『エンディングノート』

三連休の中日。夜の回でも新宿ピカデリーのロビーはやたらに混んでいました。

『猿の惑星:創世記』、『世界侵略:ロサンゼルス決戦』、『セカンドバージン』などの話題作が居並ぶ中、公開後一週間以上経った段階でどれほど混んでいるのかと場内に足を運ぶと、殆ど満席の状態でした。

映画が始まると、同時にふっと笑う多くの観客。そして同時にすすり泣く多くの観客。これほどに、観客の心を揺さぶる力を持つ映画は、多分このブログ『脱兎見!東京キネマ』でも並ぶものがないと思います。この映画で122本目のこのブログで間違いなくベスト10に入る作品です。

医者の家に育ち、高校入学とともに上京し、東京オリンピックの年に化学系の中堅企業に就職して、営業一筋。退職時には役員になっていた砂田知昭氏。67歳。退職して第二の人生を歩み始めたばかりの中で、毎年受けていた健康診断で胃がんが末期状態にあることが発見され、自分の死の瞬間までに、その段取りを“サラリーマン”として万全に整えて行く姿を描いた映画です。

このブログの『イキガミ』もそうですし、その文章の中で書いたように私の好きな映画でも『生きる』や『マイ・ライフ』など、自分の死が迫っていることを知った人間が真剣に残された時間を生きようとする姿を描いた物語は多数あります。それほど、人間は失うことにならないと失おうとしているモノの価値を理解できないものなのだとつくづく思ってしまいます。そのような映画群の中で、この映画は私のダントツ一番のお気に入りに突如躍り出てしまいました。

この映画の最大の魅力は、全編が娘が撮った膨大な父の記録によって成立していることです。娘の撮影はかなり昔から始まっています。父の退職の日の姿や、家庭での両親の不和など、再現画像かと思うほどに、多種多様な画像があるべき所にピタリとはまって、父の最期の瞬間に向かって収束してゆきます。

そして、カメラに収められる父本人の言葉以外に、ナレーションとして、死後の父を代弁するかのようなの言葉が、撮影・監督・編集を兼任する娘の声で語られていくのです。娘から見た父の行動解釈が、すべて、あるべきビジネスの考え方に従っていて、辛うじて笑いの余地を作ります。

パンフにナレーションのほぼ全文が掲載されています。例えば…
「妻と式場の下見に来るのは結婚式以来の事。少々早まり過ぎだと思われそうですが、そんなことはございません。段取っても段取っても必ず何か起こるのが本番というもの、完璧すぎると言うことはないのです」
 と言うナレーションが流れる中で、カメラは、抗癌剤で体重を15キロ以上落とし、髪も薄くなり始めた主人公砂田氏が、妻を従えて息を切らしながら螺旋階段を登って行くシーンを切り取るのです。

砂田氏の行動は一級のビジネスマンのそれです。娘が紹介する教会の神父に最初に会いに行った際も、まるで自社の商品説明でも始めるかのように、自分の身に起きた事柄の経緯を語ります。医者との面談には、血圧の記録などを緻密なメモに構成し、まるで営業報告のように臨みます。本当の最期の数日になって、病院のベッドに横たわり、言葉を発するのも辛い筈なのに、嗚咽しながら、「お父さんは、良い所に行くんだよね」と話しかける娘達に、「それは、コンフィデンシャルなので言えない」などと、やっと微かな笑いを浮かべて言うのです。

幼い三人の孫娘を愛して止まない彼を先に知らされているが故に、「じいじ…」と彼女達が会いに来るたびに、残りの時間が僅かであることが観客に突き付けられて行きます。そして、やせ細って肋骨が浮き出てしまった胸や嗄れた声も、当たり前の風景として、カメラは無造作に観客に見せつけてゆきます。泣き出す家族に、「うん。多分。運命だから、きっと」などと言い聞かせます。

強くて素晴らしい人です。そして、死に至るまでこれほどの準備と家族との理解の時間を持てた幸せな人であると思います。観客はまるで自分も家族の一員となって、数十年来、砂田氏を知っていたかのような気分になり、疾走して行く一時間半の時間の中で、何度も落涙させられることになります。

自分の意志とは勝手に起きる物事を如何に自分のものとするかと言う、人生に常に横たわり続ける大問題に、毅然と全身全霊を傾けて向き合った、とんでもなく格好の良いおじさんの姿には、多分何度見てもボロボロに泣かされることと思います。それでも、このDVDは絶対に買いです。そして、模範に従って自分の番に備えたいと思います。