『スーパー!』

関東ではたった三館。都内ではたった二館でしか上映されていない映画です。都内二館のうちの一館は新宿駅至近の映画館だったので、そこで見てきました。レディースデイの夜の回はまあまあの混雑でした。

余程、米国ではスカッと毎日の不満や憤懣を晴らしたいと思っている人々が多いのか、『キック・アス』同様の、普通の一般人がスーパー・ヒーローになろうとする話です。映画の触れ込みは、「中年男版『キック・アス』」でした。

主人公の白人中年男は、ダイナーらしき店の厨房でハンバーグを焼くのが仕事で、他に出てくる店員が黒人であることからも、場末感が見てとれます。(遠近法を用いて絵を描くことなど大抵学校で習わないのが平均的な米国人の筈ですので、その意味では寧ろ上手な方であろうとは思いますが)御世辞にもうまいとは言えない絵を描いて壁に貼っては鑑賞するのが劇中で見つけられる唯一の趣味です。場違い感がバリバリの美人妻を娶ることができたのが、人生で二つしかない良い思い出の一つで、それ以外は、人生すべて嫌なことばかりと本人が言っています。

この美人妻は、麻薬中毒者で、施設からやっと出てきた所で優しく接してくれた主人公と結婚することになっただけでした。しかし、麻薬の売人が再び接触して来て、売人とのセックスと薬に溺れる人生に戻って行きます。妻は主人公を捨てて売人を選んだ訳ですが、その現実を受け容れられず、妻が誘拐されていると信じて警察に行き、相手にされず、自分がヒーローになることに思い至るのです。

問題なのは、このヒーロー化のプロセスです。

(家だけは大きいですが、それも米国なら一応平均的だと思うので)どう見ても裕福とは見えない生活をしている白人の、神に祈り、神と対話し、チープなテレビを安物風の家具しかない部屋のカウチで、菓子をほおばりながら見ている生活の中で、宗教系の子供向け番組の場面が心に焼き付けられてしまいます。その番組は『ホーリー・アベンジャー』と言います。(どうも、パンフを見ると監督本人が演じている様子の)人を堕落させる悪魔が、明石家さんまのブラックデビルのように、やたらにチープな定番の悪役で、神の威光によりその悪役を駆逐することで、堕落させられた若者達を救う、これまたタケちゃんマン並みにチープな感じのヒーローの物語です。

この番組のやり取りを見終わってベッドに行ったら、子供の頃からよく見ると言う幻覚を見ます。ヌメヌメの触手が手際良く剥き出しにした彼の脳に、神の指が直接触れると言うものです。その幻覚には続きがあって、テレビのホーリー・アベンジャーが出てきて、わざわざ、「神の指が触れたのは君が選ばれた者である証拠だ」と念押ししてくれるのです。その時にホーリー・アベンジャーが提示したマークを胸に付けたコスチュームを、生地屋で丁寧に選んだ布を自らミシンで縫製して作成します。武器がなくてはと気付いて、超能力のないヒーローをコミックで研究し、結局、スパナを一本武器にすることにします。

この時、コミック店で働く22歳の女店員が、強烈なヒーローものオタクで、後に主人公のパートナーとなって、彼以上に暴走し、暴力性を発揮した上に、あっさり命を落とす、リビーです。

スパナ一本で、映画館の待ち行列に割り込んだ金持ち風の男の額を叩き割るのが或る意味の見せ場ですが、他にも彼の奇天烈な悪人退治は続きます。ドラッグ・ディーラーやら何やら、米国の都市部の常識で見ると、有り触れ過ぎていてギリギリ検挙に至らなそうなレベルのことを行なった人間を、待機している裏路地のゴミ箱の蔭から見つけてはスパナで殴り倒すというものです。

最近読んだ『白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由』に登場するシーシェパードや反捕鯨団体の主張や、最近クライアントとの話の中で話題になった十字軍が輜重もなく軍を進め、途上の町々を略奪し続けていたことなど、色々なことが思い起こされます。これらの人々については、善や正義を語った行為が、現実に儲かるからということも勿論あるからでしょうが、何にせよ、無邪気すぎる正義の在り方に、映画の主人公とイメージが重なるのです。米国本国ではこの映画が不評であると言う話には、頷けます。

主人公の報われない白人中年男性は、ケヴィン・ベーコン演じる麻薬の売人に、神の啓示によって戦いを挑むこととなりますが、途中で彼の正体に気づいて、押し掛け女房のようにパートナーの座についた先述のリビーの方は、全く動機が不純というか単純です。

彼女にとって、正義の本質も何も関係ありません。当然ですが、間違っても、マイケル・サンデル教授の本も決して読みそうにない22歳コミック店店員がヒーロー的な活躍に憧れているだけのことです。知人を噂だけで確証もなく悪人だと主人公に伝えて、二人で突如、その知人の男性を襲い、撲殺一歩手前まで行きますし、そのような時に、バンバン不用意に主人公を実名で呼び、正体をばらしかけてしまいます。悪と思しき人間に暴力をふるい、勝ちが見えると、あまりの快感から、「あははははははは」と止め処なく笑いだしますし、主人公に「悪人でも殺しては駄目だ」と叱責されると、「そんな風に教えてくれなかったじゃないか」などと、ぐずぐず言い訳します。

パートナーとして売り込もうと、側転やら、下手糞で滑稽なシャドーボクシングのような技を披露する一方、最後の戦いとなるケヴィン・ベーコン宅強襲でも、自分が気に入ったウルヴァリンの爪を両手に装着して引き摺るように歩き、主人公が着せた防弾チョッキが重くて歩けないとへたり込みます。おまけに、自分の引越しパーティーでは大麻を吸っていますし、「妻が居るから駄目だ」と嫌がる主人公をコスチューム姿で誘惑し、それでも拒絶されると無理やり強姦に及びます。悩みに悩んで、神の啓示を得てヒーローになっても尚、自分を責め、神に教えを求め、少なくとも一度は(まるで、スパイダーマンなどでよくあるシーンのように)コスチュームを捨てて、ヒーローになるのを止めようとまでする主人公のありように比べて、非常に短絡的で幼稚です。

このおかしなバカ娘キャラをアカデミー賞ノミネート女優のエレン・ペイジが怪演しているのが、この映画の最大の見所です。既にDVDを買った『キック・アス』で大評判だったヒット・ガールのキャラは今一つリアル感がなく、違和感が残りましたが、このおバカ娘の「ボルティー」は、本当に米国の田舎街に居そうな超リアルキャラで、やたらに好感が持てます。

エレン・ペイジは、最近DVDで偶然見た『ローラーガールズ・ダイアリー』と『インセプション』にも登場していて、以前見た『X-Men』の第三作でも壁抜け少女としてかなり見せ場のある役を演じています。しかし、この映画の方が、私にはエレン・ペイジの代表作になるべきであるように思えてならないほどに、おかしなぶっ飛びキャラになりきっています。ヒーローものに、重要な役として出ていた女優が、似非ヒーローになって、暴力をさんざん振るった挙句に、コスチューム姿で男を犯すことまでして、悪乗りの極みに最後は頭を半分ふっ飛ばされて死亡すると言う、全く酷い役を演じることのおかしさが、私にとってのこの映画の最大の魅力かもしれません。

映画の前評判では、この映画の持つスプラッタテイストがあまり言及されていなかったので、ロビーの見終わった客の間では、「グロい所が多すぎる」と言った声が何回か聞かれました。スプラッタ的場面が結構あると前評判だった『キック・アス』の数倍は、スプラッタ的です。しかし、瞳孔が開いたヤク中主婦を好演する『アルマゲドン』ヒロインのリブ・タイラー、期待を裏切らず三流悪人を楽しげに演じるケヴィン・ベーコン、そして、見る者を捕えて離さないエレン・ペイジの快演、そして、笑える中に、明かに突きつけられる社会批判。あまりの面白さに、売店でTシャツを買いました。

エレン・ペイジが自分の役名リビーについて語っている場面が、本来おかしい筈なのですが、あまりに早口で意味不明でした。それを確認するためだけでもDVDは間違いなく買いです。この映画が中年版『キック・アス』なのではなく、『キック・アス』が私には高校生版『スーパー!』です。