『スリーピング・ビューティー 禁断の悦び』

48歳になって最初の映画は、新宿は明治通り沿いの映画館で観てきました。レイトショーで一日一回の上映。封切後約二週間の祝日の広いシアターには、20人ほどの観客が居ました。トイレに行くと、新宿の有名人「タイガーマスク」が用をたしていました。同じシアターで前の映画を見ていた様子でした。調べてみると、それは『ラブ&ドラッグ』であったようです。そう言えば、昨年映画館で彼を見かけたのも、このビルの映画館で、『眠狂四郎』です。彼の映画の好みが今一つ理解できかねます。

さて、私の48歳第一作目は、完全に不発の映画でした。DVDを買うことも全く考えられません。映画.comによると、「川端康成の「眠れる美女」を新たな解釈で映画化した官能サスペンス」と言うことになっていますが、全くそのようには感じられません。

川端康成の原作『眠れる美女』は読んでいませんが、邦画の映画化作品『眠れる美女』は、遥か以前に観たことがあります。大西結花がその館に通う義父を慕うあまり、自分もそこで眠りにつき、義父に愛して貰うことを選ぶストーリーで私は結構好きでした。義父役の原田芳雄が老いた男の心境を丁寧に表現していると感じたように記憶しています。

調べてみると、川端康成のこの原作は、今回で四度目の映画化と言うことが分かりました。私の見ていない二本のうち、一本は最初の邦画化作品で、老人の視点で描かれた名作のようにネット上のあらすじでは読み取れます。DVD化はされていない様子です。もう一本の方は、ドイツ人監督によるドイツ映画です。これも老人視点で描かれた秀作の様子です。

今回の映画は、オーストラリア映画ですが、前三作に対して、主人公が一人の貧乏女子大生である点が様相を異にします。そして、映画紹介にあるようなサスペンスもありませんし、官能と言う割には、大したエロスもありません。

単に、「金に困って、援交も厭わぬ癖に、全くまじめに働く気のない、行き当たりばったり人生の貧乏美人女子大生が、全裸で睡眠している間に挿入以外の何をされるか分からないと言うバイトを始めたら、寝ている間に何をされているか気になって仕方がなくなって、隠しカメラを初めて仕掛けてみたら、偶然、その日の相手は金持ちの空虚な人生を厭って、彼女と添い寝しながら自殺することにしていた男だったので、隠しカメラには、死体と死体のようになって眠る自分の、事実上の静止画像しか映っていなかった」と言う話です。「援交女子大生ミーツ『パラノーマル・アクティビティ』」とまとめると良いかもしれません。

私はDVDで観て、格闘ゲームどころではないぐらいに荒唐無稽で驚かされた『エンジェルウォーズ』(英語タイトルは、Sucker Punch で、なぜ、このような脈絡のない日本語タイトルになったのか全く理解に苦しみますが)の主演女優エミリー・ブラウニングが主人公を務め、全裸シーンが多々出てきますが、単にそれだけの映画であって、原作に描かれる老いと性と生の交錯など殆ど全く配慮されることなく、頭の中身の薄そうな馬鹿娘が、並行して行なう各種のバイトのどれ一つにも真剣に取り組むことなく、何一つ人生の糧として積み重ねられるものを得ることなく、流されていく様があるだけです。おまけにオージー英語が非常に聞き取りずらく、一応TOEIC920点を記録したことのある人間ではありますが、全編を通して文章を成している(挨拶など以外の)台詞は、必ず一部分以上が聞き取り不能でした。

さらにこのオーストラリア映画は、何か文脈が今時の映画っぽくなく、登場人物の人間関係の伏線などが殆ど説明されないままに終わりまで進んでしまいます。ですので、主人公の援交娘がどうも本気で愛しているらしい、いつも自室でパジャマ姿でうろうろしている男が死に至りますが、どのような関係なのか、何の病気なのか、手掛かりがあまりありません。主人公が事務コピー専門のアルバイトをしている事務所に母から電話が来て、馬鹿娘は電話口でクレジット・カードの番号や期限などを全部口頭で伝えていますが、なぜ、母親にそのようなことを言う必要があるのか、全く不明なままに、母親も二度と登場することなく映画は終わります。

援交娘は住んでいる家を追い出されますが、その理由や経緯や大家らしき二人との関係性もよく分かりません。私は「援交娘」と呼んでいますが、公衆電話の返却口の硬貨の取り忘れをチェックするぐらいに貧乏であることと、男をバーでひっかけまくっていることを組み合わせて、私が勝手に「援交」であろうと推定しているだけで、単にセックス・ジャンキーであるのかもしれません。

調べてみて川端康成の原作は非常に読んでみたくなりましたし、他の三作のうち、DVDで手に入れられるものは機会があれば入手しようぐらいには思うようにはなりました。が、この映画は見直す必要は全く感じられません。むしろ、美人若手女優と言われる割には、特段、素晴らしい美人にも見えないエミリー・ブラウニングをついでに調べてみて、娘と以前見たことのある『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』の主役級のポジションだった子役であったことなどの発見や、川端康成の名作の発見などの機会を提供してくれたと言う意味で、気づきのある良い映画でした。

追記:
 映画館のシアターへの入場案内をしていた若い男性スタッフは、(厚く重い扉のストッパーが壊れていて押さえなくてはならないかの如く)扉に寄りかかりつつ、異様に悪い滑舌で且つ早口で、「極道…」と言いながら、チケットをもぎっていました。なぜ極道なのかと近寄って自分も入場したら、彼が繰り返している言葉は「ごっくり道路…」に聞こえました。なんじゃこりゃと暫く入口に近い席で彼の言葉を聞いていたら、それは、「ごゆっくりどうぞ」であることが分かりました。まるで、私が遥か以前葬儀屋でアルバイトした時のマニュアルにあった「黒足袋、白足袋」とゴモゴモ言うとの指示のようです。これは「元気よく言わないように配慮しつつ、『このたびはご愁傷様です』と言うための指示」です。
 ちなみにこのスタッフは映画終了後に扉を開けて観客をシアター外に誘導して居ましたが、その際には、今度は(言い慣れていないのか)ゆっくりと、「本作品のパンフレットは販売して居ないので、ご注意ください」と大声で案内して居ました。パンフレットを販売して居ないことを了承とか容赦することは、私もできますが、パンフレットを販売して居ないことに注意することはなかなかできるものではありません。
 映画のみならず、映画館まで気付きを多々与えてくれる仕掛けになっていました。