『ヒミズ』

バルト9の平日の夜遅い回で観てきました。封切から一ヶ月弱。当初やたらに多かった上映回数も既に一日に三回になっていました。終電近くに終わる回には人もまばらでした。

園子温監督作品をここ一年間ぐらいで『冷たい熱帯魚』『恋の罪』『ヒミズ』と三本見たことになります。結論から言うと、三本は徐々に質が下がっているように感じられてなりません。園子温監督作品には欲望や狂気に裏打ちされた暴力性が表現の中心に据えられた映画とそうではない作品群があるように大雑把に理解しています。

私が一番好きな園作品は、やはり何と言っても『紀子の食卓』です。この作品には直接的な殴る蹴るの暴力は殆ど登場しませんが、姉妹作となっている二番目に好きな『自殺サークル』と並んで、血糊で塗りつぶしたような画像はかなり登場します。この二本に比べて、『冷たい熱帯魚』は当時のこの映画の宣伝にやたらに書き散らされていた通り、殴る蹴るの暴力も、血糊べっとりの殺人現場・死体処理現場も最大級に登場する映画です。

私が三番目に好きな園作品は『気球クラブ、その後』です。この作品は、全く暴力も血糊も登場しない、夢の中のような若者群像劇です。このように、私にとっての(つまり、私の知る範囲でのと言う意味ですが)園作品は、各々に或る特定の色が貫徹されている作品群でした。

ところが、この『ヒミズ』には妙な継ぎ接ぎ感があります。前半から中盤にかけては、不必要とも思えるほどの暴力描写が続きます。しかし、中盤、主人公が自分に向かって「お前なんか早く死ねばいいのに」と執拗に告げては暴力をふるい続ける父の頭をブロックで何度も叩いて殺害に及ぶ前後から、映画は「世の中捨てたもんじゃないよ」的に急展開し、さらに、可愛い彼女と青春突っ走ろうモードに突入して終わるのです。

『恋の罪』に比べても、尚、この作品を私が低い評価しかできない最大の理由は、このちぐはぐ感にあります。この作品の原作はそこそこヒットしたコミックであったとは知っていますが、ストーリーや結末などを私は全く知りません。もしかすると、この原作に忠実であろうとする制限ゆえの展開なのかもしれません。それでも、暴力でしか解決できなさそうな事象をこれだけ映画の前3分の2に並べておいて、このオチかいとどうしても突っ込みたくなります。

この映画の違和感が湧く点は他にも幾つもあります。パンフレットによると、撮影準備期間中に発生した大震災を「どんなことをしても、映画に取り込まねばならないと思った」と言うことで、無理矢理震災が画像にもストーリーにも挿入されています。明確な目的なく入れられた設定と場面が到底何らかの効果をあげているとは思えません。これが継ぎ接ぎ感の二番目に大きな理由でしょう。

さらに、主人公の中学生住田は、母と二人暮らしになっている貸しボート屋から、ついに母さえ男と蒸発した後、学校に行かなくなりますが、それでも尋ねてくるのは彼に恋焦がれてストーカーの如く着き纏い、住田の心に強引に食い込んでくる「茶沢さん」だけです。学校の教師も補導員も民生委員も誰も尋ねては来ません。ヤクザの金貸しが流血の取り立てを行なっても、全く騒ぎになりませんし、父を殺して埋めてあるのが発覚しても尚警察は住田の自首を待っていると言う想定のようです。ファンタジーと思わなければ、少々無理のあり過ぎのストーリーです。

さらに映画終了後、気になったまま全くヒントもないままに終わった謎があります。それは、この思い詰め少女「茶沢さん」の家庭環境です。住田に負けるとも劣らないぐらいに、意味不明に子供を厭っている親がおり、部屋に「茶沢さん」用の絞首台を(バンバン作れば、1日で終わりそうなレベルの工作物なのに)何日もかかって用意を続けている夫婦揃った異常者のように見えます。

住田ガンバレと連呼し続け、住田の信奉者となっている彼女は実は自分の方がよほど恵まれないことを、住田に最後まで洩らすことがなく、家ではどんどん追い詰められていきます。尊属殺人を犯してから、住田は悪党を成敗しようと紙袋に包丁一本入れて、街を徘徊し、結果的に彼より先に身勝手な正義や理屈で人を危めようとする人間を二度も抑え込むことに成功してしまいます。

この彷徨の場面が中盤に長々と展開されるので、キスまでして自分を支え続けてくれる「茶沢さん」の価値に気付き、きっとセックスでもすることになって、その勢いで「茶沢さん」の両親を惨殺にでも行くのだろうと、ラストまでの一時間近く期待して居たら、同衾しても交わることなく、「茶沢さん」は結局自分について何も語らず、おまけに最後は自首するために土手を二人で走り去るだけです。この肩透かしは、本当に私を脱力させました。何のための「茶沢さん」の家庭環境の描写かと訝ること頻りです。同様に、原作には登場しない、震災関係で無理矢理つけたしたのか沢山のテント居住者が住田の敷地らしき所にいますが、これらの人々も一人を除いて殆ど意味ある行動をしません。何のためにいるのか全く分からず、彼らを長撮りするシーンなどは、全くの無駄に感じられます。

さらに、役者を映画の役柄と関連付けて記憶する私には非常に不便この上ないことですが、このテント居住者を含め、劇中には園作品常連役者陣がやたらに登場します。住田に殺害される父は『紀子の食卓』の父ですし、紀子の妹でそれがデビュー作の吉高由里子までチョイ役で登場します。チョイ役と言えば、本当に一瞬のチョイ役で私には『花とアリス』と『リターナー』の印象が強い鈴木杏も出てきます。

そして、『冷たい熱帯魚』の二人の熱帯魚店主とその妻の合計四人もまるまる登場しますし、悪辣熱帯魚屋に最初に毒を飲まされて泡を吹いて死んだ男まで浮浪者の一人になって執拗にスクリーンに現れます。間男して毒殺される悪辣熱帯魚屋の弁護士も、悪辣熱帯魚屋(だった男)と良い絡みを見せてくれます。もしかして、『冷たい熱帯魚』撮影中に隣にこの映画の撮影現場があったのではないかと思わせるほどで、その中で、園監督と婚約したと言う神楽坂恵だけは監督と交際しつつ、さらに『恋の罪』の主演も並行撮影していたと言う風に解釈した方がよさそうなぐらいです。

『恋の罪』とも共通点が色々と見つかります。まずは「詩を絶叫する女」です。恋の罪では二人、『ヒミズ』では「茶沢さん」一人です。敢えて言うなら、詩の場違い感がかなりあることも共通です。さらにクラシックの名曲を背景に使う所でしょうか。この選曲も、幾つかの有名戦争映画などとダブっていて、手垢感があります。この映画を見た知人の奥さんによると、以前の園作品と自転車の使い方も似ていると言います。そのように見ると、余計のこと、大量生産の品質劣化を補うべく、自分の得意な手法をただただ突っ込んで作った、既成コミックの物語と見ることができます。

肩透かしの結果、詰まる所、「酷い世の中だし、馬鹿もクズも多いけど、中学生のガキには分からない、いい所や面白みも世の中にあるよ」といういことを言いたい映画としてしか残りません。それでも、仕方なしに、私はこのDVDを買うことでしょう。それは、この映画を見てしみじみ実感させられた、私は思い詰めた人の視線を見るのが好きだと言う発見によります。

この映画の「茶沢さん」は住田に恋焦がれるあまり、住田語録を密かに作り、それを紙に書いて壁に貼っては暗唱します。住田に疎まれても執拗に食い下がり、住田を説教する教師には目を剥いて迫ります。彼女の目線アップ時間量は膨大です。この思い詰めた目線は、最近ではまさに『恋の罪』の殺害される主人公や自殺する女もそうですし、以前ですと『美代子阿佐ヶ谷気分』、『片腕マシンガール』の主人公など、枚挙に暇がありません。

そして、端役ですが、もう一人、この映画には思い詰め、且つ醒めきった目線の女性が登場します。住田が住宅街を徘徊していると安アパートからゴミを出しにブラとパンティーだけの女性が出てきます。この女性の体にはアパートの中から怒号を投げかけてくる男によって書かれたブタだのメスだのの落書きが為されています。見えない男を住田が討つべき悪と認識しようとした瞬間に、その女性は「気にしないで、好きでやっていることだから」と冷静に言うのです。住田の幼い善も悪も簡単になぎ倒してしまう強烈な場がそこにはあります。

自分が酷く惹かれる場面の一種がどのようなものか理解でき、その類の場面を相当量含んでいると言う点でのみ、この映画の保存する価値が私には感じられます。