『サウダーヂ』

平日の昼間、渋谷のラブホテル街に程近い映画館で見てきました。

いつも見ているムービーウォーカーで、映画名を入れて検索すれば10月22日公開と出てきますが、「現在公開中の映画」のリストでは全く登場しないので、見に行きたい映画があまりないなと、或る日、映画.com のページを流してみたら、見たいと思っていたこの映画が、既に封切られてだいぶ経っていることに気づきました。

同様に、ムービーウォーカーを見ていたせいで、気付くのが遅くなり、最近見逃してしまった映画に『追悼のざわめき』があります。かなり腹立たしく感じたので、早速DVDレンタルをネットで手配しました。受けの良い映画ばかりを並べるサイトはあてにならないことを学びました。本当に雑誌『ぴあ』の廃刊は痛いです。

『サウダーヂ』を見に行きたいと以前から思っていた理由は、地方経済の縮小・衰退が比較的頻繁なニュースネタとなって、時々言及されていたのが、「もうすぐ公開される映画『サウダーヂ』」だったことです。特に、毎月読んでいる雑誌『サイゾー』で対談記事に毎月登場する、私もその初期の著作が大好きな宮台真司が『サウダーヂ』に役者として登場しているのを発見し、『サイゾー』での『サウダーヂ』への言及の一部は宮台真司によるものと思い起こしました。

2時間18分の『闇の子供たち』のラスト15分のトイレ行きの反省を活かし、2時間半を超える『ダークナイト』や3時間を超える『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は観たいリストには入っていても、諦めてDVD鑑賞に回しました。本来なら、上映時間3時間のやたらに長い『サウダーヂ』もDVD回しにしたいのですが、どうも、DVD化が多少怪しく感じられたので、途中で抜けることになっても、劇場で見ようと決心しました。

(ちなみに、同じ映画館では『AA』と言う7時間半の尺の映画が公開されていました。上には上があるものです。)

映画は甲府市の二人の人物を軸に地域社会の人々のありようをリアルに描いたフィクションです。二人のうちの一人は、職業・土方の掘と言う男で、タイ人パブに嵌り、土方の仕事が細り、無くなって行くにつれて、タイ人とのハーフでホステスのミャオに溺れるようになり、ミャオの故郷のタイに二人で移り住むことを夢想するようになります。もう一人の主人公は、昼は派遣の土方、夜は地域の有名ラップMCの天野です。天野の周囲の人々は目も当てられない状況です。両親は自己破産し、たまにパチンコをする以外に何をする訳でもありません。弟は引き籠って精神を病んでいます。元カノは東京に逃げ、MDMAの中毒者になって甲府に舞い戻り、ヤク欲しさにブラジル人に絡みついています。天野は、甲府市内に多数存在するブラジル人を中心とする外国人労働者に排他的な感情を急激に募らせ、最後はブラジル人の有名ラップMCを刺殺して警察に自首します。

この二人を中心に、現地に島社会として点在するブラジル人社会が特に映画前半で家庭や職場や職探しの実態まで緻密に描かれます。そのブラジル人達と同じ仕事をタラタラとする日本人の姿も描かれていきます。後半では主人公の二人が行き詰まり、結末に向かって突き進んでいきます。その流れの中で、家族らしい家族をやっているのはむしろ外国人です。そして、劇中に登場する数少ないホワイトカラー労働者である派遣会社窓口担当者でさえ、ブラジル移民三世です。

掘の妻はエスティシャンで、セレブ客である地域のブライダルサロン経営者愛人の女性の誘いで、政治家の催す票集めのパーティーに参加し、怪しい天然水である「日輪水」のマルチ販売にのめり込んでいきます。日本人の家庭レベルの集団が殆ど登場せず、地域の人々の集まりはそのまま、政治団体に絡め取られ、マルチ商法に絡め取られ、そして堀の妻のエステ客集めの場にもなっています。狭い範囲の地域社会集団が色々な機能を担う姿が非常に興味深く描かれています。

堀は「結局、何でもできるっていうのが土方の仕事」と言い、現実に下水の工事や墓地の整地まで色々な現場を親方率いる組の人間としてこなしています。しかし、その親方が仕事を見つけられず、組を解散してしまうと、全く仕事のあてが無くなります。彼と付き合うミャオは22歳になるまでにタイか日本の国籍を選ばねばならず、苦悩の上、タイの家族を養うために稼げる国・日本の国民になることを選びます。ところが、「なんでもできる」筈の堀は、「何もない日本を抜け出して、タイでミャオとやり直したい」と言って、ミャオから説教された上に見放されます。

家族と支えあうこと。仕事に打ち込むこと。現実に向き合うこと。前向きに生きること。色々な意味で、日本の社会に生きる外国人の方が、日本社会に本来の住人である劇中に登場する日本人よりも優れています。そして、稼げなくなった彼らは順に日本を後にしてゆくのです。日本人の豊かさの本質が垣間見えます。

寂れた地域の人々の選択肢を描いた映画としてみるなら、この映画は『フラガール』と正対称の位置にあります。英語教育強化主義者の人々が唱える「グローバル化対応」などチャンチャラおかしくなるような、日本社会にとっくの昔から存在し、多様化を深めてきた多人種社会の映画と見るなら、『月はどっちに出ている』のその後と見ることもできそうです。

しかし、この映画を見終わって私が真っ先に思い出したのは、『ダーウィンの悪夢』です。軋み歪む経済構造と地域社会の変遷と言う切口で、この二本は共通に見る者を打ちのめす力を持っているように思います。情けなくなるのは、アフリカ・ヴィクトリア湖周辺の、神さえも見放したかのような売春婦は、欲しいものを問われて「教育」と答えるのに、『サウダーヂ』のNo1デリヘル嬢は社長に唆されて、日輪水のマルチ販売の片棒担ぎしかしません。

最近、愛知県の都市の商店街振興活動の一環のお仕事を無事完了しました。全国規模メーカーのクライアント企業の案件では、縮小する地域経済における対策を考えざるを得ない場面が頻出します。人材会社の社長とは、特定地域に請負案件を集中させた上で、職業教育を充実させて、20万都市実質的乗っ取り計画などと言う話を、何度も打ち合わせの話題にしています。そのような仕事の企画の精度を上げるための情報がふんだんに盛り込まれた、見る価値が間違いなく存在する映画でした。

ただ一度見てしまえば、後は購入したパンフだけで用は足りそうですし、私があまり好きではないヒップホップ音楽を延々聞きつつストーリーを追いたいとは思わないことと思うので、DVDは不要です。