『100,000年後の安全』

また、渋谷駅からかなり歩く映画館にそぼ降る雨の中延々歩いて行ってみてきました。またドキュメンタリーです。午後から仕事のある平日、午前11時からの回は、満席に近い状態でした。封切後2週間以上経って、異常な混みようと言えると思います。原発問題の意識のされようが窺えます。

フィンランドの放射性廃棄物処理場建設を描く、僅か79分の映画です。オンカロと言われるこの施設は建設すると言うよりも掘り抜くと表現する方が正しい、一世紀をかけて完成する地下400メートルに至る巨大地下施設です。劇中でも何度も出てくる模式図によれば、施設と言うイメージとは異なり、アリの巣とか、体内に広がる血管組織と言った形状をしています。例えば、エヴァンゲリオンのジオフロントとか、マトリックスの地下施設とか、そのような広い空間が地下に存在しているのではありません。

その地下施設は、現在進行形で、掘られては埋められている様子です。つまり、どんどん枝葉の部分を深く深く枝分かれしつつ形成していく一方で、そこにフィンランド国内で発生する放射性廃棄物を廃棄して、冷却することもなく、監視することもなく、埋めて塞ぐと言うことになっています。地震・火山活動などとも縁遠い硬い岩盤の中に発破による爆砕で作られつつある巨大な樹形図のような施設です。

一世紀の後には、埋めるべき所に全てを埋めた状態で、封印され、何もされることなく、それ以降、十万年の間放置されることを期待するための施設です。

この映画の違和感を抱かせる部分は、原発の是非の議論や、原発から発生する放射性廃棄物の投棄場所を巡る論争や諍いが全く出てこないことです。オンカロが作られる場所の地上には、ただの森が広がるだけで、そこに居住して廃棄物の持ち込みに反対する人はいません。登場するのは、発破技術者を始めとした、そこで働く人々と運営会社、政府要人などで、オンカロの基本計画を推進した人々だけです。論争や諍いが描かれる構図は見当たりません。

では、この映画の論点はどこにあるのかと言うと、まさにタイトルが示すように、この施設は十万年後まで維持され得るかと言う、震災と原発人災が恒常的な話題になってしまっている日本人には、実感が湧く余地が少ないテーマです。映画では、その危険性が少々語られた後に、今から逆に十万年の時間を遡るとネアンデルタール人の時代になることに執拗に言及しつつ、十万年後に、この施設がどのように扱われることになるかがインタビュー形式で議論されていくのです。

「人類の歴史の中で、一万年維持できた建造物は存在しない」
「30?50年先なら或る程度想像できる。その延長で100?300年も或る程度、予想するだけならできる。しかし、500年、1000年となると、闇が濃くなってほとんど見えない」

などの不毛とも言えるような議論が展開されます。

その上で、そのように予測がつきもしない未来で、この施設がどのように認識されるべきかと言う議論に移ります。二派に意見は分かれているとのことで、一派は、このような何もない土地を偶然掘ってしまうと言うことは殆どあり得ないので、施設があること事実自体を隠蔽すべきだと言います。もう一派は真逆で、何らかの警告を設置して、施設の存在を伝承しつつ、近寄らず、掘り返させないようにすると言う、「(施設を)忘れることを忘れるなと教え伝える」と言う主張をします。

後者に対しては、十万年先まで、どのような方法で、近寄ってはいけなく、掘り返すなどは絶対のタブーであることを伝えるかという具体的方法まで延々検討されます。そこで引き合いに出されるのは、ファラオを埋葬したピラミッドです。その存在の意味自体正確には今となっては分からず、まして、そこで、掘り返すなと警告すると、余計皆が掘り返したくなると言う皮肉な結果が間違いなく起こるであろうと、オンカロの将来の存在が予想されています。

ネアンデルタール人が土器の価値を語り、こちらが放射性廃棄物の危険性を語り、相互理解が成立するのかなどと言った話が続きます。79分がやたら長く感じられます。おまけに、映画の最後には、インタビューに何度も登場してきた人物達に、10万年後の未来の人々に送るメッセージを求めます。すると、皆が、放射能は危険であるだの、近寄るなだの、警告をした上で、「この最悪の地に近寄らないでハッピーに暮らすことを望む。グッドラック」などと言い出します。このような文明を築き、このような危険な物質を(全世界では現時点で)数十万トン単位で残してしまうことに対する、謝罪とか懺悔の言葉を口にするものが一人もいないのには、呆れさせられます。

上映前のトレイラーの中には、反原発を明確に打ち出した鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』が含まれています。生活を守ろうとする現地の人々の素朴で切実な声が、強力なメッセージとなっているように思える、関心湧く作品でした。その鎌仲ひとみ監督は、私が購読する雑誌『サイゾー』の中の記事で、この『100,000年後の安全』について触れていて、「日本とフィンランドでは原子力政策が異なっていて、日本の場合、映画で扱っている放射性廃棄物より強力な放射性物質が生み出されている。それを処理するためには、10万年どころではなく、100万年の時間が必要なのです」と述べています。これが画面から伝わる緊張感の違いの原因の一つかもしれません。

いずれにせよ、DVDはあまりに退屈なので必要ありません。