『オバアは喜劇の女王 仲田幸子 沖縄芝居に生きる』

観たくなる映画が見つからないなと思いつつ、ふと気付くと、年の瀬も押し迫って、師走も残す所ほんの数日になってました。上映している中では『源氏物語…』は、かなり魅力は感じますが苦手な中谷美紀が主役なのでパスしようと決め、『エレナー電気工業』は、年の最後に滑り込んで観るには軽過ぎて、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』は、男臭く、重苦し過ぎ、『ブリューゲルの動く絵』と『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』は、モチーフの予習が明らかに足らず、どれも決め手に欠ける状態でした。

映画.comでページをめくっていると、未だにオイオイ泣ける大名作『エンディングノート』がやっていて、年の締めくくりには、『脱兎見!』では前例ない二度目鑑賞でもよいかなと思っていた所、その有楽町の駅近くパチンコ店上の映画館の『エンディングノート』と同じレイトショーで、この作品『オバアは…』が限定二週間で上映されていることに気づきました。今年最後の仕事を終えた夜、有楽町まで足を運び、割引日価格1000円で観てきました。この映画を観ようと決めたのは、ズバリ、主人公のドアップで映った顔の表情です。

私は中学校から高校の入口にかけて演劇部で、主に裏方専門で、特に演出助手が自分では好きな役回りでした。映画では監督が映画全体の質を決める最大のファクターですが、舞台では演出がそれにあたります。演出助手も舞台全体を見渡せ、且つ、舞台に現れるものすべてのベストを追求する仕事と教えられました。役者の台詞は全部覚え、誰が稽古に来られなくても殆ど代役を務められるようになりました。

北海道の嘗て石炭採掘とニシン漁で繁栄した人口三万程度の地方都市にも劇団四季が公演に来る時代でした。色々な劇団の芝居をその都市でも、よく見ている方であったと思います。その私が、道路距離100キロの北海道第二の都市旭川に高校を休んでまで小遣いを貯めて見に行った芝居があります。今も思い出すことがある素晴らしい舞台で、当時の私には数週間に渡って頭から離れない、衝撃的な演出でした。それは松竹新喜劇の大スター藤山寛美の舞台です。当時、藤山寛美はテレビで舞台が中継されていました。それを観て好きになったのは、子供時代に洋裁で生計を立てる母の代わりに私の面倒を見てくれた祖母の影響だと思います。ポスターで、テレビの画面で、舞台で見た藤山寛美の笑顔に、この映画の主人公の笑顔は私には酷似して見えました。

映画を見て発見できたこの映画の主人公仲田幸子と二歳違いの藤山寛美との共通点は、決して賢くも要領良くもない社会の底辺の人々の役回りを精緻且つ大胆に演じること、アドリブ全開で舞台を進行し舞台と観客席にまたがる場を大きく揺るがすこと、泣き笑いの中に人生の機微と教訓を埋め込んでいることを始め、戦中から戦争終結までの間に子供時代を過ごし、赤貧を経験していること、テレビの発展などと共に舞台芸能自体の衰退に晒されて、その中を生き延びてきたこと、そして、地域の舞台に、テレビにラジオに、自らの芸を広く持ち出したことで、絶大な知名度を獲得していったことなど、色々挙げられます。

藤山寛美が観客を惹き付けて止まない舞台をどんどん作り出す一方で、「遊んでこそ芸人」とばかりに、金を湯水のように使い、自己破産までする借金の山を築き、豪遊で家庭を顧みることがなかったと言われるのとは全く対照的なこの映画の主人公仲田幸子の半生が描かれるドキュメンタリーです。

島民の4人に一人が死亡したと言う沖縄戦を生き延び、捕虜になって収容所で10代の始めを過ごした仲田幸子は、解放後12歳で劇団に身を投じ、14歳で10歳年上の劇団員にして、英語も堪能で米軍と交渉ができ、劇作家としての才能もある龍太郎と親しくなって、17歳で結婚に至ります。その年に夫と劇団「でいご座」を結成して、現在に至るまで座長を務めています。現在78歳で芸歴64年。沖縄方言で演じられる「沖縄芝居」の劇団の多くが姿を消す中、昭和40年代には一ヶ月に40公演で2万人を動員するダントツの人気を誇り、今尚公演は常に満員盛況と言われています。

本人が「好きなことをは、わき目も振らず、一つのことだけずっと続けてなさい」と家族に繰り返し言うように、沖縄方言の沖縄芝居と言う形だけを一筋に掘り下げたこと、劇団員が事実上彼女の夫や娘、孫娘で構成されていることから、運営コストが抑制できたであろうこと、夫が沖縄芝居の構成・演出に非常に長けており、その機能を劇団(・家族)の中に維持できたことなど、色々な成功要因が考えられますが、最大の成功要因は、劇中に登場するガレッジセールのゴリが、的確に以下のような感じの言葉にまとめています。(正確には残念ながら再現できていません)

「僕の小さい頃、日常にTVがあるようにTVをつけたら仲田幸子がいた。沖縄のオジーオバーの喜びも悲しも、つらい歴史も全部飲みこんで、沖縄方言でオジーオバーをあれほどに惹き付け笑わせることができる人は他にいない」。

パンフレットには、沖縄で一番有名なオバア。沖縄最強のオバア。など様々な形容が並んでいます。台本のない沖縄芝居で100本もの演目のすべての登場人物のすべての台詞を記憶し、座員に口伝えで教える座長の責任は重いと呟き、年老いた大黒柱の役者が立て続けに亡くなった後にはうつに悩まされたと言います。死と隣り合わせの幼少時代を送って来て、今でも、目が覚めると、「ああ、まだ今日も生きている」と強く意識すると言います。決して最強でも何でもないオバアです。しかし、その人生と絡まりあった芸の道へのひたむきさが、一時は東京行きに憧れた孫娘を座長候補に転身させ、挨拶の口上の際に感じられた観客の雰囲気から演目を突如変更する熾烈な展開にも座員をついてこさせる強烈な魅力になっていることは、たった90分の映画の半分も見ないうちに十二分に理解されます。

『エンディングノート』、『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』、『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』に並ぶ、真剣に日々に臨むと言う、言えばあまりに単純な、しかし、実践は非常に困難である貴重な教えを強烈に植え付けてくれる秀逸なドキュメンタリーです。一年の最後に観るにふさわしい映画でした。DVDが出ることがあれば、勿論絶対に買いです。

追記:
 この映画のオフィシャルサイトのトップページには彼女の小さな写真があり、それをクリックすると、一アクセスたった一回だけ、短い間、彼女の言葉が表示されます。「生きているうちは死なないさ。ヨロシクゴザイマス」。劇中でも何度も登場する彼女の見事な口上の一部のようです。彼女の人生があるからこそ紡がれた含蓄ある言葉に感じられます。