『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』

祝日の夜の新宿。明治通り沿いの映画館で見てきました。4月に入社したと思われる「研修中」と胸にプレートを付けた館員の案内で入った少ない席数の館内に観客は私も含めて5人しか居ませんでした。経済活動の維持と言う観点から考えて、全く馬鹿げた自粛ムードが続き、人通りがまばらな新宿の夜ですが、映画館の中にもその結果が及んでいる感じです。

2月の前半に封切られてから、機会があったら見ようと思っていて、2月から3月前半は他に観たい映画が多数あって手が回らず、その後は震災その他の影響で時間がとれず、見に行けないままになっていました。DVDレンタルを待つかと思っていた所、山手線沿線ではたった一館、5月11日まで上映すると言うことでした。評判が良かったのだと思います。私があまりあてにしていない映画サイトなどのレビュー結果もかなりいい方です。

私は太平洋戦争の戦記物を読んだり見たりするのが結構嫌いです。山本七平が『「空気」の研究』で暴く通りの「空気」によって、小室直樹が『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』が論ずる通りの合理性が欠如した判断を繰り返し、多くの犠牲を出し、多くを失った経緯を知れば知るほどに腹立たしく思うからです。私は右翼でも何でもないつもりですが、少なくとも、その馬鹿げた判断を重ねた結果の命令に従って、それが祖国を守り、自分の大切にしたい人々や街を守ることになると信じ念じつつ、自分の命を捨てた人々に敬意を払うべきだと思っています。そして、一部の軍人にも合理的な戦略判断ができた人物が居たことを発見すると、是非、その人物が如何にあったかは知りたいと思います。

その欲望の結果見た映画が、このブログに入っている『真夏のオリオン』であり、映画館では見逃してDVDで見た『硫黄島からの手紙』、そして、今回の『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』です。この三本のうち、後者二者は、戦争映画と呼ぶべきものか否か、少々疑問が湧きます。戦闘場面が少なく、どのような戦略・戦術を主人公達が採用したかが殆どよく分からないからです。その意味では、これらの二本は、戦争を舞台にした人間ドラマと捉えるべき映画のように感じます。(その意味で、『真夏のオリオン』は息詰まるタッチで雷撃戦の流れを描いていて、異なるジャンルに思えるのです。)

やけにページ数がある厚いパンフを捲ると、主人公の大場栄大尉は1944年から終戦後までの512日間にも渡って、サイパン島の米軍占領後、島にたった一つの山に籠って200名余りの民間人を守りながら、僅かな兵を率いて神出鬼没のゲリラ戦を展開した人物と言うことになっています。『硫黄島…』の主人公である栗林中将がアメリカ駐在経験があり、水際の米軍上陸阻止の作戦を放棄するなどの合理的な戦略構成をして行くのに比べると、結果的に生き残っただけとも言えるような大場大尉が、ゲリラ戦で当時の米軍からも讃えられるような作戦行動をなぜ発想できたのかが気になっていました。

映画で大場大尉は、地理の先生であったため、一種風変りな軍人であったかのように描かれています。しかし、パンフを読むと、必ずしもそれだけではありません。七万の米軍のサイパン上陸戦が展開された際に、日本軍は約四万余りも存在して、なぜたった20日間あまりで完全に壊滅してしまったのかと言う謎解きがパンフに詳細に述べられています。端的に言うと、大本営の読み誤りの結果の作戦で、サイパンへの兵の送り込みが圧倒的に遅れており、それまでに体制を整えていた米海軍によって、帝国陸軍の上陸部隊の多くが海に沈められていたのでした。武器弾薬の類が多くの将兵の命と共に海に消えてしまった後の、各部隊の生存者が寄せ集まってギリギリ上陸を果たした、たった一週間後に米軍は上陸を開始したということです。この時、日本軍は兵士の小銃が三人に一挺しかないと言う状況だったと言います。この生存者の混成部隊の中に大場大尉が居ましたが、驚くことに、大場大尉は衛生隊の将校です。この辺りの事実関係は一切映画では描かれていません。

劇中、(まるで、『真夏のオリオン』の主人公の海軍少佐のように)大場大尉は、無駄死にへと逸る兵士を、「死ぬことが目的なのではない。敵を一兵でも多く倒すことが目的なのだ」と諭す場面があります。この目的合理性が大場大尉の判断と行動に貫かれています。これが大場大尉が衛生隊の将校であったことにも拠るように私には思えます。

降伏はせず、終戦後数カ月を過ぎているのにも拘らず、帝国陸軍の上官名での投降命令を米軍に用意させ、それを山中で部下に読み聞かせ、軍歌を歌いつつ整然と行進で下山し、米軍に礼を持って迎えられることで、大場大尉の戦いは終了します。これも史実のようですので、米軍の大場大尉への畏敬がどれほどのものであったのか想像に難くありません。だとするならば、余計のこと、彼が、霧をも味方にし、米兵が奇襲地で水を求めることを読んでトラップを仕掛け、忽然と200人もの民間人ごと山中で姿を晦ますなどから、フォックスと呼ばれ、恐れられる過程である彼の戦いぶりにもう少々比重を置いて欲しかったとは思います。

主演の竹野内豊について、テレビをあまり見ない私は殆ど印象を持っていません。辛うじて、時々見ていた大河ドラマ『利家とまつ』と遥か昔の『ロングバケーション』での彼をかすかに記憶している程度です。山中からの行進シーンで彼のシルエットが針金の如くで、役作りのための減量が窺われますが、パンフを読むと、サイパンの現地を見て回り、国内では大場大尉の遺族にも会い、墓参までしたと言う熱の入れようと書かれています。口数少ない大場大尉役を好演しています。しかし、目立つのは彼の周囲の芸達者な人々です。

筆頭は、背中一面の入れ墨を背負って坊主頭の上等兵を演じた(利家であり、ロンバケの主人公のリアル旦那である)唐沢寿明でしょう。最終章辺りの『20世紀少年』の役処の延長線上に今回の役があります。さらに、板尾創路、ベンガル、阿部サダヲが、やたらの存在感です。

女優でも、一人、私が昔からファンである女優が居ます。最近映画では全然見なかった中嶋朋子です。昔見ていたテレビでは、当然、『北の国から』ですが、まだ子役然とした蛍よりも、不倫の恋に身を焦がす看護婦の頃の蛍が印象的です。映画でも、『時計』、『四月怪談』、『つぐみ』、『ふたり』、『パラサイト・イヴ』、『ベロニカは死ぬことにした』など、かなり見ています。コミックは強烈なファンでもセックス・シーン一つ出てこない映画は駄作に決まっていると分かっていた山本直樹原作の『あさってDANCE』でさえ、中嶋朋子見たさに当時ビデオを買いました。結構いい年の取り方しているなと感嘆しました。

これに対して、井上真央は、登場時間が長い割に、やや冴えがないように感じます。戦火の中と山中の生活で汚れっぱなしの顔に輝く瞳が合わないと言う気もします。テレビはあまり見ないので、代表作らしい『花より男子』はあまり知らず、映画では娘と観た『ゲゲゲの鬼太郎』がそこそこの印象。そして、小田和正の曲のPVでのやたらに美しい花嫁姿ぐらいしか印象に残っていません。ただ、この映画で好演であるのは間違いありません。(見に行くべきか迷っていましたが、永作博美も出ているので『八日目の蝉』も観ようかと思い始めました。)

総じて好感が持てる映画です。第一位の理由はやはり愚劣極まりない作戦を重ねて敗戦に至る中にも、個々に尊厳を維持して、最善を尽くした人々を描くことに成功した原作に忠実な映画の立ち位置にあるように思います。DVDは買いです。