『カウントダウン ZERO』

見に行きたいと思いつつ、なかなか実現しないうちに、予定していた新宿の映画館での上映が終わってしまい、ついこの間、『東京公園』を見た吉祥寺の映画館にまた足を運びました。平日の夜、館内にはたった4人しか観客がいなかったように思います。

この映画は核兵器を人類への脅威と捉えて、如何にそれを減らしていくべきかということが論じられているドキュメンタリーという触れ込みになっています。しかし、私が見に行きたいと思っていた理由は、トレーラーで、核兵器とその原材料のありとあらゆる馬鹿げた管理状態を見せられたからです。笑い事ではないのは勿論分かっているのですが、その馬鹿げた管理状況の具体例を色々知ってみたいと言うだけの動機でした。

実際に見てみると、そのような部分は前半だけで、そこからは、核兵器が如何に破壊的な威力を持つかということの説明とテロリストに保有させないための涙ぐましい努力、そして、核兵器廃絶のための遅い歩みが後半でだらだらと描かれます。

見ていて、馬鹿げた核兵器と核の管理状況のネタが予想よりは少なくて落胆はしました。映画中盤ぐらいで、映画全体が、「世界の(事実上、主に米国の)脳天気で知恵足らずではた迷惑な人々のから騒ぎを描いたコメディ」として見られることが分かりました。

映画は最初に、濃縮ウランかプルトニウムを入手するには、「作る」か「買う」か「盗む」かであると説明します。作るのは、60年前に確立された技術とは言え、今なお、多少の設備投資が必要で、やや難易度が高いと述べます。そして、「買う」、「盗む」は、ソヴィエトの崩壊以降、旧ソヴィエトのエリアでは簡単にできることを綿々と説明します。

この部分が、私がトレーラーでもみた多くのエピソードを占めています。私が愛読する小室直樹の一連の著作の中で、ソヴィエトには納期という概念もなく、製造や物流のプロセスでは、その作業に関与した者が勝手に製品や商品を持ち出すため、公的に認められた損失率(つまり、泥棒率)が存在すると説明されています。その泥棒率が濃縮ウラン工場の工員にも適用されていて、誰に咎められることなく、少量ずつを集めて横流しで濃縮ウランを売ろうとした工員が、友人の窃盗事件で巻き添えを食って逮捕されたことなどまで述べられます。彼はスクリーン上に登場するのですが、「インフレが酷くて生活が苦しかったから」との言い方はどうも、「仕方ないことだったから、やって当然だ」のように聞こえます。

さらに、もっと積極的にロシアからウランを持ち出しては密売をしようとしている男も、スクリーンに登場します。このオレグという男は、この映画全体を決定的にコメディ化させてしまう立役者の一人です。(記憶が多少曖昧ですが)「米国は400万人を殺した。だから、400万人ぐらい死ぬべきだ」、「ビン・ラディンやアルカイダを生んだのも米国だ」、「スコットランドのキャンプでテロの方法を教えたのも米国だ」、「9.11ではバンザイしたが、あんな事故では、400万人を殺すことはできない」など、数々の名言を吐きます。

戦略的で世界史観にも優れ、熱意もある、テロリストと呼ばれる人々が少々描かれる一方で、浮かれた核兵器保持者達はしつこく描かれます。

核兵器の発射コードを記した資料がどこかに置き忘れられてしまっていたり、発射コードの暗証番号が安直に全部“ゼロ”にセットされていたりと、馬鹿丸出しの管理体制がこれでもかというほどに語られます。これなら、中小企業の個人情報保護の取り組みなどの方がよほど厳重体制に見えます。

さらに、モンタナ州にあるミニットマンミサイル地下発射管制センターの扉には「世界各地に30分でお届け。届かなかったら、もう一個ただ!」などと、ピザの広告を模した絵が描かれています。医大生が解剖の実習で、献体から切除した耳を壁に付け、「壁に耳あり」と言って処分を受けたと言う都市伝説のような話がありますが、その数百倍不謹慎で信じられない映像です。馬鹿なのだから、馬鹿丸出しなのは当然であったことが分かります。

そこで、劇中、ヒステリックに北朝鮮以上に糾弾されているパキスタンの首相が、もう一人の立役者として異彩を放ちます。「彼らの言っていることはおかしい。もし、核兵器がよいものなら、我々も持つべきだ。もし、核兵器が悪いものならば、彼らがまず、持たなくなるはずだ」。全くその通りです。

ほんの少々昔、捕鯨基地を求めて日本を開国させた国の人々などから、「鯨は殺すべきでない」と言われるのと同様の、身勝手な論理に対するシンプル且つ強力な真理が存在します。

このセリフを頭に入れつつ、映画全体を見渡すと、
●核兵器を作って歓喜に踊る人々、
●敵ミサイルを探知次第、即時に反撃ミサイル発射の訓練を反復し、思考停止する兵士、
●過去を淡々と説明するブレア、ゴルバチョフ、カーター、ムシャラフなどの政治家
●テロリストに核を渡してはならないと執拗に力説する女性元CIA工作員
●核兵器搭載機の事故による核兵器の紛失事例を多々説明する専門家

などの人々の無責任さや滑稽さがやたらに感じられるようになります。

そして、フットボール一個分ぐらいの濃縮ウランで核兵器は製造可能で、それを米国にコンテナで普通に送られたら、放射線検知器でも港湾で全く検知することができないようにすることは非常に簡単と、これまた、尺の短い映画の中で、かなりの時間を割いて説明されると、一つ半ば自動的に湧くアイディアがあります。

元々、人類を勝手に何度も殺せるほどの兵器を勝手に作って、生活苦で簡単に責任を投げだしたり、悪質な冗談を責任ある職場に持ち込んだりするような人々なら、一度、自分達でその結果を享受してはどうかと言うことです。不謹慎なアイディアであることは十分承知ですが、映画の結論も、殆どこのポイントに帰着しそうになるのをぎりぎり回避しているように見えます。学びは耳で聞くより体で得た方が効果的です。

いずれにせよ、期待していたエピソード群の分量は少なく、世界的にはた迷惑な人々が復讐されるかもとあたふたする様を描いたコメディーと分かったので、DVDは必要ありません。

追記:
 この映画の原題は「カウント・ダウン・トゥ・ゼロ」で、人類か核兵器か、どちらか一方がゼロに到達すると言うような意味のようです。なぜ、トゥを抜いておかしな英語にしたのかが、なぜ日本劇場公開版のみ(だと思いますが)、あまり有名でもない日本人歌手の歌をエンディング・テーマにして延々流すことにしたのかと同じほどに、とても不可解です。