いつまで経っても貯まったポイントで無料鑑賞ができなくなった新宿ピカデリーで見てきました。平日の夕方過ぎの回です。封切後約一週間。一日五回も上映されているうちの四回目。仕事帰りの人々なのか、シアターに入ってもかなり混み合っている状況でした。
この映画を見に行った理由は、所謂話題作であるということ以外に、やはり、前回この劇場で『ラムダイアリー』を見た時に、三連休の最終日にこの映画目当てのお客が山程いたことや、この劇場のエスカレーターの踊り場に飾られた深紅の見事な衣装の展示などが強い印象に残ったからです。
混雑の理由は、やはり沢尻エリカ人気の映画である面は否めないでしょうが、『さくらん』でも土屋アンナをスタイリッシュで可愛いらしい女性に仕立て上げることに成功した蜷川実花監督作品への期待も大きそうな気がします。確かに女性客はシアター内に沢山いて、大抵女性の二人連れかカップル客です。映画を見る前にはトレーラー上映中にもそこここで話し声が続いていてイライラさせられましたが、終了後には言葉を失っている人々も多く、笑顔も少なく、皆どよんとシアターを後にした様子に見えました。
私はこの映画の主題はかなり好きです。それは、端的に言ってしまえば「“若さ”と“美しさ”の女性の人間的価値全体に占める割合の極端な大きさを提示する」と言うことでしょう。沢尻エリカ演じるリリコはその美しさでトップモデルとして君臨していますが、ほぼ全身が整形の結果で、それが副作用で崩れて止め処なくなると、自分の人間的価値・存在価値の大部分(ないしは全部)を失うことに恐怖して、薬に溺れ常軌を逸した行動をとるようになり、結果的に整形の暴露をし、芸能界を去ります。これだけ読むと単なる芸能人の浮き沈みの話のようですが、そうではありません。
最近、蒼井優とくっついただの似てる女と結婚しただのと喧しいと聞く大森南朋が、劇中で、助手の鈴木杏が「なぜ、神様は最初に若さと美しさを与え、それを取り上げるのでしょう」と尋ねたのに応え、「若さは美しさだが、美しさは若さではない」などとしたり顔で言います。そして、渋谷の街の女子中高生らしきモブの人達が、プチ整形や廉価のメイク用品に集り、顔のパーツやその演出方法を選べるプリクラを操作する場面が執拗に登場します。つまり、これがリリコのような(本人も言っているように)「芝居も下手なら、歌も下手な、見た目しか勝負するところのないトップモデル」だけの話ではなく、女性全部の話であると明示されています。
人材紹介や人材派遣など、長く人間に値段をつける商売をしていた私には、その「事実」を突き付けるこの映画の主題には非常に共感できます。しかし、結論を言うと、私はこの映画が駄作だと思っていますし、当然、DVDも買う必要を感じません。いつも浮腫んで不貞腐れているように見える寺島しのぶも、梨園出身なのに(沢尻エリカをクンニするなど)再び汚れ役をやって話題作りと言えば言えますが、いつもに比べるとかなり比較的好感が持てます。桃井かおりはいつもの如く素晴らしく、窪塚洋介や哀川翔も好感を持てる存在です。しかし、それでも、私はこの映画がどうも好きになれないのです。
最大の理由は、リリコもその後継者で可愛いと言われ続ける犬顔のモデルも、タヌキ顔好きな私にはまったく美人に見えないことです。全く可愛らしくも見えません。リリコはマネキンのようで気持ち悪いですし、犬顔少女も私には好きになれません。そのようなことは向こうの方が願い下げだと思いますが、例えこの二人のうちどちらかがデートに誘ってくれても確実に断ると思います。スタイルも私は幼児体型好きなので、不自然に縊れたウェストや妙に寄せて上げたようなパンパンのバストも好きではありません。
演出面も絵面自体は『さくらん』同様に原色べったりの壁や数々の色のライティングなど非常に美しいのですが、不要な場面がだらだらと続いたり、シナリオもかなり冗長です。うんざりするぐらいに渋谷のコギャルの会話や買い物の様子が登場しますし、馬鹿げたぐらいに執拗に渋谷交差点の遠景も登場します。おまけにリリコの撮影風景も意味不明なほどに様々なパターンが(単にカットを積み重ねているだけではなく)何場面も繰り返されます。
さらに、追い詰められて狂気に走ったリリコは、生テレビ番組収録中に錯乱します。ここで話を終わらせても十分スタイリッシュに終わった筈ですが、その後も、思い返せば思い返すほどに蛇足と思える後日譚が、これでもかこれでもかと付け加えられていきます。思わせぶりな大森南朋のセリフもウザいのですが、大体にして、彼の役は必要だったのかとさえ思えます。大森南朋ら三人ほど検事側の人間として出てきて、「女は怖い」だの、「女は美への欲望を諦めない欲ばりだ」だの、延々語り続けるのですが、リリコの生態を見ていれば余程IQが低くないと必要にならないような解説です。錯乱してくるとリリコは部屋の中のものをぶちまけたり、蹴散らしたりしますが、この場面も何かと言えば手を変え品を変え登場し、既視感がかなり湧きます。このように考えると、三分の一はカットできるのではないかと思える映画です。
東京乾電池出身の怪優にして、いつも眠そうな顔に見える江口のりこの名前をエンディングのクレジットロールで発見しました。何の役かも全く分からない状態ですが、DVDを借りるなり買うなりして調べる気力が微塵も起きない映画でした。