平日の仕事のない午前。2015年だかに新たなシネマ・コンプレックスができると噂の元コマ劇場の近くの映画館に足を運んで見てきました。この映画は3D版と2D版があるのですが、いつもよく行くバルト9は、3D版しかないので久々にコマ劇場付近の映画館群に行くことになりました。
※3D映画は、以前『トイ・ストーリー3』で初めて見て以来、わざわざ追い銭をするほどのサービスではないと思ったので、極力3D映画を避けるようにしようと思っています。
外気温は軽く30度を超える中、新宿サブナードからぺぺの近くの出口から地上に出て、コマ劇場跡方向に行くことにしました。20歳で上京して以来、慌てて通ることが多かったその出口には、甘いものが好きな私がいつか行こうと思ってそのままになり続けていた『みつばち』と言う甘味処があります。今回通った時には、店の在った場所に大きな貼り紙があり、「昭和28年から58年間に渡りご愛顧いただいた…」と始まる文章は、4月20日をもって店が閉まったことを告げていました。58年の後半ほぼ全部の期間の多くをその場所に来られるような生活をして居ながら、できないままに永遠に機会を逃したことが一つできてしまったことを、悔しく、腹立たしく思いつつ、映画館に向かいました。
この映画を見に行くことにした最大の理由は、やはり『アイアンマン2』です。そのエンディングで出てくるニュー・メキシコの大地にドンと落ちている槌のアップから、中学・高校時代にみたアメコミ関連本にある『ソー』へ話が続くものと思っていました。北海道の小さな町に住んでいた当時の私がアメコミでコミックの単行本を持っていたのは、『スパイダーマン』数冊と『ファンタスティック・フォー』1?2冊、それと、偶然見つけて買った『ミズ・マーベル』1冊です。
『スーパーマン』や『バットマン』などは日本製のアニメに比べて、当時の時点でかなりチープな感じのアニメで見てストーリーを知っている程度であったように思います。(『バットマン』はテレビで実写も見ていた記憶があります。)『ソー』は、『デアデビル』などと同様に、アメコミヒーロー名鑑などで知り、関心を持っていた程度で、コミックなりアニメなりを見たことがないままでした。
その『ソー』が映画『マイティ・ソー』となって、『アイアンマン2』とどのようにつながるのかが楽しみで見に行ったということなのですが、驚いたことに、本当に『アイアンマン2』に出てくる場面そのままの場面がこちらにもあります。さらに、登場人物達は、巨大ロボ風のデストロイヤーが登場すると、アイアンマンの新作登場かと疑います。そして、登場人物の知人のガンマ線の研究をしている科学者は、姿を消したとか言う言及が出てきますが、これは多分、全身が緑色のハルクになってしまって世間に出られなくなった人物のことであろうと思われます。その様な世界観へのこだわりによる満足度は非常に高いものでした。
またもや見つけた、この映画も含めて5作並行公開状態を達成したナタリー・ポートマンはここでも安心してみて居られる、堂々の演技で、好感が持てます。異世界から何らかの能力者が現れ、世界が危機に瀕する際の、人類代表的な立場に結果的になってしまうヒロインと言うカテゴリーを取り敢えず設定すると、『地球が静止する日』のジェニファー・コネリー演じるシングルマザーの科学者役と役どころが酷似しています。これら二作を比較するなら主人公は向こうのキアヌ・リーブズの無機質な役どころに軍配が上がりますが、ヒロインの方は、感情の揺れや科学者としてのこだわりなど、様々な事柄の表現に成功しているナタリー・ポートマンが勝ると思います。
ただ、見るべきポイントはその程度で、(コミックを読んだことのない私に)想定されるコミックの『ソー』の世界観はかなり広く、色々と作り込まれている筈ですが、それを一気に一本にまとめてしまっている無理が、あちこちで「早送り感」を与えてしまい、まるで連続テレビドラマの総集編か何かを見ているようです。映画全体としてみる時、大した魅力がないと言わざるを得ません。
主人公のソーは父オーディンを継ぎ王座に就く直前に、その好戦的な性格と狭量な判断ゆえに、王位に相応しくないということになり、遥か、彼らの世界でいう所の辺境の星、地球に追放されました。そこで、人々の生き様を見て考え改め、元の世界を救うために戻ると言う話です。この流れで分かる通り、地球はただの流刑の地として登場するだけで、メインストリームの話の舞台は向こうの神の地「アスガルド」です。
このアスガルドの世界観を説明するだけで、十分に『マイティ・ソー(1)』を成立させられたのではないかと思えてなりません。(エンド・クレジットで「ソーは、アベンジャーズに戻ってくることになる」とわざわざ出る通り)来年か再来年に公開される『アベンジャーズ』にも、『マイティ・ソー2』にも話がつながり、世界観を広げる予定が既にあるのなら、『マイティ・ソー』シリーズの話の区切りをもっと工夫して戴きたかったものです。勿論、堕ちてきた所からソーの地上の物語で一本が終わり、第二作でソーの向こうでの世界のありようが説明されるのでも構いませんが…。
何にせよ、アンソニー・ホプキンスの出演も、ケネス・ブラナーの監督も、殆ど何らの効果も見出せません。まして、浅野忠信はニコニコその場にいるだけで、存在感は限りなくゼロに近いキャラでしかありません。この三人は、私が結構好きな映画に出演している人々であるので、非常に残念です。(ケネス・ブラナーは監督作でも好きな映画があります。)
映画館の入口には、『キャプテン・アメリカ』、『グリーン・ランタン』のポスターが貼られ、トレイラーでも『キャプテン・アメリカ』が既に流れています。(知らない人間にも分かるように)ご丁寧に『キャプテン・アメリカ』のサブタイトルは、「ザ・ファースト・アベンジャー」でした。おまけに、この『マイティ・ソー』の本編開始直前に、「エンドロールが終わった後に観るべきものがある」というような警告が出て、脈絡なく例のサミュエル・L・ジャクソンが登場し、『キャプテン・アメリカ』に出てくるのであろうコズミック・キューブらしき装置をわざわざ見せてくれます。
このように考えると、『アベンジャーズ』が本編の映画であり、それ以外はアベンジャーを理解するための周辺知識を解説した副読本のような位置づけの映画なのであろうと思われてきます。副読本は読んでおいたほうが良いと、これからも判断することでしょうが、いちいち副読本を何度も読み返したくなるとは思えないのでDVDは必要ありません。