『はさみ hasami』

中央線沿線の理美容専門学校の教師(池脇千鶴)と、そこの学校に通う三人の生徒の物語です。日曜日の夜、新宿南口の小さな映画館で見てきました。一日に四回の上映の中の最終回ですが、完全入替制でシアターから出てきた前回の人々は40人ぐらいいた筈ですが、四回目は私を含めて僅か男性5人しか観客がいませんでした。

パンフレットには、美容師・理髪師を主人公とした映画は非常に少ないと書かれていて、確かにそのように見ることもできますが、店舗で働く人々が描かれることはあまりありません。それとは別に、この物語は色々な切り口で見ることができる作品です。基本は『金八先生』シリーズ的な熱血先生モノとして見ることができ、池脇千鶴演じる若手教師の昼夜を問わず教え、土日まで不登校になった生徒の自宅を訪ねて回り、思い悩み、辞めようと思っては思いとどまる姿には見入ってしまいます。

しかし、それ以外にもその周辺のドラマがこの短い尺の中にふんだんに盛り込まれています。第一に目を引くのは、やはり、職業柄、関心が湧く若者に対する職業指導の在り方の難しさだと思います。つらい技術の習得を厭い、単に「向いていない」として学校を去る生徒の存在に池脇千鶴が指導の限界を感じる場面が登場します。また、三人の準主人公である生徒達のうちの二人、洋平と弥生も「向いていない」、「ハサミが思うように動かない」と挫折してしまいます。

さらに職業指導の継続性維持、若しくは学校の生徒維持の困難さと言うことも浮き彫りになります。三人の生徒の残る一人いちこは、地方都市の貧しい家の出身の肥満児(過食症のようです)で、友達も居ずに黙々と技術習得に励み、その結果、弥生が初めての親友となります。学内トップの成績を叩き出し続けますが、奨学金を実家の家族が使い込み、学校から去ることになります。

これら二点は、私が仕事で御付き合いのあった中小・中堅クラスの服飾専門学校・理美容専門学校・ホテル系専門学校などで見聞きした話と全く同じで、非常に現実的です。

弥生の交際相手は、根暗なグラフィック・デザイナーの亮輔で、デザインすることが好きでそれを商売にしますが、クライアントの要求を作り手の拘りで受け入れることができず、悩み抜いた揚句に精神に異常を来たします。連絡が途絶えて一週間後弥生は、亮輔の姉から、亮輔が電車で女性に抱きついて離れず警察沙汰になったことを聞かされ、打ちのめされます。この亮輔の「好きなことを仕事にするんじゃなかった」と言う呪詛のような激しい後悔の言葉は、スランプに陥っていた弥生を長く縛って行きます。クリエイターが作りたいものと売れるものの間の乖離に押し潰されそうになること。即ち才能が認められないことは、若者に流行りであるらしい「好きを仕事にする」生き方の大きな障害であることが改めて認識できるのが、三点目です。

さらに、この映画に登場する学生の高成績の理由は全てコンプレックスの裏返しであることも注目に値します。肥満児のいちこの他にも脇役クラスで足の不自由な生徒が優秀な成績を収めていて、「足では他人に負けるが、手では絶対に負けない」と本人に言わしめています。

そして、映画の本題でもないのに、これら四点よりも非常に気になることがあります。それは、この映画に出てくる全ての学業上の障害は殆ど親が原因であることです。肥満児のいちこの、娘の奨学金を使い込む親を始め、先述の「向いてない」と言い出した娘の「意見を尊重する」と事無かれに池脇千鶴に言い放つ親、再婚以来、先妻の子である洋平とコミュニケーションを長くまともに取らなくなった父親。ドキュメンタリー映画の名作『平成ジレンマ』で戸塚ヨットスクールに、頭を下げて自分ではどうにもできないと匙を投げた子供を無為に連れて来て入学させようとする親の姿を彷彿させます。折しも、『平成ジレンマ』で描かれた生徒の投身自殺が再び起きたとニュースで報道されていたばかりですので、余計に親の「原罪」に思い至ってしまいます。

三人の準主役級の生徒は、結局全員モノになることがありません。それでも、この映画は「諦めない人々」で満ち溢れています。名前が分かる人物では弥生の彼氏の亮輔だけが挫折したままで、それ以外は「目標を持って手を動かすこと(つまり、ハサミを使う技術を磨くことに専念すること)」と言う、池脇千鶴のかつての先生であり、今は同じ学校の先輩職員となっている竹下景子の教えがほぼ貫徹されています。つまり、技術向上への執着が結果的に全てを癒し解決すると言うことになります。

その他の教師も校長(または理事かもしれませんが)辞めようという学生を説得すると言い出しますし、いちこにも住み込みの理容店を探し出して復学させなければと、努力を重ねています。教師一同の飲み会でも、居酒屋のお座敷席で、侃々諤々の教育論論争を展開しています。また、洋平の叔母が経営し、洋平がバイトを始める美容院でもやたらにいい人が多く、皆職業意識が高い様子に見えます。この辺は、私の見聞きしたこの業界の現実とはやや異なり、性善説的ドラマに仕上がり過ぎである感があります。

さらに肥満児のいちこは誰に対しても敬語を使い、何かと言うと学校をさぼる弥生のことさえ気遣い、成績優秀でいられた学校を去ることに追い込んだ親を怨むこともなく、「自分は大丈夫だ」と常に前向きに生きていて、泣かせてくれます。これほどに素晴らしい学生が在校生二年分に一人でもいたら、専門学校の教師は非常にやりがいのある職業であることでしょう。私は基本的にあからさまな肥満キャラにはあまり好意を持てませんが、記憶に残っている中で唯一、非現実的に見えるほどに健気で真剣で前向きないちこは好感度の高い肥満キャラです。

『ジョゼと…』と『ストロベリー…』の二作でしか見たことがなかった、三十路に入ったらしい池脇千鶴の、顔つきから体形から、若々しさも瑞々しさも完全に消え去っていて、洋平が一人住む部屋に上がり込んでも全くことが起きそうな気配一つ湧かないのも、上に述べた非現実性と並ぶ多少の減点ポイントではあります。しかし、亮輔のベッドでまどろみから覚める弥生さえ全くのセックスの気配がない状態ですので、池脇千鶴演じる教師の、『人のセックスを笑うな』の永作博美の対極状態も致し方ないのかもしれません。色々な見方ができ、現代の必ずしも世の中全般の評価では優秀とは認められていない若者達の職業人化、社会人化に数々の示唆を与える作品です。仕事の役にも立ちそうなDVDは、買いです。

追記:
 私の以前のクライアントに、今回の映画に大量に登場したカット・マネキンの製造会社があり、(私は「生首マネキン」と呼んでいましたが、)カット・マネキンの購買決裁者はどのような選択基準で購買を行なうのかなど、よく想像を巡らせていました。非常に親近感が湧く作品でした。その他にも仕事上、理美容店に関係する案件が幾つかあり、そう言う意味でも、学びのある映画でした。