平日の夜の回を新宿のピカデリーで見てきました。もうまもなく廃刊になる『ぴあ』の映画欄によれば、封切5週目。館内の席は半分弱埋まっていました。
X-MENシリーズ三部作に登場するプロフェッサーXとマグニートーは、過去には友人であり、敵対しているにもかかわらず、何か互いに共感するものを持っていることが映画の中の言動で分かります。その二人がまだ若く、知り合う時点から反目し別々の道を歩むことになるまでを描いた映画です。
X-MENシリーズ三部作は、その各々が単体で見ても十分楽しめる映画になっていて、かなり好きな映画群です。主人公達の能力がユニークですし、それなりにはその能力の辻褄が合ってはいますし、男女ともにスタイリッシュです。X-MENシリーズ三部作には主人公の一人ウルヴァリンの過去を描くスピンオフ映画が存在しますが、そちらの方は、まるで、三部作の特典映像のように思える作品で、特撮もすごく、超能力を駆使した戦闘シーンは見応えあるものであったにもかかわらず、今一つ好きになれませんでした。
今回の映画を見るまでは、ウルヴァリンのスピンオフ作品のように、今一つの作品かと心配していたのですが、見てみると、(もしかすると)三部作を越えるぐらいに面白く感じられるほどの快作でした。
三部作とこの作品にはあって、ウルヴァリンのスピンオフ作品にはないものは何かと考えると、やはり群像劇の掘り下げと、登場人物の特殊能力を活かして組み合わせた団体戦の妙味。さらに、女性キャラクターの存在でしょう。(勿論、ウルヴァリンのスピンオフ作品にも少ないながら登場しますが、主役級の重さを持った女性が多数登場すると言うことはありません。)
スキンヘッドで車椅子のプロフェッサーXは、なぜ車いす生活を始めたのか。
マグニートーが被るテレパスの精神干渉を防ぐヘルメットはどこで手に入れたのか
X-MENは、なぜX-MENと言うのか
X-MEN達が操るセレブロなどの装置は誰が開発したのか
など、三部作に当り前の如く描かれていたことの過去の経緯が自然なストーリー展開の中で描かれているのが、非常に好感が持てます。若いプロフェッサーXとマグニートーの二人の前に立ちはだかる共通の敵を、どんな役をやってもきっちりはまるケヴィン・ベーコンが演じているのも大きな安定材料です。
特に注目すべきは、ミスティークです。三部作の中で、登場頻度が非常に高く、その異形の青い肌で殆ど完璧に近い変身能力を駆使している時以外は事実上オールヌードで常時登場する彼女について、色々なことが分かります。
三部作でのミスティークは、なぜマグニートーにあれほどに忠実に活動しているのに、キュアと言う薬剤によって超能力を失った瞬間にマグニートに捨てられるのか。元々マグニートーとの関係性はどのようにして生まれたどのようなものであったのか。これは確かに興味深いポイントです。
若いまる顔の女優が演じるティーン・ミスティークと、女児ミスティークも登場します。女児ミスティークがまだ少年のプロフェッサーXに巡り合い、共に成長する過程で、外見を普通の女性にすることを当然と思うようになります。それは、実は彼女が同居して恋に落ちたプロフェッサーXの彼女に対する希望であったことが分かります。しかし、プロフェッサーXの方はミスティークを恋愛対象とは見ませんでした。単に彼にとって初めて見つかったミュータントの同志と言うことだけでした。
ミスティークは、なろうと思えば、スーパーモデルにも、隣のお姉さんにもなれます。さらにプロフェッサーXに気に入られようと健気に振る舞う様が描かれています。その後彼女は、プロフェッサーXとは異なり、(その時点では足のみ)異形の外見を隠して過ごすハンクに巡り合い、共感し、また恋愛感情を抱きます。そして、今度は、「虎は自らの縞模様を隠そうなどとはしない」と言い、ミュータントは人類よりも優れた種としてその存在をそのままに過ごすべきと主張するマグニートーに惹かれ、その主張を容れ、そして肉体関係を結ぶのです。
若き日のプロフェッサーXを演じた、ジェームズ・マカヴォイと言う男優は廃刊前5?6号ぐらいの『ぴあ』に乗ったインタビュー記事の中で、三部作のプロフェッサーXには、全く女っ気がないので、自分が演じるにあたって、女性にも興味が普通にある、当り前の若者像を描こうとしたなどと言っています。それにしては、ただ酔ってはナンパして回る風景が数回出てくるだけで、同居しているミスティークを性の対象としてみていません。
若気の至りでセックスの相手を飲み屋で探して回るぐらいなら、一つ屋根の下でミスティークとのセックスに耽っていてくれれば、後にマグニートーが人類の前に何度も立ち塞がった時の大きな戦力を削ぐことに結果的になっていたことでしょう。映画では、マグニートーの結果的に危険な思想は、(安直ですが)ナチスドイツから彼が受けた扱いが原因として描かれています。そのマグニートーの思想を改めようとプロフェッサーXは如何にもな努力を積み重ねていますが、それと同じぐらいに危険なミスティークの思想を自らのくだらない女の趣味の結果作り上げたことに対する言及はありません。
X-MENの三部作の世界は、原作から大きく逸脱していると言います。原作を殆ど知らない私にはその逸脱・乖離は全く気になりません。それでも、今回の作品を見て、少なくともX-MEN三部作に登場するジーン・グレイを少女時代に尋ねたプロフェッサーXとマグニート―は一体いつの時点だったのかなど、時系列で多少辻褄を意識してしまう部分は(そう言うことが大抵気にならない)私にもありました。
また、ストーリー中にも、宿敵のケヴィン・ベーコン演じるショウを殺害しようと挑むマグニート―と共闘し、精神攻撃でショウの動きを止めてしまっているプロフェッサーXは、殺害に反対するのならなぜ、その段階でショウの動きを回復させなかったのかなど、疑問のポイントは幾つも細かく見るとあります。しかし、三部作の謎解きの楽しみのみならず、三部作同様の緻密な群像劇となっているこの作品は十分に楽しめます。DVDは買いです。