写真として頻出する、独裁者がヤギとセックスしているシチュエーションは、劇中に登場しなかったように思えるので、買ったDVDで入念にチェックしたいと思います。